親近感ある活動スタイルが魅力!「PUFFY」の経歴やプロフィール、おすすめ曲とは…?

親近感ある活動スタイルが魅力!「PUFFY」の経歴やプロフィール、おすすめ曲とは…?

1996年のデビュー当初から、当時の流行に反した音楽や親近感ある活動スタイルで世界的に注目を集め続けてきたPUFFY(パフィー)

世代を超えて愛され続ける名曲を多数輩出してきた2人組女性アーティストです。

今回は、そんなPUFFYのプロフィールや経歴、魅力、おすすめ楽曲をご紹介する中で彼女たちが色褪せない音楽を生み出す背景に迫りたいと思います。

PUFFYとは?

「PUFFY」は大貫亜美さん吉村由美さんから成る女性ボーカルユニット。

1995年にユニットを結成し、その翌年にシングル「アジアの純真」でデビュー。
1stシングルから4thシングルまで4連続でミリオンセラーを達成し、日本の音楽界において大ブレイクした経歴を持ちます。

国外での音楽活動にも力を入れており、海外ファンからも高い評価を受けているようです。

活動名義「PUFFY」の由来

    「PUFFY」と言う活動名義は、2人のユニットとしてのデビューが決まった頃に来日公演を行っていたアメリカのロックバンド「ジェリーフィッシュ」からの提案“The Puffy”に由来しています。
    「ジェリーフィッシュ」は、PUFFYのプロデュースに携わっているシンガーソングライター・奥田民生さんを通じてSMAと繋がりがあったそうです。

メンバー

大貫亜美(おおぬきあみ)

別名(北米での愛称):ジェーン(Jane)
生年月日:1973年9月18日(46歳)
出身地:東京都町田市
血液型:A型
身長:155cm

編み物や刺繍、裁縫等、何でも器用にこなす大貫さんは、PUFFY のグッズデザインも手掛ける多才なメンバーです。

以前飼育経験のあったウサギが大好きだといい、それがモチーフになった雑貨収集をはじめ、自身の左脚にもウサギのタトゥーを入れるほどその溺愛ぶりが伝わるエピソードは有名。

人生において必要な多くのことを漫画から学んできたという経緯から、それに関連する吹き替え漫画の帯・巻末へのコメントを寄せる仕事にも携わっています。

MEMO

女優の菅野美穂さんや小池栄子さん、夏帆さん等、豪華面々と交流があり、自身のInstagramに彼女たちとのオフショット写真を投稿していたこともありました。

吉村由美(よしむらゆみ)

別名(北米での愛称):スー(Sue)
生年月日:1975年1月30日(45歳)
出身地:大阪府寝屋川市
血液型:A型
身長:161cm

中学時代に陸上部に所属し、現在は卓球を得意とする吉村さん。

運動神経抜群で歌手になる前はスポーツジムや鉄筋工等、ガテン系のアルバイトを転々としましたが、覚えることが苦手なことからデビュー後はダンスの練習に苦労したそうです。

注意

結果的には、PUFFY特有のゆったりめのダンスに落ち着きました。

周囲には関西弁訛りの口調やヤンキー出身の過去を怖がられがちですが、実際には繊細で優しい性格をしているのだとか。

大貫さんに負けないくらいの漫画好きで、彼女同様に漫画の帯・巻末にコメントを寄せることもしばしば。

髪色や髪色へのこだわりが強く、頻繁にイメチェンするほか、エクステの着用をすることもあります。

経歴

思わぬ形で芸能界入りした2人

高校時代に所属していたバンドのデモテープを“落選すること”を目的としてソニー主催のオーディションに送り、結果的には合格通知を受け取ってしまった大貫さん。

しかし、メンバーは皆乗り気でなかったことから高校卒業後には当時志望していたCAの夢を叶えるために神田外語学院に進学。

MEMO

同校に在学中も彼女の歌声に目を付けていたソニー関係者から説得され、最終的には学業と両立してボイストレーニングに通い始めます

その後、オファーを受諾してSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)からソロ歌手としてのデビューを目指し、入念な準備を進めていく運びとなりました。

