人間椅子(にんげんいす)メンバーの年齢、名前、意外な経歴とは…?

人間椅子(にんげんいす)メンバーの年齢、名前、意外な経歴とは…?

人間椅子って知ってる?

奥様…

あ。それは江戸川乱歩の『人間椅子』…。
僕の言い方が悪かったね…。
人間椅子っていうロックバンドを知ってるかな?

知らないなあ…。
でも、江戸川乱歩のファンとしては興味あるよ。
人間椅子について教えてもらえるかな、奥様?

奥様から離れようか…。
それでは、今や各方面から大注目の人間椅子をご紹介しましょう。

2019年に公開されたMV“無情のスキャット”がYouTubeで800万回以上の再生回数を叩き出し、国内外から熱い視線を浴びるロックバンド人間椅子(にんげんいす)

1989年のデビュー以降、20枚以上のフルアルバムを発表しているベテランロックトリオである人間椅子は、デビュー25周年を目前とした2013年頃から人気が急カーブを描いて上昇しており、ここ数年は“人間椅子フィーバー”さながらの盛り上がりを見せています。

しかし、“和製Black Sabbath”とも称される70年代ブリティッシュ・ハードロックから多大な影響を受けたサウンド、そしてバンド名の由来ともなった江戸川乱歩を彷彿させるおどろおどろしい世界観は音楽シーンの最新トレンドからはほど遠いものです。

トレンドとは無縁の中年男性3人組がなぜこれほどまでに注目を浴びているのか?

ベテランバンドにやって来た遅い春の裏側には、苦難の時代においても活動休止や解散という道を選ぶことなく、愚直に歩み続けた彼らの努力があったことは間違いありません。

まさに「継続は力なり」を体現する人間椅子の魅力、そして予想外のブレイクまでの軌跡をご紹介します。

人間椅子(にんげんいす)


バンドメンバー

  • 和嶋 慎治(わじま しんじ) / ギター、ヴォーカル
  • 鈴木 研一(すずき けんいち) / ベース、ヴォーカル
  • ナカジマ ノブ / ドラム、ヴォーカル

高校の同級生であるギタリストの和嶋 慎治とベーシストの鈴木 研一らが結成したバンドを母体としてスタートした人間椅子は、ブリティッシュ・ハードロックをベースとした骨太なサウンドを鳴らすトリオ編成のバンドとして高い評価を得ています。

地元である青森で中学時代に出会って以来、一度も喧嘩をしたことがないという和嶋と鈴木のコンビを軸とするハードロック・トリオは、これまでに数度に渡るドラマーの交代を経験しており、現メンバーのナカジマ ノブは4人目のドラマーとなります。

2004年に加入したナカジマの在籍期間もすでに15年を超え、「この3人の人間椅子しか知らない」というファンも多いはずです。

和嶋、鈴木、ナカジマの黄金ラインナップが鳴らす鉄壁の人間椅子サウンドは、すでに“和製Black Sabbath”の域を超えた唯一無二の響きを帯びています。

結成30年を経て全盛期を迎えるという前代未聞のヒストリーを辿る人間椅子、次の項では各メンバーをご紹介していきましょう。

人間椅子(にんげんいす)・メンバー

和嶋 慎治(わじま しんじ) / ギター、ヴォーカル

  • 氏名:和嶋 慎治(わじま しんじ)
  • 生年月日:1965年12月25日
  • 出身地:青森県弘前市

“ワジー”こと和嶋 慎治は、丸眼鏡に髭、着物に袴という純和風スタイルのギタリストで、メインギターとして敬愛するBlack Sabbathのトニー・アイオミと同じSGを使用しています。

また、ライヴではギターのほかに、手をかざして音を制御する電子楽器テルミンを演奏する場面も見られますが、演奏方法については独学で習得したものであると語っています。

MEMO

ロックで一番有名なテルミンを使った楽曲は、Led Zeppelin“Whole Lotta Love”でしょう。ギタリストのジミー・ペイジが演奏しています。

メインソングライターの座はベーシストの鈴木と分け合っていますが、作詞は和嶋が手掛けることが多く、文学への深い造詣に裏打ちされた知的な歌詞は人間椅子の大きな特徴のひとつです。

ヴォーカルスタイルは個性的な鈴木と比較するとストレートなもので、現在の老成したルックスからは想像のつかない若々しく張りのある声を持っています。

MEMO

オカルトにも造詣が深い和嶋は、高校生の時にUFOに連れ去られ、以後の性格や歌詞の内容が激変するという驚愕の実体験の持ち主でもあります。
2017年には、宇宙人との遭遇エピソードなど激動の半生を綴った自伝『屈折くん』を出版し、重版されるほどの売れ行きを記録しました。

