山崎まさよし:力強さと優しさをもつ歌声のマルチプレイヤーの本名や経歴、魅力とは?

山崎まさよしは弾き語りをメインに活動を行っているシンガーソングライターです。デビュー後は『セロリ』『One more time,One more chance』で人気を博し、音楽だけでなく俳優としての活躍もあります。

今回はそんな山崎まさよしの魅力について、デビュー前から現在に至るまでの経歴やプロフィールなどに触れていきたいと思います。

また、山崎まさよしのおすすめ人気曲も紹介しているので、ぜひご覧ください。

山崎まさよし(やまざきまさよし)


https://twitter.com/official_yama/media

山崎まさよしのプロフィール

山崎まさよしのプロフィール
  • 本名:山崎将義(やまざきまさよし)
  • 愛称:まさやん
  • 生年月日:1971年12月23日
  • 出身地:滋賀県大津市生まれ、山口県防府市育ち
  • レーベル:ユニバーサルミュージック(2000年~)
  • 事務所:オフィスオーガスタ

太鼓がきっかけ

滋賀県大津市で生まれた山崎まさよし(やまざきまさよし)は、8歳の時に山口県防府市へと移り住みました。

引越し先で友達を作るきっかけが地元の太鼓の練習だったようで、その当時から少しずつ音楽に対する意識を向けるようになったとのことです。

中学生になるとより音楽に対する意識が高くなり、太鼓つながりでドラムを始めました。現在は弦楽器を基本とするスタイルのため、知らない人からすると驚きですね。

ギターやドラムに限らず、ピアノ、サックス、グロッケン(鉄琴)などなど……。幼い頃の経験が今の山崎さんのマルチな才能を引き出しているのかもしれません。

高校を卒業後には主に自動車メーカーで働きながらライブハウスで活動をするという日々を過ごしていました。

ブルースとの出会い

1990年頃、自動車メーカーで働きながら、ライブハウス『Boogie House』に通っていた山崎さんは、ライブに通い始めた時はどういったスタイルでやればいいのかと悩んだそうです。

そんな時、ライブハウスのマスター森永正志さん「ブルースはどうか」と持ちかけ、カセットテープに吹き込んだLightnin’ Hopkins(ライトニン・ホプキンス)を手渡し、それを聴いた山崎さんは非常に感銘を受けたとのこと。

これが、後の山崎さんの演奏スタイルのルーツでもあり、ギターの弾き語りと作詞・作曲、いわゆるシンガーソングライターを目指すきっかけとなりました。

きっかけを与えてくれた森永さんとはデビュー後も師弟関係にあり、後に公式ファンクラブを立ち上げる際には、お世話になったライブハウスの名前『BOOGIE HOUSE』を使用しています。

また、森永さんが2012年に食道がんで逝去された際には、セイコーのCMソングにもなった『星空ギター』を書き上げており、山崎さんにとって特別な人であることが理解できます。

オーディションを受け間違えて上京

1991年、ライブハウスでの下積みを続けていた山崎さんは、プロの歌手となるためにオーディションへの参加を決意します。

そのため『キティ・フィルム』が主宰するオーディションを受けましたが、実はこのオーディションは新人俳優を発掘するためのものでした。どうやらレコード会社『キティ・レコード』と混同してしまったようです。

間違えて参加したオーディションには1000人以上の応募があったにも関わらず、山崎さんは最終審査までに残ってしまいます。ちなみにこの最終審査の直前で、参加したオーディションが違うことに気づいたそうです。

しかし、オーディションには最後まで参加し、最終審査では自作の楽曲『Rough Rock’n Roll Boogie』『中華料理』を歌い、審査員からは「新人歌手のオーディションであれば間違いなく合格」と言わしめる程の高評価を受けました。

もちろん、歌手のオーディションではないため審査員特別賞に終わってしまいますが、歌える役者が欲しいという目的で審査員を務めていたキティ・レコードの音楽プロデューサーがスカウト。

1993年春にキティ・レコードと正式に契約し、上京することが決まりました。ただ、実際の契約よりも早く上京したため、上京直後はスカウトを行った音楽プロデューサーの家に居候をしていたようです。ちなみにこの時の音楽プロデューサーは、後の山崎さんのチーフマネージャーとなります。

メジャー・デビューからの駆け上がり

キティ・レコードで活動を始めた山崎さんは、自身のアルバム・レコーディングを開始します。しかし、その最中で所属レコードの経営が悪化。山崎さんをスカウトした音楽プロデューサーも退社してしまいます。

不遇の時代を過ごすことになった山崎さんですが、その音楽プロデューサーの売り込みもあって1995年にポリドール・レコードと契約することが決まり、同年9月にシングル『月明かりに照らされて』でメジャー・デビューを果たします。

