奥田民生 – ソロ・ユニコーン・プロデューサーとして活躍! デビューから現在までを徹底解説

奥田民生 – ソロ・ユニコーン・プロデューサーとして活躍! デビューから現在までを徹底解説

今回は、「奥田民生なりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール」のコーロキ・ユウジが憧れている奥田民生さんをご紹介します。

ロックバンドユニコーンのギター・ヴォーカルやソロのシンガーソングライターであり、PUFFYのプロデューサーとしても知られている奥田民生さんは、「バンドブームの寵児」「日本のロック大将」「ロック番長」とも呼ばれ、90年代から邦ロックシーンの重要人物であり続けています。

マカロニえんぴつのはっとりさんは奥田民生さんを敬愛しており、「はっとり」の名前はユニコーンの3rd アルバム「服部」から付けたそうで、センター分けの髪型はソロデビュー時の奥田民生さんを意識しているとか。

そんなレジェンド奥田民生さんですが、飄々とした佇まいから一見やる気があるようには見えず、図らずもゆるいロックヴォーカリストというイメージを開拓してしまったパイオニアでもあります。

釣りが大好きで、ユニコーン解散後に約1年間の釣り期間を経てソロデビューするなど、悠々とマイペースに活動する姿でも多くのアーティストからリスペクトを一身に集めています。

今年8月には再結成したユニコーンでのニューアルバム「ツイス島&シャウ島」をリリース。

9月にリリースしたA.B.C-Zの橋本良亮さん主演ドラマ「痴情の接吻」のテーマソング「夏と君のうた」は、スピードワゴンの小沢一敬さんが書いた詞に奥田民生さんが曲を付けたものです。

9月10日に放送された「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」にバンドメンバーのEBIさんと2人で出演するなど、現在も楽しそうに活動を続けています。

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奥田民生とは?


okudatamio.jp

  • 生年月日:1965年5月12日
  • 出身地:広島県広島市
  • 愛称:OT
  • 特技:タンバリン

エルヴィス・プレスリー好きの母親の影響を受け、幼少期から歌謡曲や演歌など様々なジャンルの音楽を聴いて育ちます。

10歳の頃に親戚の家で古いアコースティックギターに触れ、その親戚が買ってくれたガットギターでかぐや姫や西城秀樹さんなどの曲をコピーし始めました。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのコンサートがバンドの原体験であり、今でもフロントマンだった宇崎竜童さんのファンです。

小学校高学年の頃に「アニメ・ザ・ビートルズ」を見て、アルバム「Rock ‘n’ Roll Music」を買ったことからThe Beatlesを知りました。

歌番組の「ザ・ベストテン」も好きで、沢田研二さん西城秀樹さん布施明さんと、Charさん野口五郎さんの弾き語りもよく見ていたそうです。

中学で同じようにギターを弾き始めていた友達とThe BeatlesKissのカバーバンドを組みます。

Kissからの流れで、LAZYEARTHSHAKERLOUDNESSなどのハードロック、メタルバンドにハマり、特にステージパフォーマンスも含めライブが圧倒的だった子供ばんどからは多大な影響を受けています。

高校ではアーチェリー部に所属しながら文化祭に出るために真剣にバンドをするようになり、漠然と将来も音楽を続けたいと思い始めました。

進学した専門学校ではREADYというバンドを組んでいましたが、ユニコーンのドラムの川西幸一さんに声を掛けられて1986年に加入しています。

バンドブームの最重要バンド・ユニコーン

ユニコーンは、実質的には広島電機大学(現広島国際学院大学)の先輩川西幸一さんと後輩手島いさむさんが作ったバンドであり、初代リーダーの川西幸一さんは奥田民生さんが高校生の頃から憧れていたバンドのドラマーでした。

川西幸一さんは売れるバンドを組みたいと、ルックス、音楽センス、人間性といった観点から広島中を探し、EBIさん、向井美音里さん(1988年脱退)、奥田民生さんを勧誘しました。