インドア派のような風貌とは裏腹にバイクやキャンプを趣味としており、2020年には趣味に特化したYouTubeチャンネル「哀愁のワジマシーン」を開設しています。

鈴木 研一(すずき けんいち) / ベース、ヴォーカル

  • 氏名:鈴木 研一(すずき けんいち)
  • 生年月日:1966年3月11日
  • 出身地:青森県弘前市

“研ちゃん”こと鈴木 研一は、スキンヘッドに白塗りメイク、さらには法衣に身を包むという“地獄の僧侶”とでも言えそうな風貌がインパクト絶大なベーシストです。

和嶋と並び多くの作曲にたずさわる鈴木は、数こそ和嶋に及びませんが、作詞の面でも大きな貢献を見せています。

アメリカのロックバンドKISSの大ファンである鈴木は、“地獄の軍団”の異名を持つ彼らの影響からか、タイトルに「地獄」が付く楽曲を数多く手掛けています。

ヴォーカルスタイルは非常に特徴的で、方言の強い訛りを思わせるような節回しとだみ声、狂気すら感じさせる不穏な笑い声などで楽曲におどろおどろしさを加えており、和嶋のストレートな歌唱とは対照的です。

ヴォーカルメロディの作り方はオジー・オズボーンからの影響を公言しており、音程が激しく上下するような曲調は好まず、ビブラートを極力使わないのっぺりとした歌唱を心掛けていると語っています。

地元である青森県弘前の名物・弘前ねぷた祭りを見るために毎年8月に帰省しており、その時期は仕事を入れないというポリシーを持っています。「もしも仕事が入ってしまっても俺は出席しない」と明言しているほどの入れ込みようです。

和嶋にBlack Sabbathを聴かせて洗脳した張本人である鈴木は、60年代~70年代のロックに造詣が深く、自身が愛聴するハードロックを流すDJイベント「ハードロック喫茶ナザレス」を開催しています。

ナカジマ ノブ / ドラム、ヴォーカル

  • 氏名:ナカジマ ノブ
  • 生年月日:1966年9月20日
  • 出身地:東京都杉並区

和装のメンバーの中、リーゼントに色眼鏡、鯉口シャツという昭和のテキ屋か職人かという風貌で異彩を放つナカジマ ノブは、2004年に加入した人間椅子にとって4人目のドラマーです。

風貌だけではなく性格面でも和嶋、鈴木と異なっており、どちらかというとおとなしい性格の二人とは対照的に快活でチャキチャキとした江戸っ子キャラで、自らの性格を評して「うっとうしいと思う人には相当うっとおしい」と言うほど。

社交的な性格を生かし、オリジナルメンバーではないにもかかわらずバンドの窓口役を担っているナカジマは、ライヴのブッキングやスケジュール管理などマネージャー的なポジションも兼任しています。

人間椅子に加入するまではツインペダルを使用した経験がありませんでしたが、初めて一緒にスタジオ入りする日にツインペダルを購入し、課題曲を見事に叩き切ったという卓越した技量の持ち主です。

数こそ多くないもののナカジマ作の楽曲もアルバムに収録されており、それらの楽曲では自らリードヴォーカルを務めるという「歌えるドラマー」です。

ヴォーカルスタイルは性格そのまま豪快でパワフルなもので、鈴木はナカジマの歌唱についてRainbowやMichael Schenker Groupなどで知られるグラハム・ボネットの名前を挙げて高く評価しています。

ダム巡りを趣味としており、各地のダムカードを収集しているほか、ダムについてのコラムも執筆するほどの知識と情熱の持ち主です。

人間椅子(にんげんいす)・バンド名の由来

人間椅子の歴史は和嶋と鈴木が高校時代に結成した前身バンド、死ね死ね団まで遡ります。

1年の浪人期間の後、晴れて大学に合格したのを機に故郷・青森県から上京したふたりは、東京の地でバンド活動を再開させます。

しかし、同名のパンクロックバンドが存在することがわかったため、江戸川乱歩による同名の短編小説から名前を拝借し人間椅子へ改名しています。

MEMO

2004年には改名のきっかけとなった本家・死ね死ね団(正式名称;大日本帝国初代新所沢愚連隊死ね死ね団)と共演を果たしました。

彼らが崇拝するイギリスのロックバンドBlack Sabbathは、不穏で陰鬱なサウンドのイメージにふさわしいバンド名を探した末、同名のホラー映画から名前を取っています。

