【平成の歌姫】安室奈美恵の活動とは?経歴や楽曲を交えて解説!

【平成の歌姫】安室奈美恵の活動とは?経歴や楽曲を交えて解説!

今回の記事では平成の歌姫と謳われた歌手安室奈美恵の活動や魅力について解説してきます。

「安室奈美恵って聞いたことはあるけどあまり知らない」

「平成の歌姫がどんなキャリアを歩んだのか知りたい」

という方に必見の記事となっています。ぜひご覧ください。

安室奈美恵とは

安室奈美恵 (あむろ なみえ) avex official site

引用:安室奈美恵 (あむろ なみえ) avex official site

安室奈美恵の基本的なプロフィールは以下の通りとなっています。

  •  本名:安室奈美恵
  •  出身:沖縄県那覇市
  •  生年月日:1977年9月20日

安室奈美恵は90年代から2010年代にかけて、歌手として多くの記録を打ち立てて、日本のみならず台湾や韓国など海外でも活躍しています。

彼女には容姿淡麗な一面だけでなく、芯の強さや自分の考えや行動がブレないという意志の強さが見受けられます。

引退間際でもその歌唱力やスタイルの良さに衰えは感じられず、常にファンや聴衆の「Hero」で在り続けました。

安室奈美恵・経歴

次に平成の歌姫と謳われた彼女がどのようなキャリアを積み立ててきたのか、成功するまでの苦悩や苦難を解説していきます。

小学5年生の頃に養成所からスカウト

安室奈美恵は3兄弟の末っ子として生まれ、小学5年生の時に友達の付き添いでタレント養成所「沖縄アクターズスクール」に行くことになります。

それをきっかけに養成所の経営者であるマキノ正幸にスカウトされ、特待生として入校します。

その後、ローカル番組の出演や芝居の稽古をしていましたが、ジャネット・ジャクソンの楽曲「Rhythm Nation」のMVに衝撃を受け、歌とダンスに没頭するようになります。

1991年SUPERMONKEY’Sのメンバーに選出

中学2年生の時、アクターズ内のダンスグループ、SUPERMONKEY’Sの結成メンバーとして選出されます。

その後、日本の大手芸能会社であるライジングプロダクションとの契約を果たし、全国区での活動を開始、東芝EMI(現在のユニバーサルミュージック)よりメジャーデビューを果たします。

1995年シングルリリース

1995年1月には「TRY ME ~私を信じて~」をシングルリリースし、累計73万枚の大ヒットを果たします。

また同年4月には音楽バラエティ番組「THE夜もヒッパレ」でのレギュラー出演や

「太陽のSEASON」を単独名義でリリースするなど、

芸能界で着実に成果を残していきます。

小室哲哉プロデュースによる活動開始

同年の10月からシングルリリース時のプロデューサーであったMAX松浦の紹介で小室哲哉によるプロデュースが始まります。

ファーストアルバム「Body Feels EXIT」ではオリコンチャート1位を獲得。

安室奈美恵は初となるミリオンセラーを達成しました。

そこから2001年まで小室によるプロデュースは続き、シングル「think of me/no more tears」を最後に小室哲哉のもとを離れます。

2002年SUITESHICでの活動開始

プロデュースから離れた後も歌手としての活動は続き、2001年では初めて自身で歌詞を手掛けた「Say the word」のリリースや「第52回紅白歌合戦」に参加するなど、勢いは止まりません。

2002年7月には、1997年10月に結婚したSAMとの離婚するという心苦しい出来事も乗り越えながら、ZEEBRA、VERBALとのスペシャルプロジェクト「SUITE SHIC」を立ち上げます。

同年には「GOOD LIFE/Just Say So」をリリースし、R&B/HIP HOP志向での活動のきっかけとなります。

SUITESHIC活動初期での低迷期に悩まされますが、2005年にはソロデビュー10周年を迎えます。

2007年1月にリリースした「Baby Don’t Cry」では初動セールス5万枚を突破し、1995年の「太陽のSEASON」からオリコンチャート13年連続でトップ10入りするなど、この年から再ブレイクが始まります。