MEMO

奥田民生さんは2度断っていましたが、メンバーの人間性に惹かれてユニコーンに加入したそうです。

バンド名のユニコーンは、ロックバンドT-REXの3rd アルバム「UNICORN」が由来です。

結成後初ライブでスカウトされ、1986年にオーディションで優秀アーティスト賞を受賞し、日比谷野音の野外イベントで東京で活動を開始、1987年10月にアルバム「BOOM」でデビュー。

当時はバンドブームが盛り上がってきた頃で、奥田民生さんとEBIさんのルックスの良さもあってユニコーンは音楽雑誌の表紙を飾っていました。

音楽雑誌の主な読者は女性だったことから、ライブ会場の90%以上が女性ということもあったほどです。

MEMO

ただ次第にメンバーは、『ユニコーンはアイドルではなくロックバンド』と思うようになり、純粋に音楽で評価して欲しいと考えるようになりました。

そんなユニコーンが劇的に変貌したのが、1989年6月リリースの3rd アルバム「服部」です。

「服部」より、サポートからABEDON(阿部義晴)が正式メンバーとして加入し、シリアスなロックバンドから実験的で何でもありの雑多な音楽性に変わっていきました。

アルバムから先行リリースされた1st シングル「大迷惑」のヒット以降、知名度が格段に上がり、1990年10月リリースの4th アルバム「ケダモノの嵐」でオリコンチャート初の1位を獲得し、第32回日本レコード大賞のアルバム大賞も受賞

ダウンタウンウッチャンナンチャン清水ミチコさん野沢直子さんが出演していた深夜バラエティ「夢で逢えたら」のテーマソングに「働く男」と「スターな男」が起用され、若手バンドが演奏をレッスンする人気コーナー「バッハスタジオ」にも度々登場しています。

「ダウンタウンのごっつええ感じ」にも、「民生くんとアベくん」という銭湯や高校など様々な場所で弾き語りをするミニコーナーを持っていました。

本業のバンドとしても、「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」などのヒット曲や、「ヒゲとボイン」「SPRINGMAN」といった名盤を次々リリースしています。

順風満帆に思われていたユニコーンでしたが、1992年8月からメンバーそれぞれが順番にソロ作品を発表した後に、川西幸一さんが脱退を発表。

そして、1993年9月21日放送のラジオ「オールナイトニッポン」で突然バンドの解散を発表しました。

明確な理由は無く『なんとなく解散が決まった』というのもユニコーンらしい解散でした。

プロデューサーをしながらソロでも活動を始める

バンド解散後に奥田民生さんは、1994年10月に「愛のために」でソロデビューした後、PUFFYや他のアーティストのプロデューサーとしても活動をスタートしています。

プロデュースしたアーティスト

PUFFY

音楽プロデューサーの小室哲哉さんや小林武史さんに触発されていたであろう奥田民生さんの、『プロデューサーになりたい』という一言から、大貫亜美さんと吉村由美さんの親しみやすいゆるい脱力系ユニットPUFFYが生まれました。

1996年5月に作詞を井上陽水さんが手掛けたシングル「アジアの純真」でデビューしたPUFFYは、この曲ですぐさまミリオンヒットを出します。

その後も、2nd シングル「これが私の生きる道」、3rd「サーキットの娘」、4th「渚にまつわるエトセトラ」まで4作連続でミリオンヒットを記録。

独特な楽曲とキャラクターのPUFFYの人気は日本だけに留まらず、SXSWへの出演やアメリカツアーも敢行し、4th アルバム「SPIKE」のアメリカ版と現地用のベスト盤「An Illustrated History Of Puffy AmiYumi」もリリースしました。

MEMO

PUFFYをモデルにしたアニメ「Hi Hi Puffy AmiYumi」も制作され、アニメのサウンドトラック「Hi Hi Puffy Amiyumi」もリリース。グリーン・デイPUFFYを知っていたほどの人気ぶりでした。

