近年、シティ・ポップと呼ばれる70年代〜80年代の日本の音楽が、世界中の音楽ファンの支持を得ています。洗練された都会的なサウンドは、時代を超えて今もなお、多くの人々を魅了しています。
1973年の東京で、1つのロックバンドが結成されました。
そのバンドこそが、のちにシティ・ポップの元祖と呼ばれる音楽を生み出すシュガー・ベイブです。
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目次
シュガー・ベイブ・略歴
1972年、東京・四谷にあったロック喫茶「ディスクチャート」で、山下達郎と大貫妙子が知り合ったことが、のちのシュガー・ベイブの結成に繋がります。
翌1973年にバンドを結成すると、山下達郎と親交があった大瀧詠一が在籍していたバンドはっぴいえんどの解散コンサートに参加。その後、大瀧詠一が運営していたプライベートレーベル「ナイアガラ・レーベル」から、アルバム「SONGS」とシングル「DOWN TOWN」を発表しました。
発売当時の評価やセールスは全く振るわず、バンドはシングル1枚・アルバム1枚を残し、1976年に解散してしまいます。
解散後、在籍メンバーであった山下達郎や大貫妙子のソロ活動の成功によって再評価が進み、唯一発表したアルバム「SONGS」は、現在では、日本のポップス史上最も重要なアルバムの1つという評価を獲得しています。
シュガー・ベイブのメンバー
山下達郎(ボーカル・ギター・キーボード・コーラス)
1953年生まれ・東京都出身。
言わずと知れた日本ポップス界を代表するミュージシャン・シンガーソングライターです。
少年期から洋楽(ロックンロール、R&B、ソウル、ファンク、アメリカンポップス等)ファンで、レコード収集が趣味で、現在所有しているレコード・CDの枚数は約6万枚ともいわれます。シュガー・ベイブ解散後は、ソロミュージシャンとしての活動をスタートさせ、長い音楽キャリアを通じて、「RIDE ON TIME」「クリスマス・イブ」などをはじめとする数々の大ヒット曲を発表しています。
大貫妙子(ボーカル・キーボード・コーラス)
1953年生まれ・東京都出身。
一人で弾き語りなどを行っていた時期を経て、山下達郎と知り合い、シュガー・ベイブを結成。バンド解散後も、精力的にソロ活動を続けている日本を代表するシンガーソングライターです。
世界的なシティポップブームにより、近年、再評価が進み、彼女の作品のアナログレコードを求めて、海外から日本に足を運ぶ音楽ファンも多数いるほどです。
村松邦夫(ギター・ボーカル・コーラス)
1952年生まれ・東京都出身。
シュガー・ベイブではリードギターを担当しました。
アルバム「SONGS」収録の「ためいきばかり」では、作詞・作曲・ボーカルを担当し、ギターアレンジを中心にバンドのサウンドクリエイトに大きく貢献しました。バンド解散後は、大瀧詠一の作品のほとんどにリードギターとして参加するなど、アレンジャー・楽曲提供・スタジオミュージシャンとして多方面で活躍しています。
寺尾次郎(ベース・コーラス)
1955年生まれ(2018年逝去)・東京都出身。
シュガー・ベイブ加入前には、佐野元春のバンドに在籍していた経歴があります。
シュガー・ベイブ解散後は、映画好きだったこともあり、映画字幕を中心とした翻訳家として活動していました。
上原裕(ドラムス)
1953年生まれ・京都府出身。
バンド「ごまのはえ」「ココナツ・バンク」のドラマーとして活動後、シュガー・ベイブへ加入。
バンド解散後は、大瀧詠一の作品のセッションにドラマーとして参加するなど、現在も精力的に活動しています。
※その他、一時加入・途中脱退メンバーあり
シュガー・ベイブの音楽性
70年代の日本のロックシーンで、シュガー・ベイブの音楽は極めて異端でした。
当時は、ハードロックやブルースを背景に持つバンドが多く、激しさ・泥臭さ・ギターの歪みといった要素を持つバンドが好まれていた時代でした。
そんな中、シュガー・ベイブは、男女混合のコーラスが可能で、綺麗なメロディーを爽やかな歌声で唄い上げることができる異質な存在だったといえます。
シュガー・ベイブの音楽的特徴は、山下達郎の音楽の趣味嗜好が色濃く表れています。ビーチ・ボーイズのファンであった彼は、コーラスを非常に重要視していて、当時を振り返り「楽器の練習よりも、コーラスの練習をしていたようなバンドだった」と語っています。
彼自身の声の特徴でもあるファルセット(裏声)の強調や、大貫妙子との男女混合のコーラスなどによって、シュガー・ベイブは、当時のバンドには見られなかったコーラスワークという強みを獲得していきます。
アルバム「SONGS」に収録された曲に共通しているサウンドの特徴は、音の粒立ちの良さと音圧です。
アルバムのプロデュースとエンジニアを手掛けたのは、大瀧詠一。自身も大のロック・ポップスファンでありロックバンド出身であるため、歌謡曲などを手掛けているプロデューサーやエンジニアには出せない迫力あるバンドサウンドを生み出すことに成功しています。
現代のインディーロックやガレージロックにも通じるバンドサウンドに、独特なコーラスワークを組み合わせたことで、今聴いても古さを全く感じさせない強烈なオリジナリティのある音楽を生み出すことに成功しています。
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シュガー・ベイブのおすすめ曲
「DOWN TOWN」
シュガー・ベイブを代表する一曲であり、今もなお、多くのミュージシャンにカバーされ続けている名曲です。
底抜けに明るくてキャッチーなメロディー、心地良いギターのリズムカッティング、重層的なコーラスなど、シュガー・ベイブのバンドとしての特色が前面に出ています。音楽雑誌『レコード・コレクターズ』2020年6月号「シティポップの名曲ベスト100 1973~1979」では、見事1位に選出されました。
「雨は手のひらにいっぱい」
プロデューサー兼エンジニアであった大瀧詠一の意向により、フィル・スペクター(独特のエコーサウンドで有名なアメリカの音楽プロデューサー)志向のアレンジとなっています。
フェンダー・ローズやストリングス、そしてコーラスの美しい絡みが特徴的なサウンドに、憂いを帯びた歌詞の対比が印象に残る一曲です。
「SUGAR」
アルバムの最後に収録された曲で、ファンク色が強い一曲です。1970年代はアメリカを中心にファンク全盛の時代でしたが、そんな海外の名曲にも引けを取らない程の強烈なグルーヴを感じます。
当時20代前半の青年達が、純粋な気持ちで音楽を愛し、演奏することをとても楽しんでいることが感じられます。
まとめ
短い活動期間ながらも、山下達郎・大貫妙子といった日本のポップス界を代表するミュージシャンの出発点として、解散後、大きく注目を集めることとなったシュガー・ベイブ。
その優れた音楽は、時代の変化を耐え忍ぶ程の確かなクオリティーを持ち、後年のミュージシャンに多大な影響を与え続けています。
シティポップの原点と語られるシュガー・ベイブの音楽を、皆さんも是非聴いてみてください。
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