ちなみにデビュー時のキャッチコピーは「天才より凄いヤツ」でした。

その後もこれまで遅れた分を取り戻すかのごとく、積極的な音楽活動で曲をリリース。1996年には1stアルバム『アレルギーの特効薬』を発表し、後にリリースされたシングル『セロリ』はアイドルグループSMAPがカバーしたことで、山崎さんの名が知れ渡るようになります。

また、映画の主演に抜擢され、映画『月とキャベツ』では山崎さんの代表曲ともなった『One more time,One more chance』がテーマ曲として使用。このテーマ曲は『君の名は。』で一躍有名となった新海誠監督のアニメ映画『秒速5センチメートル』の主題歌にも使用されました。

その後もシングルやアルバムのリリース。役者としてドラマにも出演。テレビ番組の企画ではアメリカに赴き、Honeyboy Edwards(ハニーボーイ・エドワーズ)といった大物ブルースマンとセッションをするなど、デビュー後の駆け上がりは凄まじいものでした。

幻となった野外コンサートの映像

精力的な活動で音楽だけではない舞台でも活躍をするようになった山崎さんは、2000年にメジャー・デビューから5周年という節目を迎えます。同時にこの年から所属レーベルをユニバーサルミュージックに変更。

同年9月には立川昭和記念公園で3万人の野外コンサートが開催され、テレビカメラ10台で撮影するまでになり、このライブを通してさらなる飛躍が期待されていました。

しかし、なぜかそのライブの映像は放映だけでなく発売もされることはありませんでした。

5周年という節目であるにもかかわらず、映像として世に出せなかったのにはわけがありました。それはライブでの山崎さんの映像が全て左側を見ていたため、関係者の話では編集不可能な状態であったようです。

そういった真意があったため放映も発売も断念せざるをえなかったとのこと。後に山崎さんのこれまでを振り返る『オーガスタ キャンプ総集編(所属ミュージシャンによる合同イベント。通称オーキャン)』のテレビ放映時には「残念ながら2000年の映像は存在しません」とテロップが流れるほどで、山崎さんにとって幻となる野外コンサートでした。

映画主演、紅白、結婚など、多忙な日々

5周年を迎えたその後も精力的な活動で国内外を飛び回ります。海外では番組の企画としてワールドライブツアー中のPaul McCartney(ポール・マッカートニー)を訪ね、本人の前でビートルズ『All My Loving』を弾き語りで披露。

しかし、あまりの緊張ぶりにマイナーコードを押さえるつもりがメジャーコードを押さえてしまい、ポールも称賛するとともに指摘。このことを山崎さんは「もう1度やり直したいけど無理ですよね……全国のビートルズファンの皆さん、ごめんなさい」とかなりの落ち込みようだったようです。

デビュー10周年の2005年には、映画『8月のクリスマス』の主演に抜擢。同映画では主題歌だけでなく、劇中音楽も手掛けるほどで、山崎さん本人のための映画と言っても過言ではありませんでした。

また、同年の暮にはNHK紅白歌合戦に初出場。この年の1年間を振り返ると、ベスト・アルバムを2作同時リリース。屋外イベントを含んだ3つのライブを開催するなど、多忙な日々を送りました。

それ以降も勢いが衰えることはなく、メジャー・デビュー15周年を迎えた2010年には公式ファンサイトで結婚したことを発表。お相手に関しては一般女性のため、公に名前や写真などは公表されていないようです。

結婚後の活動も今までと同様に継続し、2015年から2019年にかけてはライブの開催だけでなく、タイアップ曲の作成、横山秀夫原作の映画『影踏み』で主演を果たし、同映画の主題歌および劇中歌を担当しました。

2020年にはデビュー25周年を迎え、これからの活躍も多くのファンから期待されています。

山崎まさよしの魅力とは


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流行に流されない音楽性と寂しさ

山崎さんの音楽性には流行に流されないという特徴があります。

大抵のアーティストは何らかのコンセプトを盛り込んでアルバムなどをリリースすると思いますが、山崎さんはその部類には含まれません。

もちろん、それがただ適当にやっているというわけではありません。山崎さんはその時その時の好奇心で音楽を取り入れるのではなく、自分のルーツに繋がる音楽を更新しているのではないかと思います。

山崎さんにとってのルーツとはデビュー前のライブ時代に取り入れたブルースです。当時、ライブに通い始めて間もない頃、自身がどういう音楽スタイルで挑戦するべきかと悩んだ時に、ライブハウスのオーナーから提案されたものです。

現在は逝去されてしまいましたが、その時に提案をした森永正志さんとはメジャー・デビュー後も師弟関係にあったそうで、山崎さんはそのルーツをひたすらに追い求めているようにも思えます。

ブルースに似通ったものでは歌謡曲を盛り込み、それらを軸にした音楽を作ることが中心ではないでしょうか。

また、山崎さんの歌う曲は明るい雰囲気であっても、どこか寂しさを感じさせます。山崎さんの歌声も合わさって、孤独感のようなものが見え隠れする感覚を生み出しています。

しかし、それが全面に押し出されていないのが山崎さんの凄いところでもあり、人の感情をリアルに表現しているようにも思えます。

人は他人には見せない、見られたくない部分を隠し持っているでしょう。山崎さんはそういった部分を表現するのが非常に上手く、それに共感する人が多いからこそ、これまでやってこれたのではないでしょうか。