人間椅子も同じような意向を持っており、バンド名を決める上で彼らが持っていたコンセプト「和風かつ陰鬱としたイメージ」と猟奇的で退廃的な作品を数多く生み出した江戸川乱歩の作風は非常に相性の良いものでした。

文芸作品に深い造形を持つ彼らは、“陰獣”や“芋虫”など江戸川乱歩の作品のほか、夢野久作、横溝正史、谷崎潤一郎など多くの作家からインスピレーションを得た作品を発表しています。

人間椅子(にんげんいす)・経歴

結成から30年以上の長きに渡り、トレンドに色目を使うことなく結成当時のコンセプトに基づいた和風ハードロックを鳴らし続けている人間椅子。

同じく80年代から活動を続けるフラワーカンパニーズの自虐的キャッチフレーズ「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!」ではありませんが、華やかな表通りから1本、いや2本ほど外れた裏通りを黙々と歩み続けた苦労人・人間椅子の経歴をご紹介します。

結成~デビュー

青森県弘前市の高校の同級生である和嶋 慎治鈴木 研一は、大学進学のために上京したことをきっかけとして、浪人中は休止していたバンド活動を再開させ、1987年から人間椅子名義で活動を本格化させていきました。

大学生活最後の年となる1988年、鈴木は大手建設機械メーカーに就職が内定していたものの、プロミュージシャンへの夢捨てがたく、内定を蹴ってバンド活動に専念することを決意します。

史上空前のバンドブームを迎えていた1989年、バンドブームを象徴するテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』に出演したことで人間椅子の運命の歯車は大きく動き出しました。

ヘヴィでドゥーミーなパートからスピーディーなハードロックへ移行するというBlack Sabbathお得意の展開を持つ“陰獣”は審査員から絶賛され、江戸川乱歩の世界観そのままの陰惨な歌詞も含めてお茶の間に絶大なインパクトを与えることに成功します。

MEMO

『三宅裕司のいかすバンド天国』からはBLANKEY JET CITY、FLYING KIDS、たま、BEGINなどの有名バンドが誕生しています。

1990年7月、『人間失格』で待望のメジャーデビューを果たすと、以後毎年1枚ずつアルバムを発表し、1993年の『羅生門』まで計4枚のアルバムをメジャーレーベルから発表しています。

バンドブーム終焉~低迷期

しかし、バンドブームの終焉もあり、大きな商業的成功を残すことはできず、メジャーレーベルとの契約は終了。

音楽だけでは生活できない状況となった和嶋と鈴木は、バンド活動とアルバイトを両立させながら活動を継続していくこととなりました。

MEMO

鈴木は23年間に渡って郵便局の配達のアルバイトを続けていましたが、バンド活動が軌道に乗った2016年に“晴れて”退職したことを公表しています。

フルタイムのミュージシャンではなくなった人間椅子でしたが、以後も1~2年おきにアルバムをリリースするなどコンスタントに活動を続けたものの、オリコンチャートの100位以内にランクインすることすらできず、商業的には撃沈という年月を過ごすことに。

低迷期においても固い絆で結ばれていた和嶋と鈴木とは対照的に、不安定だったドラマーの座でしたが、2004年に新メンバーとしてナカジマ ノブを迎えたことにより、現在まで続く黄金ラインナップが完成しました。

2009年、ベストアルバム『人間椅子傑作選 二十周年記念ベスト盤』を挟んでリリースされたアルバム『未来浪漫派』はオリコンチャート最高96位と久々に100位圏内にチャートイン。

2011年のアルバム『此岸礼讃』は最高59位を記録し、ライヴの動員も増え始めるなど、次第に人気が回復の兆しが見えてきます。

まさかのブレイク~黄金期へ

追い風がほのかに吹き始めた中、2013年5月12日に出演したフェスティバル『Ozzfest Japan 2013』は、人間椅子の運命を大きく変えるターニングポイントとなりました。

彼らが敬愛するBlack Sabbathがヘッドライナーを務めるフェスティバルへの出演という絶好の機会を得た彼らは、持ち時間のすべてを使って全身全霊の熱演を繰り広げ、「日本に人間椅子あり」を大いに印象付けることに成功します。

