「カムパネルラ」は、2020年8月5日にリリースされた米津玄師さんの5枚目のアルバム『STRAY SHEEP』に収録されている楽曲の1つ。
前作の『BOOTLEG』からおよそ3年ぶりとなるアルバムの1曲目を飾り、文学的な表現によって生み出された独特な歌詞が特徴的な楽曲です。
アルバムの1曲目を飾る歌にはどんな意味・想いが込められているのか。また、タイトルから分かる通り、名作童話の1つ宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とはどのような関係性があるのか、今回の記事でご紹介したいと思います。
米津玄師さんをもっと知りたい、理解したい方は、ぜひ最後までご覧ください。
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目次
米津玄師(よねづけんし)とは
2013年にメジャーデビューした米津玄師(よねづけんし)。
ソロシンガーとして活躍する彼は、元々ニコニコ動画を中心として活躍していたアーティストです。当時は「ハチ」という名義を名乗り、代表曲に「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」を持ちます。
2012年からは「米津玄師」名義で活動を始め、メジャーデビュー前から頭角を現していた人物です。「アイネクライネ」「LOSER」「ピースサイン」「Lemon」など、数多くの名曲・ヒット曲を生み出し、その話題性は海外にまで及びます。
米津玄師「カムパネルラ」とは
米津玄師さんの「カムパネルラ」は、2020年8月5日にリリースされたアルバム『STRAY SHEEP』に収録されている楽曲です。
YouTubeでの再生数は他の楽曲と比べてそれほど多くはありません。しかし、アルバムの初めを飾り、文学的な内容によって構成された独特な世界観が一部のファンに好まれています。
題名である「カムパネルラ」ですが、作家・宮沢賢治の著作『銀河鉄道の夜』を読んだことがある人であれば気付いたのはないでしょうか。
「カムパネルラ」とは、上述した『銀河鉄道の夜』に登場する人物で、主人公である「ジョバンニ」の親友として描かれている人物です。
しかし、楽曲に主要人物である2人は描かれてはいません。米津玄師さんはアルバムをリリースした際のインタビューで、「カムパネルラに対して歌っている曲ではあるものの、歌っているのはジョバンニではなく、ザネリをイメージしている」と述べています。
「ザネリ」とは、物語において脇役として登場する人物です。
『銀河鉄道の夜』の終盤で川に溺れたザネリを助けるカムパネルラ。おかげでザネリは助かったものの、カムパネルラは帰らぬ人となってしまいます。
この楽曲には、生き残ったザネリがカムパネルラを想う気持ちが込められており、曲全体のシリアスさはそれを表現していると思われます。
ちなみにこの曲は1曲目であるものの、米津玄師さんは最後に思いついた曲であるとのこと。当時の米津玄師さんの心情に一番近く、アルバム15曲目の「カナリヤ」を作り終えた時の物足りなさを埋めた最後のピースでもあります。
楽曲「カムパネルラ」に込められた意味
楽曲「カムパネルラ」は、宮沢賢治の著作『銀河鉄道の夜』を題材にしているだけあり、文学的な表現が目立ちます。
米津玄師さんの感性も混ざり合い、より独特な表現となった本楽曲ですが、そこにはどのような意味や想いが込められているのか。
下記では歌詞全体から感じるものを、筆者独自の視点から解説していきます。興味のある方はぜひご覧ください。
「ザネリ」から「カムパネルラ」へ
『銀河鉄道の夜』の物語では、ザネリを助けるためにカムパネルラが犠牲となりました。曲の歌詞はどことなく重たく、残されたザネリの後悔や懺悔の気持ちが込められているように思えます。
ザネリとカムパネルラは同じ学校に通う同級生です。
ザネリはジョバンニをいじめる子として描かれ、カムパネルラは優等生として描かれています。2人の関係は表と裏の存在と言ってもいいでしょう。
表と裏、白と黒、正義と悪など、2人を言い表す言葉は様々です。
しかし、最後に残ったのは裏であるザネリでした。
本来は溺れ死ぬかもしれなかったザネリが生き残ってしまった。
