ダウンタウン お笑いの歴史を変えた最強コンビの経歴と魅力とは…?

ダウンタウン  お笑いの歴史を変えた最強コンビの経歴と魅力とは…?

ダウンタウンなうや紅白歌合戦と並んで年末恒例となっているダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の特別番組笑ってはいけないシリーズなど、数多くのテレビ番組で活躍しているダウンタウン

ウッチャンナンチャンとんねるずと共にお笑い第三世代として扱われていますが、どのようにしてお笑いの世界で不動の地位を築いてきたのでしょうか。

今回はダウンタウンの歴史やエピソード、そして浜田さんと松本さんについて深掘りして紹介します!

ダウンタウンとは

ダウンタウン吉本興業に所属しているお笑いコンビです。二人とも1963年生まれで現在の年齢は57歳です。

浜田さんと松本さんは尼崎市立潮小学校の同級生として出会いました。二人とも「養成所」として有名なNSC大阪の1期生です。

NSCに在籍している時から毎日放送の「素人名人会」で名人賞を受賞したり、第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞を受賞したりと頭角を現していました。


島田紳助さんは引退会見の際、解散理由の一つとして「ダウンタウンには勝てない」と言ったらしい。
先輩芸人にそう言わせる程の実力の持ち主だったんだね!

NSC卒業後は、心斎橋筋2丁目劇場で定期ライブを開催したり、第5回ABC漫才・落語新人コンクールで最優秀新人賞を受賞したり、地上波のテレビ番組に出演することで人気を博していきました。

最近では第七世代と言われる若手が注目されることが多いですが、第三世代と言われるダウンタウンのお二人は今も地上波の最前線で活躍されていますね。

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若手時代の兄貴分的存在だった吉本興業の社員大崎洋さんは、現在吉本興業の社長になっているよ!

当初は大阪を中心に活動していましたが、1989年以降は本格的に東京に進出し多くのテレビ番組に出演していきます。

それではダウンタウンについて、もっと詳しく見ていきましょう。

ダウンタウン コンビ名の由来は?

現在のコンビ名であるダウンタウンに落ち着いたのは、1983年です。

それまでは松本・浜田てるお・はるおまさし・ひとしなどコンビ名が定着していませんでしたがある日喫茶店で偶然読んだ雑誌の中からダウンタウンと決めたそうです。

ちなみに、ダウンタウン(downtown)は英語で商業地区、都市部という意味です。

ダウンタウンのプロフィール

浜田 雅功(はまだ まさとし)

浜田さんは1963年5月11日生まれで、漫才ではツッコミを担当しています。

やんちゃだった中学生時代

中学生の頃のいたずら(同級生の家のドアをノコギリで壊す)が原因で、高校はスパルタ教育で有名な全寮制高校(日生学園)に入学することになります。


トイレ掃除を素手で全力で行うような厳しさだったらしい!時代を感じるね!

芸能界に入ってからの活躍

浜田さんは俳優志向が強く、東京進出後はひとりぼっちの君に竜馬におまかせ!など複数のドラマにも出演しています。

MEMO


浜田さんはドラマ出演時のみ「濵田雅功」名義を使うことがあります。

また、浜田さんは小室哲哉さんとのユニットH Jungle with tとしてCDを出しています。

1枚目のシングルWOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメントは累計200万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、紅白歌合戦にも出場しました。

この曲はユニット名にも入っている「ジャングル」という音楽ジャンルの中で、世界一売れたと評されるくらいの人気でした。

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プライベートと家族

芸人仲間の間で浜田さんは天然・ドSで有名なようです。


たしかにテレビ番組を観ていても激しいツッコミの印象があるね!