その頃、吉村さんはというと高校を中退してアルバイトを転々とするフリーター生活を送る日々。

そんな彼女の恵まれたルックスを惜しんだ知人からのすすめにより、ソニー主催のオーディションへの応募を決意します。

結果は見事合格。
ソニー側との面談を通し、何となく歌手の道に進み始めた彼女は上京して大貫さんと同じSMA所属アーティストとなりました。

ユニットでのデビューが決まる

大貫さんと吉村さんが出会いを果たしたのは、1994年のこと。
事務所で初めて顔を合わせますが、初めは互いともの内気な性格からなかなか打ち解けられず、第一印象は最悪だったそうです。

しかし、次第に両者に共通する“思わぬ形で芸能界入りした境遇”もあってか友情を深め始めた2人。

MEMO

同じ頃、自身がソロ歌手としてデビューすることに不安を感じていた大貫さんが事務所に吉村さんと2人でのデビューを提案し、すでにソロ名義でのデビューアルバムが制作されていたにも関わらず、ユニットでのデビューが決定します。

同アルバムの制作に携わった同事務所所属の奥田民生さんが、引き続きユニットの曲のプロデュースも手掛けることになりました。

デビュー曲からミリオンセラーを連発

結成翌年の1996年5月13日、PUFFYは奥田さんによるプロデュース・作曲と作詞・作曲家・音楽プロデューサー・シンガーソングライターの井上陽水さんによる作詞によって完成したシングル「アジアの純真」でメジャーデビューを果たします。

2人にとってのデビュー曲ながらミリオンセラーを達成するほど大ヒットした同曲がきっかけとなり、彼女たちは一躍音楽界に名を馳せる存在へと成長。

同年7月には1stアルバム『amiyumi』を発表し、10月に2ndシングル「これが私の生きる道」をリリース。

MEMO

「これが私の生きる道」は、前曲同様ミリオンセラーを記録するヒットぶりを見せたほか、翌年春に開催された「選抜高等学校野球大会入場行進曲」にも起用されます。

さらに、1997年3月には3rdシングル「サーキットの娘」、4月には4thシングル「渚にまつわるエトセトラ」をリリースし、またもやどちらもミリオンセラーを達成

“デビューから4連続でミリオンセラーを生み出す”という偉業をやってのけました。

海外での音楽活動を展開

デビュー当初から国内で爆発的に支持され、他のアジアの国々でも期待が高まっていたPUFFY。

1997年からスタートしたアジアキャンペーンは大好評で、翌年台湾で発売したCDは全てゴールドディスクを受賞します。

さらに、同年中から1999年にかけてツアーの一環として開催された香港・台湾でのライブを通して各国のファンを獲得しました。

また、2000年にはアメリカ・テキサス州で実施されたロック・フェスティバル「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト」に出演し、アメリカ人からも高評価を得ます。

それを受けて2002年には初の北米ツアーを開催し、4thアルバム『SPIKE』で全米インディーズデビュー

MEMO

アメリカで活動するラッパーのショーン・コムズの愛称がユニット名と同じ“パフィー”だったことから、被らないよう現地では「Puffy AmiYumi」として活動します。

アニメ関連の仕事が殺到

2003年、PUFFYは特殊能力を持つ少年たちの活躍を描いたアメリカのアニメ『Teen Titans』の主題歌を担当します。

MEMO

翌年からは、自身等がモデルとなったアニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』の全米放送がスタート。

同作の主題歌を含むアニメタイトルと同名のアルバムで堂々の全米メジャーデビューを果たしたほか、同年公開のアニメ実写映画『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』の挿入歌及びエンディングテーマも手掛けます。

同じ頃、2003年にアメリカで先行放送されたアニメ『SDガンダムフォース』の国内放送版の主題歌を担当し、2004年2月に前代未聞の“ガンプラ付き”シングルを発売してマニアの間で話題を博しました。

