SHINee(シャイニー)メンバーのプロフィールや魅力、経歴を徹底解説

SHINee(シャイニー)メンバーのプロフィールや魅力、経歴を徹底解説

韓国で日本で、そして世界中で大活躍している「SHINee(シャイニー)」を知っていますか?

今回は個性と才能に富んだSHINeeのメンバーについて解説していきたいと思います。メンバーについてあまり知らなかった人も一緒に見てみてください!

SHINeeメンバー紹介


独特な世界観を持ったSHINeeの楽曲を歌い上げるのは、様々な才能を持った5人のメンバーです。それぞれがお互いの特徴を尊重し合い、5人で1つの音を奏でています。

ステージ上ではカリスマ性を持ったメンバーですが、普段は個性が強いメンバーが揃っています。1人1人にスポットライトを当ててみましょう。

ONEW(オンユ)

  • 本名:イ・ジンギ(이진기)
  • 生年月日:1989年12月14日
  • 出身地:韓国 京畿道光明市
  • 身長:177cm
  • 血液型:O型
  • 担当:リーダー、リードボーカル

「オンユ」という芸名には「穏やかで柔らかい」という意味が込められており、まさにオンユの声や人柄を表現した言葉だと思いました。

MEMO

表記は「オンユ」ですが、呼ぶときは「オニュ」と呼ばれています。

2006年に少女時代のショーケースに参加、曲を披露したところSMエンターテインメントのイ・スマン代表の目に留まり、翌日に契約を交わしました。オンユの声は柔らかく伸びのある甘い声が特徴です。

SHINeeではリーダーを担当していますが、自ら積極的に引っ張っていくというよりかは後ろでニコニコ見守っていて、うまくメンバーの舵取りをして正しい方向に導いてくれるようなリーダーです。

テミンは以前、インタビューでオンユについて「オンユ兄さんは僕たちに選択権を与えてくれる。そして少し自分勝手になってもいいが、他の人のことも考慮しないといけないことを覚えておくようにといつも言っています」と話していました。オンユの誠実で真面目な姿を見て、メンバーも自然とオンユの考え方や姿勢を守っているのではと感じました。

オンユのリーダーらしさが見えたのは、デビュー当時のバラエティ番組で、ポケットに手を入れているメンバーを見て、オンユが後ろから優しく手を出すように指導している姿を見たときです。メンバーが恥をかかないように自然に優しく接するオンユを見て、若いのに素晴らしいリーダーだと思いました。

その優しさは、メンバー以外にも向けられています。オンユは声帯手術をしたことがあるのですが、その際にも一番辛いのはオンユ自身なのにも関わらず、周りに明るく振る舞っていました。ジョンヒョンはその当時を振り返り「沈黙修行と言ってもいいほど何も喋らず喉を保護していた。その姿を見て心が痛かった」と語っていました。

オンユは日本語が堪能で、日本語で親父ギャグを言うほどのスキルを持っています。コンサートでも常に自分の気持ちを日本語で伝えてくれています。さらにコンサートでは度々日本語の曲を披露しているSHINeeですが、オンユが歌った徳永英明さんの「レイニーブルー」は最高のステージだと評価されています。

テミンのピアノ伴奏で歌った「レイニーブルー」は、オンユの魅力である甘く柔らかな声で丁寧に歌い上げられました。普段あまり涙を見せないオンユですが、この曲の最後には涙が一筋頬をつたいました。そこまで感情を込めて歌ってくれていたんですね。この映像は徳永英明さんご本人の目にも留まり「初心を思い出させてくれた」と絶賛していたそうです。

オンユはSHINeeとしての活動以外に司会や俳優、バラエティ番組出演など、オールマイティーに活躍しています。さらに料理番組ではシェフが驚くほどの実力を披露しています。そして、オンユの歌声を最大限に感じることができるミュージカルにも出演経験があります。

誠実で謙虚な姿勢が評判だったオンユですが、2017年には江南のクラブで酒に酔ったオンユが女性の脚を触ったとして、警察を呼ぶ騒ぎを起こしています。当時、オンユは足元がおぼつかないほど酒に酔っており、また、被害にあった女性がテーブルの上で踊っていたという事実からオンユが柱と間違えて女性の脚を掴んでしまったのではないかという予測がされました。

最終的には嫌疑なしという判決を受けたオンユでしたが、以前から酒癖の悪さを指摘されていたことや、判決が出ない状態のときにグッズ販売で芸能活動復帰をしていたことを指摘した一部のファンが、オンユの支持撤回及び脱退要求声明書を提出しました。

このことによってSHINeeからの脱退は回避されましたが、出演予定だったドラマの降板とコンサートへの不参加を発表。リーダーでもあるオンユは、自らコンサートへの不参加を申し出たとのことです。

その後、SHINeeとしての活動復帰はしましたが、そこにはジョンヒョンがいませんでした。2018年2月に行われた日本ツアーは、オンユがSHINeeとして復帰のコンサートになっており、このコンサートを機に、兵役入隊の準備を始める予定でした。そのステージに5人で立てなかったことが悔やまれるかのように、オンユは悲しみ以外の表情を持っていました。

そのことはファンもどことなく不安に感じていたことだと思います。もしかしたらオンユが責任を感じているのではないかと。しかし、オンユは自らの言葉で「必ず戻ります」と伝えてくれました。そして、いつもの明るい笑顔で再びファンの前に戻ってきてくれました。

