最果テルーティン – 萩山百花・ロングインタビュー | その原点から名曲誕生秘話まで

最果テルーティン – 萩山百花・ロングインタビュー | その原点から名曲誕生秘話まで

大阪を中心に活動を続けるスリーピース・ギターロックバンド、最果テルーティン

2020年8月には『RO JACK for COUNTDOWN JAPAN 20/21』の月間入選アーティストに選出されるなど、そのポテンシャルが高く評価される注目バンドです。

今回は、その中心人物であるヴォーカル&ギター・萩山百花のロングインタビューを掲載します。

しかもこれが萩山にとって人生初のインタビューとのことで、初々しくも真摯に受け答えする姿が印象的でした。

これまで公表してこなかった事実も飛び出したファン必読のインタビューとなっています。

最果テルーティンがその実力にふさわしい成功を収めた時、今回の記事が非常に重要なテキストとなることでしょう。

また、カルチャでは最果テルーティンの紹介記事も公開中ですので、バンドの経歴などはそちらも併せてお読みください。


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最果テルーティン・萩山百花インタビュー

音楽との出会い~音楽的影響

—— カルチャ初登場ということで、まずは自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?

萩山:最果テルーティンのギター&ヴォーカルの萩山百花です。よろしく願いします。



—— 萩山さんは現在、音楽大学で作曲の勉強をされていると伺いました。
公私ともに音楽漬けの日々だと思うのですが、萩山さんと音楽との出会いを教えてください。


萩山:母がピアノの先生だったので、ちっちゃい頃からピアノをやっていました。それで音楽と出会ったんですけど、母がめちゃくちゃスパルタで…。それでピアノがトラウマになってしまって、一旦音楽を止めてしまいました。



—— なるほど。最初に自分の意思で聴くようになった音楽というと?

萩山:小学校6年生の時にシンガーソングライターのYUIさんが「ミュージックステーション」で“SUMMER SONG”を歌っているのを聞いて「なんだこれは!」ってなって。
レンタルCDショップ屋さんに行ったんですけど、YUIさんの曲名って全部英語だったんで、その時は英語がわからなくて…。お母さんに聞きまくって探してた記憶があります。そこからアコースティックギターを買って歌い始めました。



—— ひとりで弾き語りをやっていたんですか?

萩山:小学校からバンドを組んでたんですけど、わたしが住んでいた愛媛県にはあまり軽音楽部とかがなかったんです。発表会で演奏するための一時的なバンドっていう感じでした。



—— その頃のバンドではエレキギターを演奏していたんですか?

萩山:その時はアコースティックギターでブルーハーツの“青空”をコピーしてました。中学では(ブルーハーツの)“終わらない歌”とアジカンの“ソラニン”をカバーしました。どっちもヴォーカルでしたね。



—— その頃はまだアコースティックギターだったんですね。初めてエレキギターを手に入れたのはいつ頃でしょう?

萩山:高校生になって邦楽ロックにはまったんです。その時、KEYTALK のギターの(小野)武正さんが好きだったんですよ。
武正さんが使っていたSGというギターがすごいかっこよかったので、お年玉でEpiphoneですけどSGを買いました。それで高校2年生から音楽スクールに通い始めました。



—— それはギターのスクールだったんですか?

萩山:そうです。高校2年の時はギター(のスクール)でした。



—— 現在のメイン楽器のジャズマスターは長く使われているんですか?

萩山:ジャズマスは1年ちょっと前ぐらいからです。そこまではずっとSGで頑張ってました。



—— 音楽的に影響を受けたアーティスト、憧れのアーティストを教えてください。

萩山:My Hair is Badさんは、わたしがバンドを始めてから好きになったんですけど…。自分の中での“こういうバンドになりたい像”はMy Hair is Badの椎木(知仁)さんです。すごく好きですし、ライヴパフォーマンスとかも勉強になりますね。



—— 邦楽ロックにすごくハマった時期があったとおっしゃっていましたが、My Hair is Bad以外にも影響を受けたアーティストはいますか?