「計らずも 君を残して」
「君がくれた寂しさよ」
「黄昏を振り返り その度 過ちを知るでしょう」
歌詞の一部から引用したものを並べると、ザネリの後悔や懺悔の気持ちが込められているよう思えます。それでも最後には「君を憶えていたい カムパネルラ」と、罪の意識を背負いながらも生きていくことを誓う描写がされています。
クリスタルの輝きは傷でもある
米津玄師さんは、この楽曲のインタビューで「光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル 君がつけた傷も 輝きのその一つ」というフレーズに対して、今の自分の心情に一番近いものであると語っています。
本人の考えでは「宝石は原石を削って美しい形にたどり着く。それは傷つけることと同意で、それは人間も同じことだと思っている」とのこと。
傷はどうしてもマイナスに捉えがちですが、時にはそれが自分の成長にも繋がります。
もちろん限度はあり、それが致命的な傷になってしまうこともあるでしょう。
そんな時には傷を磨き、少しずつ薄くしていく必要があります。そう思うと宝石と人間の成長はどことなく似ているように思えます。
『銀河鉄道の夜』の中でも、このようなセリフがあります。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
水晶とはクリスタルですね。
そして小さな火が燃えているとは、命のことを表しているのかもしれません。
しかし、いくら成長と言っても、それが傷であることを間違えないでください。自分ではどうすることもできない傷があるはずです。
もし友人がそのような事態に陥ってしまっていたら、その傷を優しく磨いてあげることも必要です。1人ではなく、2人で、そして3人で成長していくことも間違いではありません。
「カムパネルラ」から「ザネリ」へ
これはザネリからカムパネルラへと向けられた想いの曲であると先述していますが、実は冒頭部分でその逆が描かれているように思えます。
「君のあとに 咲いたリンドウの花」
リンドウとは小説でも登場した花の名前です。「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」とカムパネルラ。
なぜこれがカムパネルラからザネリへと向けられた言葉なのか、それは花言葉にあります。
リンドウの花言葉を調べると「誠実・正義」とありますが、それとは別に「悲しんでいるあなたを愛する」といった意味も含まれています。
カムパネルラを失ったことで懺悔や後悔の気持ちを抱くザネリ。
「君のあとに」とは、恐らくカムパネルラが溺れ死んだ場所のことでしょう。そこに咲いたリンドウの花は、カムパネルラからザネリに向けられた言葉のようにも考えられます。
この場合では愛情を直接的に捉えるのではなく、大切に想うや見守っているといった言い換えが適切かと思います。
後悔の念を抱き続けるザネリを花となったカムパネルラが見守り続ける、そう考えても面白いかもしれません。
まとめ
今回ご紹介した内容は「カムパネルラ」のほんの一部分でしかありません。楽曲には意味深な歌詞がまだまだ散りばめられています。
ちなみに今回一緒にご紹介した『銀河鉄道の夜』ですが、実は未完成の作品でもあります。宮沢賢治の死後に発見され、専門家によって今の物語が生み出されました。
また、実はこの物語は計4回の改稿がなされています。
台詞や登場人物、内容が丸々削られたものがあり、結末のカムパネルラが川に流されるシーンは現在の第4稿(最終稿)で追加されたものです。その他、ブルカニロ博士、黒帽子の男などの登場が消え、改行や単語も所々異なります。
また、楽曲名である『カムパネルラ』も、現代表記の小説では「カンパネルラ」と訂正されている場合もあります。
それぞれのバージョンによって異なり、どうしてこのようにしたのかと考えながら読んでみると、内容をより深く理解できるでしょう。
そして『銀河鉄道の夜』を読んだ後に、米津玄師さんの『カムパネルラ』を聴いてみてください。歌詞や楽曲の雰囲気を物語と繋げながら考察すると、また違った発見があるかもしれません。
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