MEMO

筆者も会場にいて彼らの演奏を観ましたが、最初は様子見だった観客が次第に盛り上がっていく光景が痛快でした。最後に演奏された“針の山”のイントロが始まった瞬間の爆発的な盛り上がりは今でも忘れられません。

『Ozzfest Japan 2013』出演を境に人間椅子の人気は急上昇し、アルバムセールス、ライヴの動員も右肩上がりに上昇していきます。

2013年の『萬燈籠』がオリコンチャート最高35位を記録したのを皮切りに、アルバムを出すたびに前作の記録を上回っていき、2019年の『新青年』では19位というキャリア最高のチャートアクションを記録しました。

メンバーはこの転機を「再デビュー」と表現しており、Black Sabbath的なハードロックが自分たちの強みであると再確認したことから、明るい響きのメジャーコードの使用は極力控え、重さや暗さなど自身の原点に忠実な作品作りを心掛けていると語っています。

結成から四半世紀という型破りのタイミングでブレイクを果たした人間椅子でしたが、その勢いは日本国内だけに留まらず、海の向こうへも波及していくことになります。

2019年5月に公開された“無情のスキャット”のMVが海外のロックファンによって“発見”され、「こんなバンド、今までどこにいたんだ!?」と大騒ぎになったのです。

“無情のスキャット”は8分を超える大作であるにもかかわらず、現在までにYouTubeで500万回以上再生されており、コメント欄には世界各国のファンからの賛辞が寄せられています。

2020年2月には初となるヨーロッパツアーを大成功させており、世界のNINGEN ISUとなる日も遠くないかもしれません。

コロナ禍でライヴ活動の停滞を余儀なくされた2020年9月には、前年12月に開催された中野サンプラザ公演の映像を中心としたドキュメンタリー映画『映画 人間椅子 バンド生活三十年』を公開。2021年6月には同名の映像作品としてリリースもされています。

さらに待望の新作『苦楽』が2021年8月4日にリリースされることが決定。リードシングルとして先行公開された7分48秒にも及ぶ“杜子春”は、イントロから緊張感みなぎるヘヴィチューンで、新作への期待が大いに高まる1曲となっています。

人間椅子(にんげんいす)・オススメ曲

無情のスキャット

YouTubeで爆発的な再生回数を記録した“無情のスキャット”は、2019年リリースのアルバム『新青年』に収録されています。

緊張感のある重厚なイントロを持つ8分超えの大作ですが、弱点が見当たらないほどすべてのパートが強靭で、8分という長さをまったく感じさせない名曲です。

和嶋の哀愁を感じさせる歌唱とスキャット、そして2度に渡って披露されるギターソロも絶品で、海外の音楽ファンも「この和服のおっさんたちは何者だ!?」と驚愕したのも無理はありません。

死神の饗宴

2001年発表のアルバム『見知らぬ世界』に収録されている鈴木作曲のヘヴィチューンです。

死神の視点から歌われた同曲は、鈴木のおどろおどろしいヴォーカルが最高にマッチしており、“死神の饗宴”と呼ぶにふさわしい世界観を見事に描ききっています。

地を這うように重く重厚なパートから激しくスピーディーな展開へ移行するあたりは、Black Sabbathの定石に則ったもので、ここで取るべき行動はヘッドバンギング以外にありえません。

針の山

ウェールズ出身のハードロックバンドBudgie“Breadfan”の日本語カバー“針の山”は、1990年のメジャーデビュー作『人間失格』に収録されています。

イントロのギターリフは破壊力抜群で、ライヴ会場では最初のワンフレーズが鳴った瞬間から蜂の巣をつついたような大騒ぎとなるキラーチューン。

和嶋のペンによる猟奇的な日本語歌詞も秀逸です。

世界的ヘヴィメタルバンドMetallicaによるカバーがオリジナルバージョンよりも有名ですが、人間椅子のバージョンはBudgieの原曲に寄せたものになっています。

人間椅子(にんげんいす)・まとめ

結成から約四半世紀の月日を経てブレイクした奇跡のバンド、人間椅子をご紹介しました。

バンドブームの時代に登場したバンドの多くが夢破れて消えていく中、理想と現実の間で苦悶しながら愚直に音を鳴らし続けた彼らの姿からは、多くのことを教えられたような気がします。

活動期間は30年を超え、20枚以上のアルバムを発表しているバンドなので「どこから聴けばいいのか…」と途方に暮れてしまう方も多いかもしれませんが、まずはベストアルバム『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤』から入門してみてはいかがでしょうか。

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