デビュー10周年を迎える

デビュー10周年という記念すべき年となった2006年

これまでのアメリカでの活躍が評価されたPUFFYは、国土交通省が中心となって推進する訪日外国人旅行の促進を目的とした「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」の米国親善大使に任命されます。

2人同様、アニバーサリーイヤーを迎えた『リプトン』の紅茶アンバサダーにも選出され、音楽グループ「東京スカパラダイスオーケストラ」と共に結成したスペシャルバンドでシングル「ハズムリズム」をリリース。

MEMO

同曲は『リプトン』のCMソングに起用され、作詞をPUFFY、編曲を東京スカパラダイスオーケストラが手掛けた豪華な一作として話題を博しました。

2008年には、カナダ出身のシンガーソングライターで日本でも知名度の高いアヴリル・ラヴィーンの来日公演にゲスト出演を果たします。

PUFFYは、同年9月に開催された全11公演のうち東京ドーム公演にシンガーソングライターの大塚愛さんと共に出演。

当時の日本を代表する人気女性アーティストが集結したステージで観客を大いに魅了しました。

デビュー15周年を控えて初のファンクラブ結成

2010年元日、PUFFY初のオフィシャルファンクラブの結成が発表されます。

同年6月からは、その“旗揚げ公演”と銘打った全国ツアーを開催。

香港・台湾においてもそれぞれ11年・12年ぶりとなるライブを敢行し、いずれもチケットを即完売させるという未だ衰えることのない圧倒的な人気ぶりを見せつけました。

2011年、満を持してデビュー15周年を迎えた2人は、通算11作目のアルバム『Thank You!』のリリースと同年4月からそれを携えた全国ツアーを発表します。

MEMO

同ツアーのファイナル公演の舞台となった日比谷野外大音楽堂は、5年前にデビュー10周年を記念して実施したライブでも使用した会場

本人たちだけでなく、ファンの中にも当時の思い出に浸る方が多かったようです。

人気アーティストたちが手掛けたシングル「パフィピポ山」

2015年11月、前作からおよそ2年半ぶりに配信限定でないシングル「パフィピポ山」をリリースしたPUFFY。

でんぱ組.incのプロデューサーであるもふくちゃんによるサウンドプロデュース、ミュージシャン・音楽プロデューサーの前山田健一さんによる作詞、作曲家のPandaBoYさんによる作曲、作詞・作曲・編曲家の浅野尚志さんによる編曲、映像作家・MV監督のスミスさんと映像監督ででんぱ組.incの元メンバーである夢眠ねむさんから成る「スミネム」によるMV、と豪華すぎるコラボレーションによって生まれた同曲には、発売前より各ファンからの注目が集まっていました。

20周年紅白歌合戦に初出場

長きにわたり素晴らしい活躍ぶりを見せてきたPUFFYですが、実は未だ『紅白歌合戦』への出場は実現していませんでした。

そんな彼女たちが同番組への初出場を果たしたのは、自身等のデビュー20周年となった2016年

MEMO

ステージでは「PUFFY 20周年紅白スペシャル」と銘打ち、過去に大ヒットを記録した「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」の2曲を披露しました。

大ヒットアニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌を担当

国民的人気を誇るアニメ『ちびまる子ちゃん』の2017年10月8日放送分より、新曲「すすめナンセンス」でエンディングテーマを務めることになったPUFFY。

翌年12月に配信リリースされた同曲は、アニメを象徴するオープニングテーマ『おどるポンポコリン』同様、原作者のさくらももこさんによる作詞、作曲家・音楽プロデューサー・シンガーソングライターの織田哲郎さんによる作曲で仕上げられ、PUFFYの2人がお馴染みのキャラクターたちに混ざって歌いながら登場するエンディング映像も大好評でした。

台湾で9年ぶりのライブを開催

2019年11月、PUFFY は2010年以来およそ9年ぶりとなる台湾でのライブを開催します。

久々の公演は現地ファンだけでなく、本人たちにとっても待望のものとなりました。

PUFFYの魅力

親近感ある活動スタイル

キレのあるダンスが流行し始めたタイミングにPUFFYのようなゆったりとしたダンスが売れた理由は、彼女たちの活動スタイルに自身の“日常”を重ねる聴き手が多かったからでしょう。