オンユは2018年12月10日、現役入隊を果たしました。入隊前には待望のソロデビューをしてファンへ歌の贈り物を残してくれました。通常、入隊の際には多くのファンがお見送り会を行うことが多いのですが、謙虚なオンユらしく入隊日時は非公開で静かに入隊していきました。

MEMO

非公開の入隊ではありましたが、SHINeeのメンバーはオンユを見送るために現場へ駆けつけていました。

軍での生活を送っているオンユですが、軍が主宰するミュージカルへ出演するなど、兵役中にも歌を披露する場所が準備されました。ファンにとってもオンユにとっても幸せな場所となったのではないでしょうか。劇場には、日本や世界からもSHINeeのファンが駆けつけました。

現在は、除隊までのカウントダウンも発表され、ファンだけではなく世界中がオンユの除隊を心待ちにしています。

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JONGHYUN(ジョンヒョン)

  • 本名:キム・ジョンヒョン(김종현)
  • 生年月日:1990年4月8日
  • 出身地:韓国 ソウル特別市
  • 身長:173cm
  • 血液型:AB型
  • 担当:メインボーカル

SHINeeとしてデビューする前はバンドを組んでいたというジョンヒョン。担当楽器はベースでした。ベーシストとして活躍しているところをSMエンターテインメントにスカウトされ練習生となりました。

作詞・作曲をすることもあり、まさに「アーティスト」という呼び名がふさわしく感じるメンバーです。SHINeeではメインボーカルを務め、伸びのある力強い声を披露しています。どんな曲調でもすぐに自分の歌にしてしまう歌唱力の高さがありました。

2015年にはソロデビューをしましたが、そのアルバムは様々なジャンルの音楽に挑戦していて、アイドルの垣根を超えてジャズやラップ、R&Bなど多彩な表情を見せてくれました。ジョンヒョンが発売した数々のアルバムは、ビルボードランキングや韓国の音楽番組などで1位を獲得しています。

また、作曲家志望だったというジョンヒョンは、SHINee以外のアーティストに楽曲提供を行ったり、フィーチャリングとして参加したりと活動の幅が広いことも特徴です。そのため芸能界のみならず、人脈があることでも有名です。

ジョンヒョンは日本のアニメにも興味があり、特に「君の名は。」を見たジョンヒョンは、新海誠監督を自身のラジオ番組にゲストとして招待しています。後に「天気の子」の公開のために韓国を訪れた新海監督は「次回作ができたら必ず見せてほしい」とジョンヒョンに言われていたのに実現できなかったことを残念に思うと言及していました。

性格は真面目で、才能があるにも関わらず謙虚な態度を持っていました。ジョンヒョンは度々ファンの姿を写真に撮ることがあり、その理由を聞くと「(ファンがいる光景に)慣れてしまうかもしれないから、撮っといてたまに見るとありがたくなる」と答えていました。

一見、クールなようにも見えますが、感情を表に出す場面が度々見られました。SHINeeが音楽番組で1位を獲得したとき、コンサートでファンからの声援をたくさんもらったとき、ジョンヒョンはいつも顔を涙で濡らしていました。感受性がとても豊かで、楽しい時は思いっきり口を開けて大笑いをし、コロコロと表情を変えるジョンヒョンは可愛らしい印象をファンに与え続けました。

趣味はアロマキャンドルを集めることで、ムスクの香りが好きなジョンヒョン。嗅覚が人より鋭く、汗の匂いや食べ物の匂いが気になってしまうそうです。そして人の香りも覚えていると語っていました。今でもムスクの匂いがするとジョンヒョンを思い出すのは、彼がかけた素敵な魔法のおかげかもしれません。

ジョンヒョンとの別れ

2017年12月16日、SHINeeのジョンヒョンが心肺停止の状態で発見されたとの速報が入りました。その後、搬送先の病院で死亡が確認されました。

ジョンヒョンは、自らが宿泊していた施設で練炭を炊いて自殺を図ったようでした。その直前に仲が良かった姉に最後の挨拶と思われるカカオトークを送っており、それを見た姉が警察に相談しましたが間に合いませんでした。

SHINeeの日本ツアーが発表された3日後の出来事とあって、事務所は対応に追われ、SMエンターテインメント所属のアイドルたちはイベントを中止したり、アルバムの発売を延期したりと、次々と活動を自粛しました。

MEMO

季節が年末だったこともあり、特別番組に出演した仲間は喪章をつけて参加しました。

彼の訃報は、世界中を駆け巡り、ジョンヒョンにひと目会いたいと願った仕事仲間やファンが大勢弔問に訪れました。もちろん日本でも大きなニュースとなって伝えられました。

ジョンヒョンの葬儀は、メンバーが喪主となって行われました。当時の様子はカメラを通して様々なメディアで伝えられましたが、写真の中で笑うジョンヒョンの笑顔と、悲しみを堪えたSHINeeメンバーの顔は今でも忘れられません。

ジョンヒョンの死後、彼から遺書を託されていたというロックバンドのメンバーが、自身のインスタグラムで遺書を公表しました。ジョンヒョンから「自分がこの世から去ったら必ず直接投稿してほしい」と頼まれていたそうです。

遺書にはジョンヒョンの気持ちが書かれており、最後に「ただお疲れさまと言ってほしい」とありました。自分の座右の銘は「理解するよりも認めること」だと言っていたジョンヒョン。彼の気持ちを認めて、心から「お疲れさま」と伝えたいです。

 

 

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