萩山:すごい色々なジャンルの…ロック関連のいろんな曲聴きすぎて…「何に影響受けたんですか?」ってよく訊かれるんですけど、なんかわかんなくなりましたね(笑)
わたしがたくさんロック聴いてた時は、KEYTALKとかKANA-BOONとかSHISHAMOとかが流行ってた時期だったんですけど、キュウソとか。それも全部聴いてたんですよ。だから全部好きだし…KANA-BOONとかは影響受けてるかもしれないですね。
あとは…SAKANAMONってバンドがいるんですけど、すごく好きでした。こんな曲書きたいなって。

前身バンド・ガラパゴス結成~バンド名の由来

—— ここからは萩山さんのミュージシャンとしてのキャリアについてお訊きします。
前身バンド・ガラパゴスは2018年11月に大学の同級生が集まって結成されたと伺っています。ガラパゴス結成の経緯などを教えてください。


萩山:わたしは大学では別にバンド組みたいなとは思ってなかったんですけど、学祭に出たいっていう同級生がいたんですね。
これは公表してなかったんですけど、ガラパゴスの前に「あいにくの雨ですね。」っていうバンドを組んでたんです、実は。
学祭に出たいって言い出したのはキーボード兼ヴォーカルの子で、後にガラパゴスになる4人がそこに加わったんです。だから大学の同じ専攻内で寄せ集めたって感じですね。楽器できる奴らを寄せ集めて組んだバンド。



—— 長く続けていくというよりは、学園祭に出演するためのバンドとしてスタートしたんですね。いい感じだったから学園祭後も続けていくことになったんですか?

萩山:結局、キーボード兼ヴォーカルの子は辞めちゃったんですよ。4人でやるってなった時に名前も変えようかってなって。それでガラパゴスになったんです。
初期ガラパゴスのライヴを観てくれてたのが一山楓くん(現:スクう空氣)だったんですけど、その時にオリジナル曲の“黒い酸素”と“ラストサマー”を聴いて「天才や!」ってなったらしくて(笑)
それで彼の企画に呼んでもらうようになって(バンドを本格的に)始めたって感じですね。



—— 2020年3月25日、3人編成になったタイミングでバンド名を最果テルーティンに変更しました。
「ガラパゴス」も「最果て」も周りに人が存在しない「孤立した環境」というイメージがある言葉だと思います。バンド名の由来について教えていただけますか?


萩山:バンド名の由来は…(絶句)
そうなんですよね…。何にも意味がなくてマジで語呂で選んだって感じですね。
元ベースのたかだしおりが「最果て」っていう単語も「ガラパゴス」っていう名前もつけたんですよ。



—— 語呂ですか…。「最果て」も「ガラパゴス」もそんなに頻繁には使わない単語ですよね。

萩山:ガラパゴスの時は全員でアイデアを出したんですけど、ちょっと全員がピンとくるものがなくて…。それで学校にあった小説をみんなで見てたんですよ。パラパラっとめくって「いい単語あったら言ってね」みたいな。



—— なるほど。辞書をパラパラしてバンド名を決めたというケースも結構あると聞きます。

萩山:そしたら元ベースのたかだが「ガラパゴスっていいんじゃな~い?」(声色を真似しながら)って言って。みんなも「いいやんいいやん」でガラパゴスになりました。
最果テルーティンの時は、メンバー3人でお寿司屋さん行ってご飯食べながら考えようってなって、「最近好きな単語出してこ」みたいな。
そしたらたかだが「最果てっていう言葉最近好き~」(再び声色を真似る)、私が「ルーティンって言葉最近好き~」で最果テルーティンになりました。



—— お寿司屋さんで決めたということは、もしかして回るお寿司が「ルーティン」のイメージだったりとか…?(笑)

萩山:それもありますね。「回ってるしねー」みたいなことは言ってました(笑)



—— 1stデモ「水中歌」に収録されている「最果てへ」という楽曲と関連があるのでしょうか? 「最果て」という言葉にハマっていたから、それが楽曲の着想に繋がったとか?

萩山:それは元ドラムのまきし。が書いた曲なんで、わたしは本当の経緯がわからないので何も言えないんですけど…
でも、“最果てへ”のAメロかな? 今までの曲の歌詞とかが入れ込まれていて、それも含めてなんかこう「最果テルーティンの曲」になったのかなと思ってますね。歌ってて「あ。これ“ラストサマー”の歌詞や」とかなるので、よかったら探してみてください。

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