マイケル・ジャクソン|「人類史上最も成功したエンターテイナー」の功績と作品をご紹介!

マイケル・ジャクソン|「人類史上最も成功したエンターテイナー」の功績と作品をご紹介!

「人類史上最も成功したエンターテイナー」とは、誰のことかお分かりでしょうか?

エルヴィス・プレスリーレディー・ガガ?あるいはBTSでしょうか?いずれも素晴らしいエンターテイナーですが、ギネス記録が認定する「人類史上最も成功したエンターテイナー」は別の人物です。

その人物こそが、マイケル・ジャクソン

「キング・オブ・ポップ」と称される彼は間違いなく音楽史に永遠に残る巨人の1人であり、誰もが一度は彼の音楽や映像を目にしたことがあるでしょう。

しかしあまりに有名すぎるためか、マイケル・ジャクソンが如何に偉大な人物かを正しく認識している人はそう多くないかもしれません。

この記事では知っているようで実は知らない、マイケル・ジャクソンの生涯や功績、素晴らしい作品の数々について徹底的に解説していきます。

マイケル・ジャクソンの軌跡

彼のアーティストとしてのキャリアは、ジャクソン家の兄弟で結成されたグループ、ジャクソン5のリード・シンガーとして始まります。

加入当時まだ5歳のマイケルですが、圧倒的な歌唱力とパフォーマンスはこの頃から既に健在。

1967年にはブラック・ミュージックの殿堂、アポロ・シアターでもライヴを行いました。

そして1969年、ダイアナ・ロスマーヴィン・ゲイといったスターを輩出した大手レーベル、モータウンとの契約にこぎつけ、シングル『帰ってほしいの』で満を持してメジャー・デビュー。

デビュー・シングルにして全米1位の大ヒットを記録し、続く『ABC』『小さな経験』『アイル・ビー・ゼア』デビューから4曲連続でチャート首位を獲得するという前人未到の偉業を成し遂げます。

1975年にモータウンからエピック・レコードに移籍し、グループ名もジャクソンズに改めた彼らですが、その人気には徐々に陰りが出てきます。

しかしエピック移籍後の3rdアルバム、『デスティニー〜今夜はブギー・ナイト』ではプロデュースに参加し、マイケルと弟ランディの共作シングル『シェイク・ユア・ボディ』と共にヒットを記録。アイドルからアーティストへの脱皮に成功しました。

その成功だけでは満足しなかったマイケルは、ソロ・アーティストとして独立することを望むようになります。

1979年、多くのアーティストを手掛けた名プロデューサー、クインシー・ジョーンズとのタッグ体制で発表された実質的なソロ1stアルバム『オフ・ザ・ウォール』は見事大ヒット。

マイケルが単独で作詞作曲した先行シングル『今夜はドント・ストップ』もチャート首位を獲得し、アーティストとしての成功を手にします。

そして1982年、『オフ・ザ・ウォール』に続くアルバムとして発表された『スリラー』は前作を上回る巨大な成功を収め、彼は確固たる地位を獲得します。

音楽としての素晴らしさはもちろんのこと、衝撃的なミュージック・ビデオの数々でも話題を集め空前絶後のセールスを記録。現在までに少なくとも6000万枚、推定1億枚とも言われるその売上は、史上最も売れたアルバムとしてギネス記録にも輝いています。

マイケルの快進撃はまだまだ止まりません。1983年に古巣モータウンの25周年記念イベントに出演し、新曲の『ビリー・ジーン』を披露します。

そのステージで彼が見せたのが、あのムーンウォーク。誰も見たことのない超人的なそのダンスは瞬く間に話題となり、マイケル・ジャクソンを象徴するパフォーマンスの1つとなりました。

翌年の1984年に開催された第26回グラミー賞では、主要2部門を含む8部門でグラミーを獲得。この記録は未だ破られていない金字塔です。

続く1985年にはアメリカの著名アーティストが一堂に会したチャリティ・プロジェクト、「USAフォー・アフリカ」の中心人物として、世紀の名曲『ウィ・アー・ザ・ワールド』ライオネル・リッチーと共作します。

1987年発表のアルバム『バッド』から発表したシングルは5曲連続で全米1位を獲得し、アルバム発表と共に開催されたワールド・ツアーでは観客動員数の最多記録を塗り替えます

1990年代に入るとクインシー・ジョーンズとのタッグを解消し、アルバム『デンジャラス』を1991年に発表。『バッド』を超えるヒット作となり、スーパースターの貫禄を見せつけます。

1993年には、アメリカンフットボールの優勝決定戦「スーパーボウル」のハーフタイム・ショーに出演します。マイケルのパフォーマンスはなんと試合よりも高い視聴率をマークし、ハーフタイム・ショーに著名アーティストが出演する先駆けとなりました。

正に「キング・オブ・ポップ」、未だかつてない規模の成功を残したマイケルですが、1990年代後半からはスキャンダルによって人気が低迷。

児童への性的虐待疑惑は彼の財産を狙ったでっち上げの陰謀でしたが、彼の絶対的な評価は失墜してしまいます。

その後『ヒストリー』『インヴィンシブル』とアルバムを発表しますが、かつてほどのセールスは記録できず、彼は「かつてのスーパースター」として人々から忘れ去られようとしていました。