素人でも真似出来るパフォーマンスに加え、“Tシャツにジーパンスタイル”という普段取り入れやすい私服風の衣装をお洒落に着こなす姿に憧れる女性が続出。

誰にとっても、どんな時代にも色褪せないPUFFYの曲の魅力は、そんなシンプルなスタイルに起因するのだと思います。

多様な音楽を柔軟に吸収するセンス

これまで多数のアーティストから楽曲提供されてきたPUFFYには、どんな系統の曲もその魅力が最大限に伝わるように表現するセンスがあります。

そのため、歌う曲のジャンルはポップからロックまで多岐にわたるのが特徴。
作り手と聴き手に寄り添った歌唱は、大勢の心を揺さぶります。

PUFFYのおすすめ楽曲3選

アジアの純真

1996年、PUFFYがメジャーデビューを果たしたシングル。
1stアルバム『amiyumi』にも収録されています。

デビュー曲にもかかわらず、オリコンカラオケチャートでは12週連続1位に輝くロングヒットを記録。

ミリオンセラーを達成するほど好調な売れ行きを見せ、彼女たちが音楽界で一躍有名になるきっかけとなりました。

MEMO

本人たちも出演するキリンビバレッジ『天然育ち』のCMソングにも起用されたので、一般的な知名度の高さも誇ります。

歌詞中には、作詞を手掛けた井上陽水さんの楽曲制作で重視されるリズム感や押韻のほか、特に意味を持たない言葉が散りばめられています。

当時の音楽界にインパクトを与えた一曲として、挙げられることも多いようです。

渚にまつわるエトセトラ

1997年にリリースされた、PUFFYの4thシングル。
2ndアルバム『JET CD』にも収録されています。

デビュー同様、作詞には井上陽水さん、作曲には奥田民生さんが迎えられたほか、再びキリンビバレッジ『天然育ち』のCMソングにも起用されました。

デビューシングルから4作連続となったミリオンセラーを締めくくった曲としても有名です。

MEMO

CDジャケットには3rdシングル「サーキットの娘」と組み合わせると1つの絵として完成するという遊び心が満載。

井上さん自身と彼の娘が好物とするカニを含めた「カニ 食べ 行こう」や実在するアメリカの俳優、ハリソン・フォードの名が入ったインパクト抜群のフレーズが含まれる独特な歌詞、それをリズミカルに彩るメロディーが見事にマッチしています。

これが私の生きる道

1996年にリリースされた、PUFFYの2ndシングル。
2ndアルバム『JET CD』にも収録されています。

本曲も先述した2曲と同じく、ミリオンセラーを記録しました。

デビューシングルがロングヒットを記録する中で本曲が連続的なヒットしたことにより、彼女たちの音楽界での人気を確立したと言っても過言ではありません。

MEMO

タイトルの漢字部分を繋げると“私生道(しせいどう)”となることを由来とし、資生堂『ティアラ』のCMソングにも起用されました。

メロディーを重要視し、歌詞すらもサウンドの一種として捉えているのが特徴。
PUFFYの歌声と相性の良いサウンドが、曲の魅力をより引き出している印象を受けます。

最新情報

25周年記念CD+DVDボックス発売!

『PLAYLIST~PUFFY 25th Anniversary~』が4月21日に発売されました。
こちらのBOX SETは、CD5枚、DVD1枚の計6枚の大作となっており、ライブ映像のみならず過去のMVやテレビの映像なども収録されています。

最後に…

本記事ではPUFFYのプロフィールや経歴、魅力、おすすめ楽曲紹介を通し、彼女たちが色褪せない音楽を生み出す背景について迫ってきました。

最近でも国民的アニメとのタイアップや海外での音楽活動等、話題性や人気の絶えないPUFFY。

今回触れた3曲以外にも、その魅力が詰まった曲を多数手掛ける2人が今後も国内外問わず、広い舞台で活躍し続けてくれることに期待していましょう!

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