また、1989年に女優の小川菜摘さんとご結婚されており、長男のハマ・オカモトさんはミュージシャンとして活躍しています。

松本 人志(まつもと ひとし)

松本さんは1963年9月8日生まれで、ボケとネタ作成を担当しています。

浜田さんとは対照的にお笑いを軸にした活動にこだわっています。

1994年には入場料が10,000円のライブを開催し、1995年には日本武道館で一人で単独ライブを開催しています。

さらに、2001年から始まったM-1グランプリでは第1回から審査員を務め、審査員としての出演回数では最多となっています。

お笑い以外の活動としては、雑誌での連載を書籍化した「遺書」「松本」を出版したり、2007年には松本さん自身が主演を演じた映画「大日本人」の映画監督を務めたりしています。

「大日本人」はカンヌ国際映画祭の監督週間に上映され、話題となりました。

お笑いに関する逸話

お題を与えられて回答をフリップボードやホワイトボードに書くスタイルの大喜利を広めた第一人者と言われています。

大喜利が得意な芸人を集めて大喜利No.1を決める番組IPPONグランプリではチェアマンを務めています。

さらに、お笑い界の用語「すべる(冗談やギャグ、エピソードトークがウケず微妙な空気になること)」や「空気を読む(場の雰囲気を掴んでコミュニケーションを行うこと)」は松本さんが広めたと言われています。

また、浜田さんの楽曲WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメントの曲中に登場しており、中盤でBUSAIKU HAMADA(ブサイク浜田)と言い、終盤では浜田さんと出会った時の印象を曲中で普通に話しています。

これらのエピソードから松本さんは活躍の場を広げつつも軸をお笑いに置いて、常に笑いを発生させることを大切にしていると言えますね。

プライベートと家族

2009年に元タレントの伊原凛さんとご結婚されています。

松本さんはここ数年筋トレに励んでいるようで、昔の映像と比較するとだいぶ身体つきがよくなっています。

写真からわかる通り、相当鍛えているようです。

筋トレを始めた理由はゲームをしている時に登場人物がムキムキで自分が情けなくなったからという理由と、子供ができて守るべきものができたからという理由の二つを話されています。

どちらの理由にしろ、昔の松本さんの姿と見比べると相当ストイックに筋トレを続けているようです。

人気番組をピックアップ

テレビで見かけない日はないと言っても過言ではないほど、ダウンタウンのお二人を見る機会は多いですがその中でもダウンタウンらしさを楽しめる番組をご紹介します。

ダウンタウンなう

ダウンタウンなうは2015年からフジテレビ系列で放送開始したバラエティ番組です。

番組内の本音でハシゴ酒という企画では、ダウンタウンが司会として進行を行い、ゲストから本音話や暴露話を聞いていきます。

本音でハシゴ酒内で話された内容はネットニュースの記事になることも多いです。

人志松本のすべらない話

人志松本のすべらない話は2004年からフジテレビ系列で放送されているバラエティ番組です。

松本さんと芸人が出演し、松本さんが各面に出演者の名前が書かれているサイコロを振り、出た面に名前が書いてある出演者がすべらない話をすることで番組は進みます。

MEMO


トークスキルのみで勝負する場であり、収録現場は松本さんですら緊張するそうです。

売れていない芸人でも面白い話を持っているというコンセプトからスタートし、実際に千原兄弟さんや宮川大輔さんが広く認知されるきっかけとなりました。

笑ってはいけないシリーズ

もともと日本テレビ制作の番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」内の罰ゲームとして始まりました。

現在のように大晦日の年越し番組として放送されるようになったのは、2006年からです。

引率役としておなじみの藤原寛さんはダウンタウンの元マネージャーであり、現在は吉本興業の副社長です。

余談ですが、現在の吉本興業の代表取締役社長岡本昭彦さんもダウンタウンのマネージャーの経験があり、ダウンタウン自身だけでなくマネージャーも出世しています

最後に…

以上、大人気お笑いコンビ「ダウンタウン」のプロフィールと経歴、ネタの特徴、コンビ名の由来などをご紹介しました。

最近ではお笑いコンビの中で目立たない方が「じゃないほう芸人」と言われることもありますが、ダウンタウンにそれを適用するのは難しいと言えるでしょう。

ダウンタウンの今後の活躍からも目が離せませんね♪

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