広島東洋カープのエースとして活躍した黒田博樹(くろだひろき)。メジャーを渡り、選手としての晩年は再び広島のマウンドに立ち、ファンを沸かせた男気溢れる人物。そんな彼の現在や選手としての経歴について紹介したいと思います。
MY MANAGER THROWS BASES!(ウチの監督はベースを投げるぞ!)
……それは今回、紹介する人物とは関係ない人だよ……チームとしては関係あるけれど
THROW BASES!(私はベースを投げるぞ!)
うん、もう勝手に進めるね……今回は男気溢れる広島カープの永久欠番、黒田博樹さんについて紹介していきます
目次
黒田博樹のプロフィールを紹介!
こちらでは黒田博樹さんの出身地やポジション、背番号などについて紹介しています。
出身地:大阪府大阪市住之江区
生年月日:1975年2月10日(45歳)
身長:185cm
体重:93kg
背番号:15→18→15(広島球団の永久欠番)
投打:右投げ右打ち
速球と変化球を巧みに操る本格右腕
黒田博樹さんは、最速157km/hの速球とシンカー、フォーク、スライダーを投げ分けける本格右腕。稀にカーブやカットボールを織り交ぜ、打者を翻弄する投球は国内だけでなく、メジャーでも通用する技術を持っていました。
メジャーにおいては当時「現役最高のスプリッター」としても高い評価を得ており、日米に渡って活躍した素晴らしい投手です。
広島カープのエース「ミスター完投」
黒田博樹さんがメジャーに移籍前に在籍していた広島時代には、完投数リーグ1位を6度も達成するなど、そのタフさから「ミスター完投」という異名を持ちました。
メジャーに移籍した際は完投にこだわることを捨て、チームへ貢献する投球を心がけていたようです。個人成績にこだわるのは単なる自己満足に過ぎないと黒田さんは語っており、常にチーム第一を考えられる柔軟さが、メジャーでも通用したのでしょう。
黒田博樹の登場曲はB’zのRED
黒田博樹さんは、球界きってのB’zファンとしても知られています。中学、高校、大学を聴いていたと語っており、黒田さんにとっては青春の曲でもあります。
そんな黒田さんは2014年のオフシーズン、B’zのギタリストである松本孝弘さんと食事をする機会があったそうです。この時、アメリカに残るか、広島に戻るのか決められないでいました。
しかし、会食を通して野球と音楽について語り、ジャンルは違うがファンを思う気持ちやプロとして立ち続けることについて学んだそうです。
そして2015年2月、広島カープに戻る決意をした黒田さんは、松本さんに連絡して楽曲をお願いしたそうです。
そして完成したのがこちらの曲です。
広島東洋カープのイメージカラー「RED」がタイトルとなったようです。カッコいい曲に仕上がっており、黒田さんもこの曲には共感できると述べていました。
ちなみに黒田さんは『楽はしない 偉ぶらない 誰のせいにもしない』という歌詞が心に響いたとも述べています
背番号「15」広島カープの永久欠番に
日米に渡って活躍した黒田博樹さんは、晩年を広島カープで過ごし、そして広島カープの赤と白に包まれながら現役を引退しました。
背番号15と同じく、15回の胴上げ、そしてグランドに別れの涙。ファンにとっては今思い出しても涙流れ出るシーンでしょう。
そんな黒田さんの広島での背番号である15は、黒田さんの引退後に広島カープの永久欠番になることが発表されました。生涯広島を貫き、海を渡っても再び広島の地を踏んだ男に対して、これ以上無い称賛でしょう。
黒田博樹の主な経歴やタイトルを紹介!
