ビートたけしさん、明石家さんまさんと並んでお笑い界のビッグ3の一人であるタモリさん。
今回はタモリさんこと森田 一義(もりた かずよし)さんの経歴やこれまでの活動、エピソードなどご紹介します!
目次
タモリさんとは
タモリ(森田 一義)さんは田辺エージェンシーに所属しているタレントで、年齢は75歳(2021年時点)です。
1982年から2014年までの30年以上に渡りタモリさんが司会を務めていた「森田一義アワー 笑っていいとも!」は誰でも一度は観たことがあると思います。
同じ事務所の芸能人としては研ナオコさん、堺雅人さんらがいらっしゃいます。
タモリさんといえば博識な大人の司会者というイメージが強いかもしれませんが、実はデビュー当初は今のタモリさんからは想像できない全く違うキャラクターでした。
お笑いビッグ3である明石家さんまさん、ビートたけしさん、タモリさんの3人をあえて比較するとすれば、どのような違いがあるのでしょうか。
明石家さんまさんとビートたけしさんは彼ら自身を売りにした番組が多いですが、タモリさんはどちらかというと出演者目当ての視聴者がいる番組の司会を務めることが多いと言えるでしょう。
また、明石家さんまさんは「自分自身が前に前に」という積極性が強い印象がある一方で、タモリさんとビートたけしさんはさんまさんとは対照的に、一歩引いて相手の出方を伺いながらトークを展開すると言えます。
それでは、タモリさんをもっと詳しくみていきましょう!
タモリさんのプロフィール
生い立ち
タモリさんは1945年8月22日に福岡県福岡市にて誕生しました。
小さい頃から大人びており、幼稚園の見学に行った際に園児のお遊戯を見て「自分にはできない」と思い入園を拒否したという逸話があります。
幼いながらも人間観察が趣味で毎日坂道に立って人間観察をして過ごしていましたが、小学3年生の時に電柱のワイヤーに顔をぶつけ右目を失明してしまいます。
小学校卒業後は福岡市立高宮中学校、福岡県立筑紫丘高等学校と進学し大学受験の際には浪人を経験します。
浪人期間を経て早稲田大学に進学し、ジャズ研究会に入りジャズの造詣を深めていきますが学費未納のため大学3年生の時に除籍処分となってしまいます。
芸能人としてデビュー
大学に行かなくなってからは福岡に戻り、保険外交員やボウリング場の支配人などの職に就きます。
ある日ジャズピアニストの山下洋輔さんがいる飲み会に飛び入り参加しインチキ外国語での言い合いや、持ちネタを披露したところ山下さんに気に入られました。
山下さんとの交流をきっかけに、東京に行く機会が増え活動の拠点を徐々に東京に移していきます。
東京では「天才バカボン」の作者としても有名な赤塚不二夫さんと知り合い、赤塚さんに気に入られ住居や小遣いの支援を受けながら芸能界デビューし、テレビ番組への出演を増やしていきます。
タモリさんは芸能界に入るにあたり、自分に対して4つの戒律を定めました。
それは「誰の弟子にもならない」、「組織には属さない」、「頭をなるべくさげずにカネをもうける」、「色紙にサインをするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない」というものです。
反知性から博識キャラクターへ転向
タモリさんがデビュー当初に行っていた芸は密室芸と呼ばれていました。密室、つまり「外では公開できない芸」のことでブラックジョークや下ネタを得意としていました。
当時のタモリさんは江頭2:50さんの芸風に近かったみたいだよ!
しかし徐々にそうしたアンダーグラウンドな芸を披露する機会を減らしていき、どちらかと言えば知性的な面を押し出していくようになりました。
その後は「笑っていいとも!」や「タモリ倶楽部」などの冠番組を持つようになり、1983年にはNHK紅白歌合戦の総合司会を務めました。
他にも「ミュージックステーション」や「タモリの音楽は世界だ!」、「タモリのボキャブラ天国」、「タモリのジャポニカロゴス」、「ブラタモリ」など多くの番組を持つようになり、現在でも精力的に活動を続けています。
昼の顔として方向転換しつつも「タモリ倶楽部」のような深夜番組も担当していたよ!
意外と知らない?タモリさんの持ちネタ
近年はタモリさんと言えば昼の顔というイメージが強いかもしれませんが、デビュー当初はキワモノ芸人として独特の芸を得意としていました。
代表的な芸をいくつかご紹介します。
イグアナのモノマネ
白いブリーフを履いてイグアナの形態模写(モノマネ)を行う芸です。
誇張モノマネでお馴染みのピン芸人、ハリウッドザコシショウさんはあるインタビューでパンツ一丁でモノマネを行うスタイルはタモリさんのオマージュであると言っています。
Too Sweet pic.twitter.com/cbNdncofbw
— ハリウッドザコシショウ (@zakoshisyoh) February 3, 2021
ハリウッドザコシショウさんも最初は白いパンツでしたが「いやらしい感じに見える」と言われ黒いパンツに変更したそうです。
四ヶ国語麻雀
一人で麻雀卓に座り、四つの言語を使って麻雀を行う芸です。
中国語や朝鮮語、英語、ロシア語などの言語を使っていましたが、いずれもインチキなので現地では通用しません。
しかし、イントネーションや抑揚、テンポは各言語らしさを再現しているのでその言語について深く知らなければ本当にその言語を話しているように聞こえます。
中洲産業大学教授
架空の大学「中洲産業大学」に勤めている教授になりきり、デタラメな講義を行う芸です。
中洲産業大学という名称は、福岡の繁華街「中洲」から拝借しつつ、産業界のいかがわしい雰囲気が好きという理由で名付けたそうです。
話の中身はデタラメですが様々なテーマに対してもっともらしい言い方で解説している様子を見ていると、「よく即興でそんなに言葉が出てくるなあ」とタモリさんの頭の回転の速さに感服させられます。
知る人ぞ知る!タモリさんのエピソード
流行語メーカー
ネクラ(根の性格が暗い)やネアカ(根の性格が明るい)、ダ埼玉(ダサい埼玉)という言葉を広めたと言われています。
タモリさんが卓球は根暗と発言した翌年、中高の卓球部入部者数が激減したと言われているよ!
他にも愛知県名古屋市を揶揄するため、「エビフリャー」というエビフライを名古屋弁風にした単語を考案し、名古屋といえば独特のコンプレックスを持った市民性があるというイメージを浸透させたと言われています。
先見の明
お笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」に、審査員として出演していた際、他の審査員があまり評価していなかったにも関わらずとんねるずを赤塚さんとタモリさんだけが評価していました。
こうした経緯もあり、とんねるずの石橋さんと木梨さんはタモリさんを尊敬しています。
ギネス記録
タモリさんは「笑っていいとも!」がきっかけで、生放送単独司会世界最高記録としてギネスブックに載っています。
圧倒的な知名度
2020年に放送された、テレビ番組「水曜日のダウンタウン」内の企画「古今東西 日本人知名度ランキング」では第1位(97.4%)を獲得しています。
ちなみに、2位が黒柳徹子さんで3位が安倍晋三さんでした。
プライベートや交友関係
プライベートでは、タモリさんは1970年に一般女性とご結婚されています。
幅広い交友関係を持っていますが、黒柳徹子さんやとんねるず、草彅剛さん、所ジョージさんは特に親交が深いようです。
最後に…
以上、タモリさんのプロフィールと経歴、ネタ、エピソードなどを紹介してきました。
司会者としてだけでなく、博識を活かして冠番組まで担当してきたタモリさん。
今後の活躍からも目が離せませんね♪
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