井上陽水奥田民生

PUFFY「アジアの純真」小泉今日子「月ひとしずく」の共作を経て、「日本のフォークソング・シーンの巨人」とも称されるシンガーソングライターの井上陽水さんと結成したユニット井上陽水奥田民生。

2人が別々に作ったものをすり合わせて楽曲にしていく制作方法の為に、作詞作曲は全て井上陽水奥田民生名義です。

ヒットシングル「ありがとう」や、「アジアの純真」「月ひとしずく」のセルフカバーも収録したアルバム「ショッピング」もリリースしています。

浜田雅功

ダウンタウンの2nd アルバム「万力の国」収録曲「くつみがき」の作曲を手掛けていた奥田民生さんは、「芸能人格付けチェック」を生み出した浜田雅功さんの番組「人気者でいこう!」に出演していたこともあって、浜田雅功さんのソロ1st シングル「春はまだか」をプロデュースしました。

木村カエラ

3rd シングル「リルラ リルハ」でアーティストとしても人気が出始めていた、モデル出身の木村カエラさんの4th シングル「BEAT」も奥田民生さんが手掛けています。

「BEAT」木村カエラさん主演の映画「カスタムメイド10.30」の主題歌で、奥田民生さんも「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」のライブ映像で出演しています。

ソロのシンガーソングライターとしての活動

ソロとしては、1994年10月リリースの「愛のために」以降も、「息子」「コーヒー」「イージュー★ライダー」などカラオケの定番にもなったヒット曲を次々と発表。

1995年3月の1st ソロアルバム「29」も好評で、続く「30」「FAILBOX」とアルバムもオリコンチャートのトップ5の常連でした。

MEMO

とにかくモテると言われ続けていた奥田民生さんは、1995年8月にユニコーンのスタイリストをしていた女性と結婚しています。

そんな中、現在まで続くライフワークとも言える弾き語りライブツアーの「ひとり股旅」を敢行。

「ひとり股旅」は、松本人志さんが師匠である大仏が出すお題をもとにひたすら大喜利する深夜番組「一人ごっつ」用の作務衣を譲り受けた奥田民生さんが、事務用の椅子に座りアコギ1本でその時の気分次第で演奏曲を決める弾き語りライブです。

ユニコーン再結成後はソロと並行して活動中


unicorn.jp

メンバー同士が修復不可能なほど仲が悪かったわけではないユニコーンは、2006年に行われたABEDONの40歳を祝う音楽祭「40祭」でのライブをきっかけに再結成し、2009年1月に再始動。

翌月にリリースした約15年ぶりのシングル「WAO!」がオリコンチャート3位にランクインと、ブランクを感じさせない人気バンドぶりを見せてくれました。

通算アルバム9枚目のアルバム「シャンブル」のリリースと全国ツアーも行い、2011年10月には盟友JUN SKY WALKER(S)と19年ぶりの対バンイベントを日本武道館で開催しています。

再結成後の作品は映画やドラマ、アニメの主題歌になることも多く、「ぶたぶた」は映画「これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫」、「でんでん」が映画「引っ越し大名!」、「エコー」がドラマ「重版出来!」、「Feel So Moon」がアニメ「宇宙兄弟」に起用されました。

奥田民生さんは、現在バンドとソロを並行して活動しています。

コンスタントに作品を発表しながら、数年おきに開催されている「ひとり股旅」や、フェス、イベントへの出演などライブを軸に活動しています。

2015年5月にはインディーズレーベルのRAMEN CURRY MUSIC RECORDSを設立しました。

オンライン配信もしたライブツアー「MTRY TOUR 2021」「ひとり股旅 2021」や、レコーディング風景をYouTubeでライブ配信した「カンタビレ IN THE PARK」と、オンラインを使った新しいライブにも取り組んでいます。

飾らず自然体な人柄で友人やコラボも多数

奥田民生さんが仲の良いアーティストは、スピッツの草野マサムネさんウルフルズのトータス松本さんザ・イエロー・モンキーの吉井和哉さん山崎まさよしさん斉藤和義さんミスター・チルドレンの桜井和寿さんポルノグラフィティの岡野昭仁さんなど。