ここでは黒田博樹さんの主な経歴やタイトルについてまとめています。黒田さんがどのような人物でどんな活躍をしたのかを知りたい方は、是非ご覧ください。
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【タイトル】
- 最多勝利:1回(2005年)
- 最優秀防御率:1回(2006年)
- 150勝:2012年6月13日
- 2000奪三振:2013年6月7日
- 200勝:2016年7月23日
- 200勝(先発投手勝利のみにおける200勝目):※通算では史上初
- 3000投球回:2015年9月14日※史上2人目
【NPB/MLB通算記録】
※初記録や一部の記録に関しては掲載しておりません。
アテネオリンピック野球日本代表に選出
1996年、ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団した黒田博樹さんは、徐々に広島カープでエースとして成長していき、 2003年には3年連続の2桁勝利を飾ります。また、自身初となる投球回200イニング以上を達成。
これらの成績が認められ、2004年にはアテネオリンピック日本代表選手に選出されます。中継ぎとして2勝を上げ、銅メダル獲得に大きく貢献しました。
広島カープ投手初の年俸2億超え
ファンであれば、広島東洋カープの年俸が他球団に比べて低いことはご存知だと思います。これは、カープの査定が厳しいことも影響しています。
全ての選手がこのような考えではないでしょうが、世間から見ると年俸が選手の一つのステータスでもあります。そんな厳しい査定の広島カープで、黒田博樹さんは2005年にタイトル料込で年俸2億円を達成します。
この時はリーグ最多勝利で自身初となるタイトルを獲得しており、また、投手で年俸が2億を超えたのは黒田さんが初です。広島カープのエースとして球団からも認められた瞬間でもあるでしょう。
ファンに愛され揺れ動く15番
2006年のシーズン最終戦、この年FA権を取得していた黒田博樹さんに対して、広島カープファンはこのような横断幕を掲げました。
我々は共に闘ってきた
今までも これからも…
未来へ輝くその日まで
君が涙を流すなら
君の涙になってやる
CARPのエース 黒田博樹
同時に背番号15の赤いプレートがライトスタンドを埋め尽くしました。
これほどファンに愛され、熱狂させるのは過去にもあまり例を見ません。ファンの声が届いたのか、黒田さんはこの年のFA権を行使せず、広島カープに残留を決めました。
メジャーで日本人史上3人目の開幕投手
黒田博樹さんは2007年12月15日、ロサンゼルス・ドジャースと3年契約を結び、メジャーの舞台へ立ちました。ちなみにカープ初のメジャーリーガー誕生でもありました。
メジャーでは好不調の激しい登板を繰り返していましたが、徐々に適応していくと開幕投手に抜擢。 2009年には野茂英雄、松坂大輔に次いで日本人史上3人目の開幕投手を務めました。
日本人最多記録の5年連続二桁勝利達成
ロサンゼルス・ドジャースからニューヨーク・ヤンキースへと移籍した黒田博樹さんは、2013年に日本人最多記録となる4年連続二桁勝利を達成します。
しかし、黒田さんはこれだけでは終わりません。2014年には日本人選手では野茂英雄以来の5年連続規定投球回に到達すると、前年に自身が記録した二桁勝利を更新して5年連続二桁勝利を達成しました。
日本でも活躍した右腕は、メジャーに渡ってもその存在感を見せつけていました。
黒田博樹、20億を捨て貫くカープ愛
2014年にヤンキースからFA(フリーエージェント)となった黒田博樹さんは、古巣ドジャースやパドレスなどが争奪戦に参加し、年俸は40代ではメジャー市場最高の21億円超えになることが予想されていました。
誰もがメジャー残留をするだろうと考えているなか、なんと黒田さんはメジャーから広島東洋カープへ復帰することを発表しました。これには国内だけでなく、海外からも驚きの声があがっていました。
ちなみにこの時の広島の推定年俸は4億円+出来高というものでした
黒田博樹「生涯広島宣言」の誓い
黒田博樹さんの広島東洋カープへの復帰は、全国メディアでも大きく取り上げられました。なぜ、黒田さんは多額の年俸を捨て、広島へ戻ることを決意したのでしょうか。
