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山田哲人のNPB時代
NPBでの個人成績
1年目のクライマックスシリーズで1軍初先発を果たした山田は、翌年から次第に出場が増えていき、4年目の2014年にレギュラーとして定着します。
この年は山田の打撃開花の年となっており、なんとNPB史上初となる6ヵ月連続初回先頭打者本塁打を記録。そして翌年の2015年には打率.329・38本塁打・34盗塁をマークし、彼の代名詞とも言えるトリプルスリーを達成します。
山田はそこからNPB史上初となる2年連続のトリプルスリー、さらに2018年には通算3度目となるトリプルスリーを達成することに。
そしてその後も活躍を続け、2023年シーズン終了時までに通算1488安打・285本塁打・194盗塁というとてつもない数字を積み上げてきました。山田はNPB史上唯一のトリプルスリー複数回達成者として、今もヤクルトを牽引し続けているのです。
NPBでのチーム成績
山田が入団してから次第に順位を落とし、2013年から2年連続最下位となったヤクルトですが、その翌年になんと14年ぶりのリーグ優勝を達成します。
山田はこの年に自身初のトリプルスリーを記録し、チームの躍進に大きく貢献しました。また日本シリーズでは福岡ソフトバンクホークスに敗北してしまったものの、山田はシリーズ史上初となる1試合3打席連続本塁打をマークし、敢闘賞を受賞します。
そしてキャプテンに就任した2021年には自身初となる日本一の座に輝き、翌年もリーグ優勝を勝ち取りました。
彼は長らく優勝や日本一から遠ざかっていたヤクルトを、強豪球団に成長させた立役者のひとり。チームになくてはならない「ヤクルトの顔」と言うべき存在なのです。
NPBで獲得したタイトル
山田はレギュラー定着した2014年に最多安打を獲得し、その翌年にはなんと本塁打王・盗塁王・最高出塁率の3冠に輝きます。
本塁打王と盗塁王の同時獲得はNPB史上初の偉業となっており、トリプルスリー達成とともに盗塁王を獲得したのも史上初です。記録ずくめのこの年はMVPにも選出され、山田にとって最高のシーズンとなりました。
それ以降は打撃タイトルとの縁はないものの、2016年と2018年には盗塁王を手にし、その俊足ぶりを見せつけています。
ちなみに山田自身はゴールデングラブ賞に強い憧れを抱いており、2024年シーズン前には「1番とりたいタイトルと言ってもおかしくない」と初獲得への並々ならぬ熱意を明かしていました。
日本代表としての活躍
2015年の第1回WBSCプレミア12で日本代表に選出された山田は、それ以降も代表メンバーとして数多くの国際大会に出場し、輝かしい実績を残しています。2019年におこなわれた第2回WBSCプレミア12では、決勝で逆転スリーランホームランを放ち、日本の初優勝に大きく貢献しました。
さらに2021年に開催された東京オリンピックではチームトップとなる7打点を叩き出し、金メダル獲得の原動力として大活躍。圧巻の打撃成績を評価され、大会MVPにも選出されました。
そして2023年のWBCでは精神的支柱としてチームを支え、ここでも優勝を勝ち取ることに。なんと山田は3つの国際大会で1位を経験している、球界屈指の華々しい経歴の持ち主なのです。
山田哲人と巨人の因縁とは
FA権取得時に巨人移籍説が浮上
ヤクルト一筋でプレーを続ける山田ですが、2020年9月に国内FA権を取得した際は他チームへの流出も噂されていました。その移籍先候補の筆頭として語られていたのが読売ジャイアンツ、通称・巨人です。
セカンドのスター選手が不在だった巨人にとって、山田は喉から手が出るほど欲しい選手でした。そのうえ山田はもともと巨人ファンで、同チーム所属の坂本勇人とは大の仲良し。相思相愛の状況で、移籍の可能性はかなり高いと思われていました。
しかし蓋を開けてみると、山田は移籍どころかFA権の行使すらせずに、ヤクルトと7年契約を結ぶことに。この長期契約により将来的な移籍も難しくなり、巨人ファンからは落胆の声が多くあがりました。
ちなみに2016年には当時巨人に所属していた田原誠次が山田に死球を当て、強烈なバッシングを浴びたことで大きな話題となり、さらに2018年の巨人戦では山田が自身初となるサイクル安打を達成し世間を賑わせています。何かと縁がある山田と巨人。今後も新たな因縁が増えていくかもしれません。
山田哲人なぜメジャーに挑戦しなかった?
球界屈指の名選手として知られる山田。ファンからは「なぜメジャーに挑戦しなかったのか」という疑問の声が多くあがっています。
彼が海外FA権を獲得したのは2021年6月なのですが、その前年にはヤクルトとの7年契約を締結。つまりこの時点で、メジャー行きは断念していたものと思われます。
実はこの年の山田はコンディション不良に陥っており、成績が大きく下降していました。もしかしたら彼の中に「もう全盛期のような活躍はできない」という不安があったのかもしれません。
さらに当時のメジャーリーグでは、日本人野手の評価がそれほど高くありませんでした。そのため海外移籍を決断したとしても、大型契約を結ぶことは困難だったはず。そういった状況を考慮したうえで、山田は安定した契約を手に出来る、国内残留を選んだのだと思われます。
しかしながら、いち野球ファンとしては「メジャーに行った山田を見てみたかった」と思ってしまうのも事実です。全盛期の山田ならメジャーでどんな成績を残していたのか。今後もファンのあいだで、長きに渡り議論が続けられることでしょう。