【結成40周年】ニューロティカの経歴とおすすめ曲を徹底解説!

【結成40周年】ニューロティカの経歴とおすすめ曲を徹底解説!

1980年代後半から90年代にかけて、日本では空前のバンドブームが起こりました。音楽番組で活躍するバンドに憧れて、学生時代に楽器を始めたという人も少なくないのではないでしょうか。

今回は、バンドブームと共にメジャーデビューを果たし、ブームが去った後もなお活動を継続。2024年に結成40周年を迎えるニューロティカを紹介します。

ニューロティカって、どんなバンド?

ニューロティカは、ボーカルのアツシと元メンバー修豚との出会いから始まりました。当時アツシは歌謡曲を中心に聞いていましたが、友達に借りたARB(エーアールビー)のCDを聞いて衝撃を受けたそう。

その後、アツシと修豚はシャッフルというコピーバンドを結成し、卒業後にコピーバンド大会を開催するほどになりました。そして「オリジナルの楽曲がやりたい!」ということから、1984年1月にニューロティカを結成しています。

結成からわずか2ヶ月後に新宿JAMで初ライブを開催したニューロティカは、学校の先輩後輩の関係でもある我殺やTHE HYDRAと共に「ネオファミリー」というコミュニティーを作り、そこからネオファミリーレコードを設立しました。

バンドブーム到来

1980年代後半になると、THE BLUE HEARTSやUNICORN、JUN SKY WALKER(S)など様々なバンドがデビュー。音楽番組にも多くのバンドが出演したこともあり、バンドブーム到来となりました。

その流れに乗るかのように、ニューロティカは1989年5月に初のフルアルバム「ハーレム野郎」をリリース。インディーズながら、よみうりホールにて初のホールワンマンを行うほどの人気を獲得しています。

さらに同年9月には渋谷公会堂で2度目のホールワンマンを開催したニューロティカは、ピエロの格好をしたアツシが印象的だと話題に。ホールライブも全席満員を記録するなど、インディーズバンドを代表する存在になりました。

それらの功績が認められ、ニューロティカは1990年6月に日本コロムビアから「ア・イ・キ・タ」でメジャーデビュー。彼らが大切にしてきたポップなロックバンドという新しいジャンルが世間に認められ、ステージを所狭しと駆け巡るアツシのスタイルも確立されていったのです。

新宿ロフトとニューロティカ

ニューロティカは新宿にあるライブハウス「新宿ロフト」と深い関わりがあることもポイントです。この場所は、彼らがインディーズ時代からライブを行っている会場でもあり、1989年12月には新宿ロフトにて「1,000人斬り」と称した3DAYSライブを開催しました。

チケットは全日ソールドアウトを記録し、3日目に目標の1,000人を突破。翌年、彼らはメジャーデビューを果たすのですが、新宿ロフトでのライブは変わらず行っており、1991年1月には、1,000人斬りを上回る「10,000人斬りシリーズ」をスタートさせました。

この企画は、新宿ロフトの動員が10,000人を達成するまで不定期でライブを行うというもので、1993年1月に開催された新宿ロフト2DAYSで、目標の10,000人を達成しています。

その後もニューロティカは新宿ロフトでライブを開催し続け、2021年12月に新宿ロフトでの通算出演回数300回を達成。アンコールでは、歴代の新宿ロフトの店長からトロフィーがプレゼントされるというサプライズも用意され、彼らが培ってきた歴史を讃える場面も見られました。

MEMO

ニューロティカは新宿ロフトに最も多く出演したバンドとなり、その記録は当分破られることはないでしょう。

ドキュメンタリー映画公開


2015年に結成30周年を迎えたニューロティカは、ボーカルのアツシが50歳を迎えることもあり、初のドキュメンタリー映画「あっちゃん」を制作。この費用はクラウドファウンディングで集められ、約370万円だった目標金額に対し、わずか3日でその金額をはるかに超える940万円以上もの金額が集まりました。

日本の自主制作映画で、これほどの金額が集まることは異例のことだそうで、いかにニューロティカがファンから愛されているバンドであるかが窺えます。今回の映画制作に関してはメンバーのNABOの一言から始まっており、NABOは「あっちゃんの存在をもっと多くの人に知ってほしいと思いました」と話していました。

著名人からの支持

映画「あっちゃん」には、ニューロティカのメンバー以外にも彼らを愛してやまない様々な著名人が登場。自身が持つ「あっちゃん愛」を語っています。今回は、その中から数名をピックアップして紹介しましょう。

宮藤官九郎

グループ魂の暴動としても活動している宮藤官九郎は、ニューロティカがメジャーデビューしてすぐの野外イベントで初めて彼らの音楽に触れました。当時は、ロックバンドのボーカルが顔を白塗りにしていることに対して否定的な意見を持っていたそうですが、様々なイベントに出演しているニューロティカを見て興味を持つように。

今ではニューロティカと同じステージにも上がり、宮藤官九郎がニューロティカの楽曲をセレクトしたアルバム「ベスト・オブ・ニューロティカ」をリリースするほど彼らの大ファンとして認知されています。

東京ダイナマイト


コンビ名は、ニューロティカの楽曲「東京DYNAMITE」から取ったもので、舞台に登場する際に使用される出囃子にも、ニューロティカの楽曲を採用したことがありました。

その後、東京ダイナマイトとニューロティカがタッグを組み、ロックとお笑いを融合したDVDを企画。さらに、東京ダイナマイトのDVD「グレートダイナマイトフロムヘル」には、初回限定特典としてニューロティカが作曲・演奏した楽曲を、東京ダイナマイトが歌ったCDが封入されるなど、ジャンルを超えた交流にも注目が集まりました。

まちゃまちゃ


中学3年生のときに初めてニューロティカのライブを経験したというまちゃまちゃ。その後、氣志團とニューロティカがライブをするということを聞きつけ、再び彼らのライブへ足を運ぶようになり、今ではニューロティカのステージに登場するまでになりました。

また、2008年に発売されたニューロティカのカバーアルバム「PUNCH! PUNCH! PUNCH!」では、アツシのピエロメイクを施したまちゃまちゃがジャケット写真として登場。ニューロティカが武道館ライブを開催した際には、関係者席で1人泣きながら応援するまちゃまちゃの姿が目撃されています。

氣志團

氣志團のボーカル綾小路翔は、高校の学園祭でニューロティカのコピーバンドをするほどのファンだったそう。その後、まだバンド名も知られていなかった氣志團は、アツシの提案で憧れのニューロティカのライブに出演することが決まり、この出来事をきっかけにニューロティカと様々なコラボレーションを行うようになりました。

綾小路翔は「ツアーのやり方から女の子のことまで、大切なことは全部ニューロティカに教えてもらった」と話しており、氣志團のステージングにはニューロティカらしさが取り入れられているとも話しています。

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