マルチな才能で様々な楽器を操る

技術的な面で言えば、山崎さんは様々な楽器を操ることができます。

幼少時代は引越し先での友達作りのために太鼓の練習をしており、中学にはドラム。そしてその後にギターを始め、今ではピアノ、サックス、グロッケン(鉄琴)、ブルースハープ(ハーモニカ)などを扱うことができます。

こだわりを追求する際には、収録で全ての楽器を演奏するというのですから、音楽に対する姿勢が桁違いです。

機材へのこだわりもあり、そこには録音のクオリティーには責任を持ちたいという考えからだそうです。できるだけその場で聴こえている音を拾いたいとも語る山崎さんは、プリアンプやコンデンサーにも気をつけてるとのこと。

しかし、メインで使用しているギターにはとくにこだわりが強く、これには山崎さんのルーツでもあるブルースが関係しているとのことです。

山崎さん曰く「どんな表現でもギター1本でできる」と語っており、マルチプレイヤーではりますが、山崎さんと言えばやはりギターと言えるでしょう。

役者としての顔も

そんなマルチプレイヤーとして活躍する山崎さんは、音楽だけでなく役者としての才能も持ち合わせています。

1996年に公開された篠原哲雄監督の『月とキャベツ』で主演を果たし、それ以降ドラマや映画に出演する機会が増えてきました。最近では『影踏み』という映画にも出演しました。

演技力には賛否両論あるようですが、デビューからコンスタントに俳優として活動されていることは、選ばれる理由があるのでしょう。

しかし、そんな俳優としての肩書を持つことに、山崎さん本人は内心乗り気ではなかったそうです。

フリーのインターネット百科事典『Wikipedia』『俳優』と書かれていることにも、心の中では抵抗していたとのこと。

本人も最初は消そうと考えたそうですが、世間一般的な認識の捉えでもあるとし、腹をくくって俳優業もこなしているそうです。

山崎まさよしのおすすめ曲


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僕はここにいる


1998年にリリースされた『僕はここにいる』。この楽曲は山崎さんが主演を務めたドラマ『奇跡の人』の主題歌として起用されました。

恋心を抱く相手に気づいて欲しいという思いが込められており、そんな日々を送り続ける葛藤がキャッチーな歌詞で表現された曲です。

星空ギター


2012年にリリースされた『星空ギター』。この曲は山崎さんの音楽スタイルのルーツのきっかけを与えてくれた森永正志さんに捧げた曲であると言われています。

ライブハウスのオーナーを務めていた森永さんは、デビュー前の山崎さんを支えてくれた人物でもありますが、残念なことに2012年に急逝しまいました。

セロリ


1996年にリリースされた『セロリ』は、その翌年にSMAPがカバーしたことにより広く知られるようになりました。

タイトルそのものに意味はなく、恋人との違いを表現するためだけに使われているようです。歌詞としても重要ではなく、好き嫌いの多い野菜の代表として使用したとのことです。

全部、君だった


2003年にリリースされた『全部、君だった』

オリジナル曲のシングルとしては2年振りのリリース曲となります。

この曲はミュージックビデオにもぜひ注目してください。失った愛を歌い、その主人公の心を表すかのような天気。

そんなしんみりとした雰囲気が突如壊されてしまいます。まるでメイキング映像のように、舞台裏ではスタッフが忙しく動き回ります。初めて観る人は、なんだこれはと思うかもしれません。それほど強烈なインパクトを与える作品です。

One more time,One more chance


1997年にリリースされた『One more time,One more chance』は、山崎さんの代表曲と言っても過言ではありません。

この曲はリリースから20年以上経った今でも使用されており、初登場は山崎さんが主演の『月とキャベツ』の主題歌。その後、新海誠監督の『秒速5センチメートル』の主題歌として起用され、2018年には『50回目のファーストキス』の挿入歌としても使用されました。

1993頃に制作された曲で、デビューするために上京したもののなかなかデビューが決まらない悶々とした日々を綴っており、歌詞からラブソングとして捉える人も少なくないようです。

ちなみに「阪神・淡路大震災で死んだ自分の恋人を歌っている」と吹聴されることがありますが、これは完全なデマであると否定されています。

表現のアーティストとして

以上、山崎まさよしの紹介でした。

音楽としての力量だけでなく、俳優としての一面を持つ山崎さん。

本職は音楽家としての活動なので、演技力に関して様々な意見があります。

今後、どのような活躍をするのかはわかりませんが、音楽も俳優も表現をするうえでは同じです。

表現のアーティストとして、これからも頑張ってもらいたいですね。

それではここまでご覧いただきありがとうございます。

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