コラボや結成したバンドも多数あります

  • THE BAND HAS NO NAMEで「THE BAND HAS NO NAME」「II」のアルバム2作をリリース
  • 東京スカパラダイスオーケストラとのシングル「美しく燃える森」
  • 真心ブラザーズのYO-KINGさんらとのバンド「O.P.KING」の結成と、ミニアルバム「O.P.KING」のリリース
  • スキマスイッチ「全力少年」を新たにプロデュースした「全力少年 produced by 奥田民生」のリリース
  • ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンらの作品やライブに参加したスティーヴ・ジョーダンのバンドThe Verbsとの共演
  • 岸田繁さんと伊藤大地さんの3人で白衣を着てオペ(ツアー)を行うサンフジンズ
  • 斉藤和義さんやトータス松本さんらと結成したバンドカーリングシトーンズ

などです。

もはやプロ!フィッシャー奥田民生

ソロデビュー前に充電期間として約1年間の釣り期間があったほどの釣り好きである奥田民生さんは、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の河口湖で釣った魚の大きさを競う「芸能人釣り選手権」で、16回中4回優勝する腕前です。

同じく釣り好きのザ・イエロー・モンキーの吉井和哉さんとフジテレビONEの釣り番組「イージーフィッシャー」にも出演し、バスフィッシングのプロの今江克隆さん河辺裕和さん吉田秀雄さんらと親交があります。

奥田民生オススメ曲

数々のヒット曲を輩出している奥田民生さんですが、独特な言語感覚の歌詞についてはあまり重視していないそうで、メッセージを伝えるというよりも楽曲を引き立てる要素のひとつとして考えています。

タイトルにもそれほどこだわりは無く、有名な楽曲や映画のパロディも多くあります。

大迷惑

ユニコーンを一躍人気バンドに押し上げた「大迷惑」は、仲が良かったソニー社員が単身赴任でみちのくに転勤させられた際に作った曲です。

おじいさん指揮者のオーケストラをバックに、髪を立てた奥田民生さんが「町のはずれで シュヴィドゥヴァー」と歌うMVは強烈なインパクト。

素晴らしい日々

一度ユニコーンが解散する直前にリリースされた「素晴らしい日々」。

「大迷惑」以降ユーモア路線に傾いていたユニコーンでしたが、


僕らは離ればなれ たまに会っても話題がない
いっしょにいたいけれど とにかく時間が足りない

とシリアスに始まるこの曲をリリースした約5か月後に、突然解散を発表しました。

さすらい

本格的にソロ活動を始めてすぐのライブツアー「ひとり股旅」、そのツアータイトルを付けた4th アルバム「股旅」に収録されているのが、「千鳥の相席食堂」のオープニングテーマにもなっている奥田民生さんの代表曲「さすらい」です。

奥田民生さんのトリビュート・アルバム「奥田民生・カバーズ」ではスピッツがカバーしています。

愛のために

ユニコーン解散後の初ソロ作品でミリオンヒットを記録した「愛のために」。

ゆるくてマイペースとよく言われる奥田民生さんですが、


あー 燃えているんだぜ 僕ごのみの
ワールド オブ ワールド
荒れる海原に船を出せ

と歌うアツイ曲です。

イージュー★ライダー

当時30歳の奥田民生さんがリリースしたのは、業界用語で30代をあらわすE10と映画「イージー・ライダー」をかけた「イージュー★ライダー 」です。

「東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…」テーマソングやマクドナルド「ベーコンポテトパイ」のCM曲になりました。

最後に

「悠々とマイペース」と形容されることも多い奥田民生さんですが、そのとき気になったことはなんでもやってみるという行動力も見逃せません。

気負うことなくゆるく自然体に好きなロックを続けている奥田民生さんがどんな曲を聴かせてくれるのか、今後も楽しみにしていましょう。

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