2015年ソロデビュー20周年

再ブレイク後は、ベストアルバム「BEST FICTION」のリリースや、ツアー「namie amuro BEST FICTION TOUR 2008-2009」での23都市64公演という異例の大規模ツアーを成功させます。

その他にも5大ドームツアーや全国ツアー、安室奈美恵初となるバラード・ベストアルバム「Ballada」のリリースという活躍を経て、2015年にはソロデビュー20周年を迎えました。

同年にライジングプロダクションを退社、avex内の新レーベルDimension Pointに移籍します。

2016年オリンピックテーマ曲「Hero」をリリース

2016年では同年に開催されたリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックでの放送テーマソング「Hero」をリリースします。

この楽曲のテーマは「誰にでもいる自分だけのヒーロー、いつかは自分も誰かのヒーローになれるように」というもので、壮大かつ「君だけのためのhero どんな日もそばにいるよ」という歌詞はオリンピック出場選手だけでなく応援する国民にも大きな勇気と希望を与えました。

2017年メジャーデビュー25周年

メジャーデビューから25年を迎える2017年には記念ライブ「namie amuro 25th ANNIVERSARY LIVE in OKINAWA」を9月16~17日に開催。

それに伴い25周年記念特設サイトが設立されるまでの盛り上げを見せます。

しかし、9月20日。40歳の誕生日を迎えた安室奈美恵は「長年心に思い、25周年を節目に決意しました。」と公式サイト上で引退を発表

同年の「第68回紅白歌合戦」では特別歌手枠として出演、瞬間最高視聴率は48.4%を記録するなど、音楽界だけでなく世間でも大きな反響を呼びました。

2018年電撃引退

最後の活動年である2018年には全国5大ドームの開催や、ジャパネットたかたの元社長 高田明によるツアーグッズの宣伝、化粧会社KOSEやファッションブランドH&Mとのコラボ企画など、最後までその人気や勢いは止まることなく活動が続きました。

そして、9月15日「WE ♥ NAMIE HANABI SHOW 前夜祭 ~I ♥ OKINAWA/I ♥ MUSIC~ supported by セブン-イレブン」でのサプライズゲストとして出演を最後に平成の歌姫としての幕を閉じることになります。

安室奈美恵・主なライブ

続いて、安室奈美恵のキャリアでも大規模で大きくファンを盛り上げたライブを紹介していきます。

どのライブでも安室奈美恵らしい堂々とした姿で晴れ舞台を飾っています。

1997年「mistio presents namie amuro SUMMER STAGE 1997 concentration 20」

この自身初となる4大ドームツアーでは、東京、名古屋、大阪、福岡でドーム公演を行いました。

約30万人ものファンを動員し、小室プロデュース初期の踊りが少ないパフォーマンスであったり、ギャルを強調した安室奈美恵の姿はとてもフレッシュで見た人全員をくぎ付けにする魅力があります。

Namie Amuro Concentration 20 in Tokyo Dome

 

引用:Amazon.co.jp Namie Amuro Concentration 20 in Tokyo Dome (限定スペシャルプライス盤) (数量生産限定盤) [DVD]

2006年「namie amuro BEST tour -Live style 2006-」

この全国アリーナツアーでは、1997年行われた4大ドームツアー以来の大規模ツアーとなり、約22万人を動員、全国ツアーでは安室奈美恵史上最大の動員数を記録します。

安室奈美恵自身もインタビューで「前のライブでは私の事を知らない人が多かったから、今回では安室がどういう人なのかを見せたかった」と語っており、ダンスの完成度も以前より増し、踊りながら歌える歌手としてその実力を見せつけました。

namie amuro BEST tour “LIVE STYLE 2006”

引用:Amazon.co.jp namie amuro BEST tour “LIVE STYLE 2006” [Blu-ray]