しかし2009年、彼は長い沈黙を破り活動を再開します。

ロンドンで実に8年ぶりとなるコンサート、「THIS IS IT」の開催を発表。全50公演のチケットは瞬く間にソールド・アウトし、全世界が「キング・オブ・ポップ」の復活劇を待ちわびました。

しかしコンサート初日を2週間後に控えた6月25日、彼はロサンゼルスの自宅で亡くなってしまいます。

長く患っていた尋常性白斑との闘病や、1984年に頭部に負った大火傷の後遺症、そして度重なる事実無根の醜聞による多大なストレスから彼は長年鎮痛剤を服用していましたが、その過剰投与が死因とされています。

「キング・オブ・ポップ」の突然の、そしてあまりにも早すぎる死。世界中が彼の喪失を惜しみ、皮肉なことに彼の偉大さは彼の死をもって再認識されることになったのです。

マイケル・ジャクソンの傑作ミュージック・ビデオ5選

さて、マイケル・ジャクソンの生涯を生涯を解説してきましたが、ここからはいよいよ彼の音楽について見ていきましょう。

『スリラー』の大ヒットの背景に革新的ミュージック・ビデオによるプロモーションがあったという話を先ほどしましたが、彼の偉業の1つに「音楽の視覚的要素の追求」というものがあります。

旧来のMVのあり方を変え、多額の予算やインパクトのある演出を取り入れることで映像としてのクオリティを追い求めたことは音楽の歴史において重要な意味を持ちます。

ここからは、彼の生み出した珠玉のビデオから厳選して5作品を発表順にご紹介します。

『今夜はビート・イット』(1983)

1つ目はアルバム『スリラー』からの3rdシングル、『今夜はビート・イット』

ギターにあのエディ・ヴァン・ヘイレンを迎えたロック・チューンです。

ギャングの抗争をマイケルが歌とダンスで止めるという如何にもなストーリー仕立てのビデオですが、ストーリー仕立てのMVというのがそもそも革新的なアイデアでした。

傑作ミュージカル『ウエスト・サイド物語』をオマージュしたダンス・シーンでは、バック・ダンサーを従えてパフォーマンスをするというスタイルを確立。

このビデオにまつわる有名なエピソードとして、ビデオに登場するギャング達はほとんど全員が本物のギャングの構成員だったというものがあります。

映像にリアリティを持たせるためのこの大胆なアイデアからは、マイケル・ジャクソンのビデオに対する情熱がうかがえます。

あわせて読みたい!

『スリラー』(1983)

次に紹介するのは、同じくアルバム『スリラー』より表題曲の『スリラー』です。

ゾンビと共に踊るマイケルの姿を一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

彼は後に自身のMVを「ショート・フィルム(短い映画)」と表現するようになりますが、この『スリラー』は正に「ショート・フィルム」と呼ぶに相応しい作品です。

通常の予算のおよそ10倍、50万ドルを投じて制作されたこのビデオは、音楽専門チャンネルMTVでヘビー・ローテーションされ、ミュージック・ビデオの時代の到来の象徴となりました。

MTVが選出した「今まで作られたミュージック・ビデオの中で最も偉大なベスト100」では見事1位MVとしては唯一アメリカ議会図書館で永久保存されているMVの枠を超えた文化史上の記念碑というべき傑作です。

『バッド』(1987)

アルバム『バッド』の表題曲『バッド』のビデオは、よりストーリー性やドラマ性を追求した作品です。

監督にあの『タクシードライバー』などで知られるマーティン・スコセッシを起用したことでも話題になりました。

バックルのついた黒い衣装や、地下鉄の駅で不良と共にダンスをするマイケルの姿は有名ですが、このビデオにもストーリーがあることはあまり知られていないのではないでしょうか。

強盗と間違えられた青年が私服警官に射殺された実際の事件をモチーフにしたこのビデオでは、治安の悪い地域から努力の末進学した主人公が、旧友と仲違いし対立してしまうという悲しいストーリーが展開されます。

ドラマ部分を白黒で、本編である音楽のパートはカラーという映像演出もユニークな、マイケルのビデオの中でも有数の名作です。

『スムーズ・クリミナル』(1988)

4つ目は『バッド』からの第7弾シングル『スムーズ・クリミナル』

初出は1988年公開のマイケル主演の映画、『ムーンウォーカー』でのワン・シーンです。

1930年代のクラブを舞台に、マイケルが敬愛する俳優、フレッド・アステアへのオマージュが盛り込まれた作品ですが、このビデオ最大の見どころは、なんと言っても「ゼロ・グラヴィティ」でしょう。

直立した状態から体を45度まで傾けるという離れ業は、靴に仕掛けられたフックの仕掛けが可能にしています。

しかしこのパフォーマンスは相当な筋力を必要とし、彼のダンスにかける並外れた努力や執念なくしては実現しません。

白のスーツと帽子に身を包みマフィアと共に踊る姿は、絶頂期の彼のオーラとあいまって非常にクールです。

『ブラック・オア・ホワイト』(1991)

