1970年は大阪では日本万国博覧会(通称、大阪万博)が開催されました。
よど号ハイジャック事件が発生し、アメリカンクラッカーが巷では大流行。
一方世界では当時既に圧倒的な人気を誇っていたビートルズが解散。
国内おもちゃメーカーのトミーがトミカ発売など激動の年でした。
今回はそんな1970年に流行った、当時青春真っ盛りな1955年〜1957年代の方がエモくなる楽曲を紹介していきます。
あの頃はよかった。
どうしたの?遠い目なんかしちゃって…
青春を一緒に過ごした曲たちを思い出してたんだ。
そんなにいい曲なら紹介して欲しいな。
1970年にみんながハマった曲を教えるよ
目次
黒ネコのタンゴ-皆川おさむ
子供から大人までみんなに愛された1曲と言えばこれ!
皆川おさむのつたない声と曲調が中毒性あって何度も聞いた人続出とか。
もともとイタリアの童謡だったこの曲。日本では邦題として『黒猫のタンゴ』と名付けられ、オリジナルの詩もつけられた。
シングル発売からオリコン14週連続1位と人気はとても高く、若い世代も曲を聞けば知っているほどの知名度を誇る。
ちなみに歌った皆川おさむは「タンゴ」の意味が分からず、猫の名前だったと思っていたなんて逸話もある。
圭子の夢は夜ひらく-藤圭子
夜の寂しい時に聞きたくなる謎の魅力…艶のある歌声には何度も泣かされた人も多いとか。
ちなみに歌っている藤圭子さんは宇多田ヒカルのお母さんだったりするよ。
ドスの利いたこぶしと透き通った声が曲をさらに哀愁漂うことから名曲と言われている。
「夢は夜開く」を原曲に藤圭子オリジナルカバーとして発売され、レコード売り上げは120万枚を記録する。
藤圭子はこの曲で第1回日本歌謡大賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場するなど、出世作とも言われている。
愛は傷つきやすく-ヒデとロザンナ
日本人のヒデとイタリアから来たロザンナの異国デュエットはなかなかいない存在だったから新しく感じた人も多かったみたい。
最近だとアニメ クレヨンしんちゃんの映画でも使われたことから、世代を超えて認知されているのがポイントですね。
ヒデとロザンナとして5枚目にリリースされたこの曲は間奏のトランペットも魅力の1つ。
サビの掛け合いはデュエットの王道パターンを作ったとも言われており、カラオケやスナックでついつい歌いたくなる曲でもある。
オリコンでは1970年の年間チャート7位にもランクインした。
逢わずに愛して-内山田洋とクール・ファイブ
ケータイのない時代で遠距離恋愛は文通だったこの頃。淡くて苦い恋の歌詞が心に染みる一曲ですね。
今よりも不便な時代だけど、その分こういう歌が心の癒しや励みになっていた、いい時代だったのではないでしょうか。
内山田洋とクールファイブとしては3枚目のシングル。大ヒットした『長崎は今日も雨』の追い風もあって、クールファイブのシングルでは唯一オリコンチャート1位を獲得。
メンバーそれぞれの歌唱力の高さが魅力的なグループとして評価されていました。
レット・イット・ビー-ビートルズ
この曲は名作中の名作です。ビートルズと言えばこの曲という人も多いのでは?
実はオリジナルシングルとしてはビートルズ最後の曲。この曲の意味が知りたくて英語を勉強した人も多いとか。
メンバーであるポール・マッカートニーが作詞作曲したビートルズとして最後の曲です。
アメリカ・ビルボード誌では初登場6位を飾り、この記録はキングオブPOPのマイケルジャクソンが初登場5位を獲得するまで破られなかった伝説の曲でもあります。
波止場女のブルース-森進一
複雑な女心が森進一の重みのある声で歌われていて、共感する女性が当時はたくさんいたんだよね。
アイドル的な人気もあった森進一に共感してもらえるって考えたらイチコロになるのも分かる気がするよ。
森進一の16枚目のシングルとなったこの曲。同じ年にはこの曲を題材にした映画も作成されるほど、ストーリー性のある歌詞が人気です。
第12回日本レコード大賞 歌唱賞を獲得した、森進一の代表作の1作ともいえる曲です。
コンドルは飛んでいく-サイモン&ガーファンクル
思春期にハマった人が多い曲だね。自分自身どうしたらいいか迷っていた人の応援歌になっていたんだよ。
曲調は明るいのに歌詞の意味を知ると涙が止まらない、そんな不思議な魅力が詰まっているね。
元々アンデス地方の民謡で歌詞がなかったところに、サイモンとガーファンクルが歌詞をつけてリリースしました。
この曲をきっかけにフォークが日本にも知られて、国内のフォークブームのきっかけにもなりました。
今聞いても泣けるし、心に染みるなぁ。
キミ、何歳から何歳まで青春だったのかな…。
聞いたことあるも曲多かったよ。
僕も聞いてみようかなあ…