2008年「namie amuro BEST FICTION tour 2008-2009」

自身のベストアルバムである「BEST FICTION」の全国アリーナツアーでは動員数50万人を突破し、前回の2006年に行われたアリーナツアーの記録を大きく塗り替えました。

パフォーマンスではいつもに増してダンスがハードとなっており、途中で息切れしてしまう場面などありますが、「これが私」といわんばかりの堂々とした姿はアムラー(ファンの総称)をより一層惹きつけるパフォーマンスになります。

namie amuro BEST FICTION TOUR 2008-2009

引用:Amazon.co.jp namie amuro BEST FICTION TOUR 2008-2009 [Blu-ray]

2012年「namie amuro 5大ドーム TOUR 2012 ~20th Anniversary Best~」

この約15年ぶりとなるドームツアーでは約34万人を動員します。20周年の特設サイトでは歌って欲しい楽曲の投票が行われ、東芝EMI時代や、小室プロデュース時代の楽曲である「TRY ME ~私を信じて~」や「Body Feels EXIT」が披露されました。

安室奈美恵の若い頃の声と現在の声の変化を楽しみながら、過去の楽曲を振り返ることができるドームツアーとなりました。

namie amuro 5 Major Domes Tour 2012 ~20th Anniversary Best~

引用:Amazon.co.jp namie amuro 5 Major Domes Tour 2012 ~20th Anniversary Best~ (Blu-ray Disc)

2018年「namie amuro Final Tour 2018 ~Finally~」

このラストツアーでは全国5大ドームや香港、台湾のコンサート会場でも行われ、75万人を動員、国内ソロ歌手によるツアーの最多動員数を塗り替えました。

ラストツアーのため全国から510万件を超える応募が殺到し、会場外では抽選に落ちたアムラーたちが押し掛け、世間で大きな話題となりました。

最後ということで豪華な衣装でパフォーマンスをしており、ラストMCでは

「今日はどうもありがとうございました!デビューして25年、色々なことを体験したり、たくさんのファンの皆さんに出会うことができました。25年間、ありがとうございました!みんな元気でね!バイバーイ!」

と途中涙ぐむ様子もありましたが、最後は笑顔でラストツアーを締めくくりました。

安室奈美恵・現在

さて、オリコンチャートやツアーの動員数などで多くの記録を打ち立てた彼女が現在はどのような活動しているのかを解説していきます。

現在2021年では

 

  • ジャニーズJr.のプロデューサー
  • プライベートレーベル内での仕事

 

が有力説として挙がっています。

2017年引退発表後のNHK番組「告白」では

「引退したら、世界中を旅したい。いずれ音楽好きな連中と集うことができるライブハウスやジャズクラブをつくりたい。」

と今後の活動や方針ついて語っています。

他にも「引退後はプロデュース業に回って若手の育成に励む」とコメントしており、いずれも音楽に関する活動をしていることは確かと考えられます。

プライベートではロンドンや地元沖縄での目撃情報が挙がっており、世界旅行や地元への帰省時に目撃されたと考えられます。

なお現在は一般人として生活しており、安室奈美恵の専属代理弁護人から「取材自粛要請」が忠告されているので、プライベートでの情報が集めにくい状況となっています。

まとめ

いかがでしょうか?以上が安室奈美恵の経歴や、開催されたライブになります。

今回の記事をまとめると以下の通りになります。

  •  小学5年生の時にスカウトされ歌手を志す
  •  プロデューサーやプロジェクトでの活動で数多くの人気を呼ぶ
  •  2017年に引退発表をし2018年に電撃引退する
  • 現在は一般人として生活しており音楽活動は続いている
  • 平成の歌姫としてその身を飾り日本を代表する歌手である

過去には実母を事件で亡くしたり、TRFのSAMとの離婚など悲劇的な出来事もありましたが、人を支えるようとする歌詞力強いパフォーマンスで人気を集め続け、国民的「Hero」のまま歌手としての生涯を終えました。

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