最後に紹介するのは、アルバム『デンジャラス』のリード・シングル、『ブラック・オア・ホワイト』です。

当時最先端のモーフィングというCGの使用や『ホーム・アローン』シリーズのマコーレ・カルキンの登場など、様々な話題を生んだ作品。

インディアンとの群舞に始まり、インドやロシアといった世界中の国々を舞台にした映像は、楽曲の「肌の色なんて関係ない」という痛烈なメッセージを反映したもの。

そしてそのメッセージはビデオ後半、深夜の街でのダンス・シーンで最も強烈に示されます。

マイケルの息遣いや彼の手足が空を切る音以外は無音という正真正銘彼のダンスのみで魅せる展開ですが、人種差別への怒りに満ちた過激なパフォーマンスはMTVで放送禁止になるほど

ここまでに紹介した4作品のようにストーリーのあるビデオではありませんが、ある意味では最もマイケル・ジャクソンらしい作品と言えるでしょう。

マイケル・ジャクソン入門のためのアルバム3選

さて、ミュージック・ビデオのイノベーターとしてのマイケル・ジャクソンの偉大さに関してはここまでに見てきた通りです。

しかし彼は「ミュージシャン」。ビデオでの演出やダンス・パフォーマンスもその魅力の一部ですが、音楽家としての才能も間違いなく史上最高峰です。

ここからは彼の音楽を理解するためには是非とも聴いていただきたい3枚のアルバムをご紹介します。

『スリラー』(1982)

まずはやはりこの作品でしょう。1982年発表のアルバム『スリラー』です。

ここまでにもご説明した通り、推定1億枚とも言われる桁違いのセールスを記録した、史上最も売れた音楽アルバムです。

名実ともに彼の最高傑作であるこの作品は、先ほどビデオを紹介した『スリラー』『今夜はビート・イット』に加え、マイケル最大のヒット曲である『ビリー・ジーン』、コンサートで欠かさず演奏された『スタート・サムシング』、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスもカバーした名バラード『ヒューマン・ネイチャー』と代表曲揃い。

ポール・マッカートニーエディ・ヴァン・ヘイレンといった白人ロック・スターをゲストに招き、人種やジャンルに縛られないポップスを凝縮したこの作品で、彼は「ブラック・ミュージック」のレッテルを剥がすことに見事成功します。

マイケル・ジャクソンが「キング・オブ・ポップ」たる所以、それがこの作品と言っても過言ではありません。

『オフ・ザ・ウォール』(1979)

マイケルの実質的ソロ・デビュー作である『オフ・ザ・ウォール』は、音楽ファンからの支持の厚い名作です。

クインシー・ジョーンズとの初タッグで制作された作品で、脇を固めるミュージシャンもクインシー傘下のベテラン揃い。

ポール・マッカートニースティーヴィー・ワンダーが楽曲提供しており、そのクオリティは折り紙つきと言っていいでしょう。

その中でマイケルは弱冠20歳とは思えない素晴らしい歌唱を披露。リード・シングル『今夜はドント・ストップ』を含む3曲では作曲にも参加しています。

ブラック・ミュージックの名盤として、一部のファンからは『スリラー』以上の名作との呼び声も高いアルバムです。

『ヴェリー・ベスト・オブ・ジャクソン5/ジャクソンズ』

最後に紹介するのはジャクソン5、そしてジャクソンズ時代の楽曲を収録したベスト盤です。

ソロ・アーティストとしてのマイケル・ジャクソンは聴いていてもこの時代の楽曲はよく知らない……という方も多いかと思いますが、そういった方にはうってつけの作品です。

デビュー・シングル『帰ってほしいの』『ABC』といったジャクソン5のクラシックに、『ベンのテーマ』『ガット・トゥー・ビー・ゼア』のようなソロ名義での名曲、『シェイク・ユア・ボディ』を筆頭としたファンキーなジャクソンズ時代の楽曲まで網羅した決定盤のような内容。

ジャクソン5とジャクソンズの楽曲両方を収録したベストは実は多くありませんが、このベスト盤ならば彼の初期キャリアを縦断して楽しむことができるのではないでしょうか。

おわりに

今回は「キング・オブ・ポップ」、マイケル・ジャクソンについて徹底的に解説していきました。

彼の生涯の解説の部分で触れましたが、彼は生前多くのゴシップや誹謗中傷によって不当にその評価を貶められてきました。

しかしそれはマイケル・ジャクソンの偉大さにはなんの関係もない事柄です。

彼は人類史上有数の優れた音楽家であり、極めて偉大なエンターテイナーです。絶対不変の事実として。

この記事で少しでもマイケル・ジャクソンに関心を持っていただければ、そして彼の偉大さに心を向けてくれればとても嬉しいです。

この記事をシェアをしよう!

この記事を書いた人

この記事に関連するタグ

関連記事

新着記事