1972年〜1974年代生まれにどハマりする、読んだ後カラオケ不可避当時を思い出してしまうこと必至な、懐かしの1987年に流行ったあの名曲達をまとめてみました!
この当時はどんな曲が人気だったんだろう?
名曲は毎年生まれているからね!
1987年に流行った曲をチェックしてみよう!
目次
1987年の流行ヒット曲まとめ
光GENJI「STAR LIGHT」
チャゲ&飛鳥が作詞・作曲を担当した3部作の第1作目。
デビューシングル初登場第1位を記録し、最終的には85万枚を超える大ヒット曲となりました。
アイドルグループといえば3人が主流だった時代に、ローラースケートで縦横無尽に駆け回り、バク宙を決める7人のパフォーマンスは圧巻でしたね!
中森明菜 「難破船」
「TANGO NOIR」「BLONDE」と「難破船」87年のオリコンチャートTOP10に、なんと3曲もランクイン!
さすが、80年代を代表するアイドル「中森明菜」ですよね。
加藤登紀子作詞作曲の同曲。
加藤が明菜に惚れ込み「この曲を歌ってみませんか?」と、カセットを直接渡したことがきっかけだとか。
悲痛ともいえる絞り出す歌声が特徴的なこの曲は、中森明菜が歌う失恋ソングの中でも最高傑作との声高し!
松田聖子「Strawberry Time」
人気バンド「レベッカ」の土橋安騎夫が作曲を担当。
前作から約2年ぶりにリリースした「Strawberry Time」は、発売後すぐに1位を獲得。
年間オリコンチャートでも、5位にランクインしました。
トップアイドルだった彼女が、結婚・出産を経て、再び音楽シーンの最前線に復帰したことは、当時とても衝撃的でしたよね。
出産してもアイドルとして活動できることを世に知らしめ、以降「ママドル」という言葉を普及させた功績は、非常に大きいのではないでしょうか。
小泉今日子「木枯らしに抱かれて」
本人が主演した東映映画「ボクの女に手を出すな」の主題歌。
その人気ぶりによって、NHK紅白歌合戦にも見事出場を果たしました。
小泉今日子20枚目のシングル曲となる「木枯らしに抱かれて」の作詞・作曲をしたのは、THE ALFEEの高見沢俊彦。
オリコン週間チャートは第3位。年間チャートも11位と大ヒット!
瀬川英子「命くれない」
毎年最も著作権料が多かった曲に送られるJASRAC賞金賞を1988・1989年連続で受賞。
同賞の2年連続受賞は、これまでに「世界に一つだけの花」「ヘビーローテション」と「命くれない」の3曲だけです!
発売当時は鳴かず飛ばずの「命くれない」でしたが、有線からじわじわと火がつき、最終的には100万枚を超える1987年最大のヒット曲となりました。
吉幾三「雪国」
「追いかけて 追いかけて 追いかけて雪国」というフレーズが印象的な「雪国」
この歌詞は、NHKの新日本紀行という番組で、雪の中を走る列車を見て思いついたそうです。
「俺はぜったい! プレスリー」「俺ら東京さ行ぐだ」といったコミック路線から、本格的な演歌へ転身するきっかけとなった大ヒット曲です。
公私ともに親しい千昌夫から、本格路線への転身を猛烈に反対されるも、強引に押切ったというエピソードは有名。
長渕剛「ろくなもんじゃねえ」
お笑いコンビくりぃむしちゅーの上田晋也が、一番好きな曲として挙げているのは有名ですよね。
確かに「ぴぃぴぃぴぃ」という印象的なフレーズは、一度聴いたら忘れられないですね。
主演4作目となるテレビドラマ「親子ジグザグ」のオープニングテーマとして歌われると、瞬く間にヒット。
オリコンチャートでは最高3位を記録しました。
「順子」「勇次」「とんぼ」「乾杯」など、80年代にヒット曲を連発。ドラマの主演もこなし、まさに80年代の象徴ともいえる活躍ぶりでしたね。
少年隊「君だけに」
指を鳴らしながらダンスをするパフォーマンスが話題になりました。
照れてしまうような甘い歌詞に、メロメロになった女性も多かったのではないでしょうか
主演したSFアクション映画「19 ナインティーン」の主題歌であり、同曲で紅白歌合戦にも出場。
少年隊といえば、「仮面舞踏会」のように軽快なイメージが強いですが、同曲のヒットによりバラードもこなせる大人のアイドルとして認知されました。
チェッカーズ「I Love you, SAYONARA」
SEIKO 腕時計アベニューのCMソング。メンバーが全員CMに出演していたのも、当時話題になりましたね
チェッカーズは、前作からこれまでの製作陣を一新。
メンバーのオリジナル曲をシングルとして発表するスタイルに変更しました。
曲調がガラッと変わっても売上は好調で、同曲も20万枚を突破。
さすが、日本を代表するアイドルバンドですよね。
徳永英明「輝きながら」
「輝きながら」は、もともと「フジカラー・スーパーHR」のCMソングでした。
その後も「サントリー DAKARA」や「大阪ガス エコウィル」など、たくさんのCMに使われましたね。
「輝きながら」のヒットにより、デビュー翌年の1987年には「ミュージックステーション」「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」「夜のヒットスタジオ」すべてに初出演。
徳永英明にとって、1987年は忘れられない年かもしれないですね。