メジャーに渡る前、黒田さんはこのような発言をしております。
「国内へ戻るなら広島しかない」
「戦力になるうちに広島へ戻りたい」
メディアを通じて伝えられたこの言葉を黒田さんは守り抜き、チームのため、そしてファンのために広島カープへと舞い戻ったのです。誓った約束を果たすその姿は、惚れ惚れとするものでしょう。
日米通算200勝!リーグ優勝を飾る
2014年にメジャーから広島東洋カープへと復帰した黒田博樹さんは、自身の年齢から残りの野球人生は長くないと語っていました。
1球1球に気持ちを込めて投げ抜き、一時は右腓骨筋腱周囲炎により出場登録を抹消されも、40歳のシーズンで11勝8敗、リーグ7位の防御率2.55という成績を残します。
2016年には4月2日の巨人戦において4安打完封勝利を記録し、40代での完封勝利は史上8人目、41歳以上では4人目の快挙となりました。
7月23日の阪神戦においては7回5安打無失点で、NPB/MLB通算200勝を達成しました。日米通算200勝は野茂英雄に次いで2人目の快挙でもあります。
そして9月10日、対巨人戦で先発した黒田さんは6回6安打3失点という結果を残し、念願のリーグ優勝を成し遂げました。緒方孝市監督、新井貴浩とともに胴上げをされました。
涙とともに別れを告げ、現役を引退
2016年10月18日、ついにその時が訪れました。
黒田博樹さんが、シーズン限りで現役を引退することが発表されました。悲しむ声も多かったですが、ファンとの誓いを胸に舞い戻った黒田さんには、感謝の言葉も多くあがっていました。
同年10月25日の日本シリーズ第3戦が最終登板となり、5回2/3を投げ85球4被安打1奪三振1失点。最後の打者は大谷翔平でした。
引退セレモニーでは、マウンドへ最後の別れを告げて男泣き。また、チームからは背番号と同じ15回の胴上げをされ、生涯広島を貫いた男への歓声は最後まで熱いものでした。
黒田博樹の現在とは?監督復帰もある?
現役を引退した黒田博樹さんは現在、アメリカを拠点に置いています。帰国時には野球解説者として活動をしており、スポーツ番組を中心にゲスト解説者として登場しています。
そんな黒田さんに監督として復帰するのではないか、という声もあります。
現在は吉本興業に所属
引退した黒田博樹さんは、現在「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」に所属しています。しかし、なにも芸人になろうというわけではありません。
現在は米国を拠点にしているため、仕事の窓口として所属しています。日本での仕事があるときに来日するスタンスを今後はとるようです。
黒田博樹の監督での復帰はあるのか?
広島東洋カープのエースとして成長し、その実力は海を渡ってメジャーリーグでも発揮しました。そして古巣である広島へ戻った時は、ベテラン選手としてチームを引っ張る存在にまで成長しています。
現在は緒方孝市に代わって佐々岡真司が監督として就きました。広島では、よほどの不振でない限りは、指導能力とチーム貢献度のあるOBから5年の長期契約を結び、チャンスを与えていきたいという方針があります。
日米に渡って活躍した実力と野球知識、そしてファンをも巻き込むリーダーシップには黒田博樹さんはぴったりの人材です。現に緒方孝市が退任された際は、黒田さんも監督の候補としてメディアでは声があがっていました。
拠点を米国に移している黒田さんですが、まずはコーチとして広島に復帰する可能性が高いでしょう。順当に行けば、その後は黒田監督として広島カープを勝利へ導いてくれるかもしれません。
最後に
以上、黒田博樹さんについての紹介となりました。
チームを引っ張り、生涯広島宣言でファンにまで愛された人物として、今後も男気溢れる選手として語られることでしょう。
現在はメディアを中心にゲスト解説として顔出しをおこなっているようですが、今後はもしかすると指導者として再び広島のユニフォームに袖を通すかもしれません。
そのリーダーシップと日米を渡った野球知識で、ぜひとも野球を盛り上げてもらいたいものです。
それでは、ここまでのご閲覧ありがとうございました。