1999年のデビュー以降、数々のヒット曲を世に放ち、国民的アイドルの座に上り詰めたジャニーズグループ・嵐(あらし)。
2020年12月31日から無期限の活動休止期間に入っているものの、彼らが残した功績や楽曲が放つ輝きにはいささかの陰りも見られません。
活動休止後も冠番組の一部はメンバーの司会で引き継がれており、今なお大勢のファンを楽しませ続けています。
当記事では、時代を作った稀代のアイドルグループ・嵐の魅力をたっぷり紹介していきます。
目次
嵐・グループ名の由来
嵐というグループ名は、「世界中に嵐を巻き起こす」という願いを込めてジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)のジャニー喜多川社長(当時)がつけたものです。また、嵐は頭文字が「あ」、アルファベットで書いても「A」であることから、「頂点に立つ」という意味も込められています。
しかし、同じ事務所の先輩フループはSMAPやV6、TOKIOなどアルファベット表記であることが多かったため、「なぜ漢字?なぜ嵐?」とメンバーたちは違和感を抱いていたようです。
また、他のグループ名の候補として、「?」(クエスチョンず)という候補があったことが、メンバーの口から語られています。
ジャニーさんの名付けセンスは独特だと良く言われていますが、今では違和感もなく、むしろ親しみさえ覚える名前であるのは、さすがジャニーさんと言わざるを得ません。
結成からデビューまでの経歴
1999年9月15日、嵐はハワイでデビュー会見を行いました。
海からクルーザーで登場する5人の姿はあまりにも有名です。しかし、その舞台裏では色々あったとのちに明かされています。
例えば、メンバーの相葉雅紀さんは、デビュー3日前に「YOU、パスポート持ってる?」とジャニーさんから電話がかかってきて、持っていると答えたために急遽デビューが決定しました。
また、リーダーを務める大野智さんは、ジャニーズをやめると決めていて、事務所にもその意向を伝えていました。
しかし、「ジャニーズJr.のレコーディングの手伝いをしてほしい」と言われ渋々手伝ったのが、実はデビュー曲「A・RA・SHI」のレコーディングだったといいます。
さらに「遊びに行く」と誘われ着いていった先がハワイのデビュー会見場だったというエピソードがあります。
本人はデビューさせられそうな雰囲気を察してしばらく電話を無視する日々が続いていたようですが、その抵抗も叶わずデビュー「してしまった」という形になりました。
他にも櫻井翔さんや二宮和也さんも、それぞれ学業に専念するため、海外に行きたいためという理由でデビューに対して後ろ向きでした。
メンバーの3/5がデビューを喜んでいない状態でのデビューとは、不思議なものです。
さらに相葉さんが嵐の一員になれたのもパスポートを持っていたからという理由。
そんな集まった理由もバラバラの5人がここまで欠けずに続けているというのは、奇跡的だと言えますね。
デビューから現在までの経歴
デビュー会見後、11月3日に「A・RA・SHI」という曲でCDデビューを果たした嵐。
デビューCDは93万枚もの売上を記録しました。2000年には初となるコンサート、「嵐 FIRST CONCERT 2000」を開催し、翌年には初の単独レギュラー番組となる「真夜中の嵐」が放送開始しました。
今現在の日本のトップアイドルといっても過言ではないほどの人気ぶりから、「デビュー後も順調だったのではないか」と多くの人は認識しているのですが、実は嵐は売れっ子アイドルになるまでの下積みの道のりが長かったグループとしてファンの人には知られています。
デビューシングルこそ93万枚の売上を記録したものの、その後のシングルはなかなか売れませんでした。
しかし24時間テレビへの出演や、松本潤さんの「花より男子」の出演、大野智さんの「魔王」への出演を通して、ファンを次々に獲得しました。
国立競技場が取り壊される年まで史上最高となる6年連続コンサートを行いました。紅白歌合戦にも連続出場しています。
最近ではグループとして、さらにここ最近はメンバー個人が司会を務めています。
しかし2019年、嵐は2020年末をもって活動休止することを突如発表しました。
しかし発表後もジャニーズグループとしては珍しく、公式YouTubeを開設したり、SNSのアカウント開設を行ったり、さらには発売したアルバム、「5×20 All the BEST!! 1999-2019」が令和初となるミリオンセラーを達成するなど、精力的に活動しています。
活動休止前最後のコンサートとなった「This is 嵐 LIVE 2020.12.31」は無観客生配信で開催されました。
続いては、そんな嵐のメンバーを紹介していきましょう。
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