最果テルーティン – 萩山百花・ロングインタビュー | その原点から名曲誕生秘話まで

最果テルーティン – 萩山百花・ロングインタビュー | その原点から名曲誕生秘話まで

名曲“いなくなったもの”誕生の背景



—— “いなくなったもの”という楽曲についてお訊きします。
ライヴのハイライトとなる素晴らしい曲ですね。萩山さんも「大切な曲」と紹介されていました。
僕はこの曲を聴くと「祈り」という言葉が浮かんできます。
どのような経緯で誕生した楽曲なのでしょうか?


萩山:“いなくなったもの”は19歳の時に作ったんです。
わたしがすごく好きで尊敬していた愛媛のシンガーソングライターで濱川ケムリさんっていう方がいるんですけど、その方が活動休止するってなった時に…。ちょっと色々ありまして、今まで作ったCDを全部廃盤にします、MVも全部非公開にします、ってなっちゃったんです。
CDもライヴ会場で1枚は買えたんですけど、あとは全部売り切れちゃって…。
そういうことを濱川さんが言った時、なんかすごい悲しいなっていうのがあったんですよ。



—— <消えてしまった、消してしまった / あなたのメロディー>という歌詞は、そういった背景から生まれたものだったんですね。

萩山:ちょうどその時、チャットモンチーが活動休止というか解散しちゃったっていうか、もうやめちゃったじゃないですか活動を。(チャットモンチーの)ラストライブに行けなかった悔しさとかもあって…。
濱川さんのライヴを観た帰りの電車でチャットモンチーを聴きながら帰ったんですけど、すごい悲しかったんですよ。その時わたしは19歳で音楽を始めたてだし、そういう(音楽業界の)現状とかもまだバンドをしてなかったのでわからなくて…。



MEMO

“いなくなったもの”冒頭の歌詞は、チャットモンチーの“染まるよ”のオマージュです。



—— ファンの目線からでは見えないものもありますよね…。

萩山:わからないことも悲しいし、全てに対してすごい悲しかったというか、売れなくなるってこういうことかとか、すごい考えすぎて…。自分の知らない現実が悔しかったというか。
あとは、大学に入った時、周りのすごい才能を目の当たりして「これは自分にはないものだな」って感じたんです。
そういう気持ちを(濱川さんたちも)感じてたのかな、自分と同じ感情だったのかな、とか考えてたら、深夜に泣きながらギターで弾いてたのが“いなくなったもの”でした。



—— 書こうとしたのではなく、内面から自然とあふれ出てきたという感じですか?

萩山:そこからなんか歌詞がするする出てきたというか、なんかパンクしそうになりながら、頭がいっぱいいっぱいになりながら作ったというか…。
自分に対しての迷いもあったし、何をしたらいいのかもわからない、人より出来ない、コードも知らないしピアノも弾けない、何が出来るんですかって…。すごい自分を責めてた。今もそれはあるんですけど、昔はもっと責めてて、「お前はダメだ」って思い込んでたので…。
そういう時に大学の先生から「萩山はもっと自分の思ってることや感じてることをそのまんま曲にしたほうがいいよ」って言われて、それで書いた曲です。



—— 本当に名曲だと思います。

萩山:わたしが作ってきた曲の中で一番いい曲って言われるし、いろんな人が聴いて泣いてくれたりするし、「救われました」って言ってくれたりとか…。
自分のために「大丈夫だよ」って歌ってた曲が、どんどんどんどん人に愛される曲になっていって、それが今でも愛される曲になって…。



—— “いなくなったもの”を歌っている時はどんなことを考えていますか?

萩山:歌ってる時は、聴いている人のための曲になればいいなって思ってるし、今はコロナでもっと刺さる人が出てきてて…。だから質問にあった「祈り」っての間違いじゃなくて、わたしからの祈りっていうか、たくさんの人がこの曲を聴いて救われてほしい、年齢問わず「あなたは大丈夫だよ」って「そのまんまでいい、そのまんまがいい」って言えるような祈りの曲にはなっているかなと思いますね。

新曲“音楽家”について

—— 新曲“音楽家”についてお訊きします。
バンドマンの夢と理想、そして現実を歌った楽曲ですね。
萩山さんの本気で音楽に向き合う姿勢を感じさせる歌詞が胸に響きました。
3月に観させていただいたライヴでは「音楽をやりたくないと思った時期もあった」とおっしゃっていましたが、その時期を乗り越えて誕生した曲なのでしょうか?


萩山:“音楽家”を書いた時は、本当に等身大と言うか、なんかバンドをやってること(自体)がすごい楽しかったところから、やっぱりちょっと1ランク上に上がらなきゃいけないなって21歳になった時にすぐ思って。



—— 現状への危機感というか、ステップアップの必要性を感じたということですね。

萩山:2個上の先輩が23歳で、歌詞に出てくる先輩なんですけど、23の人達って大学卒業して、普通だったら就職してスーツ着て頑張ってる新卒1年目の年じゃないですか。
でもバンドやってて「大丈夫大丈夫。1年後には売れてるから」って言い続けてる人たちって、何をやって1年後に売れようとしてるんだろうっていうのがなんかちょっと分からなかったんですよ。
だから私は22歳になったんですけど、そういう奴らを黙らせる23歳に来年なりたいと思って。



—— おお!これは重要な宣言ですよ。

萩山:だから、「1年後に売れてる」って言ってる23の奴らに対して、「わたし、22で1年後に売れてます」って言えるぐらいのことするけどな!っていう挑戦状の意味も込めて言いました(笑) 21歳はいっぱいいっぱいの年だったから、22歳になってもっと余裕があって、売れるためのことをするバンドマンでありたいんです。
別に「お前らはダメ」と言ってないけど、今の“ライヴ行って友達と酒飲んで楽しい”みたいなのからは早く抜け出さないと駄目だぞっていうのを込めて。自分自身にも込めて。



—— 覚悟を見せるというか、そういう曲ですね。

萩山:わたし、バンドマンは好きですよ、人間臭くて。だからこそ、そういう人たちに聴かせてハッとさせたいってのもあります。
わたしたちのことが好きって言ってくれる人たち…まだ少ないですけど…言ってくれる人たちに対して予告と言うか、今この曲を出すことによって「来年売れてるかもしれない」と思わせたかったっていうのがあります。



—— これを読んで背筋を正したバンドマンいると思いますよ。

萩山:ちょっと前にツイートしたけど、“音楽家”って曲名なのにサビで「音楽家には一生になれない」って言ってるんです(笑)
わたしは音楽家じゃなくてバンドマンに…何を定義に音楽家と言うかわからないですけど…わたしは音楽家になりたかったわけではないかもしれない。バンドマンになりたかったんだと思うし、今のバンドマンも音楽家に本気でなりたいと思ってる奴って少ないんだろうなって思ってタイトルを付けました。何か言ってることが自分でも意味わかんないですけど(笑)



—— 「ミュージシャンとアーティスト」「職人と芸術家」じゃないですけど、そういう違いということですかね。これも感覚的なものですが…。

萩山:そうです。結構そういうことです。

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