松原みき – 「真夜中のドア」が海外で大反響! 再び脚光を浴びるシティポップの名手を徹底解説

松原みき – 「真夜中のドア」が海外で大反響! 再び脚光を浴びるシティポップの名手を徹底解説

2004年、44歳という若さでこの世を去った松原みき。亡くなってから15年以上経った今、Spotifyはじめ多くのサブスクリプションで再生回数がうなぎ上りとなり、若者を中心に再ヒットを遂げています。2020年代、なぜ彼女の曲が再度脚光を浴びるに至ったのか?彼女の生涯・ディスコグラフィを振り返りながらその理由を探ります。

44年の生涯-デビューから死去まで

1959年、大阪生まれの彼女。1979年に今まさに大ヒットしている「真夜中のドア〜Stay With Me」でデビュー
を果たします。1991年までにカップリング含め17枚のシングルと9枚のアルバムをリリース。資生堂のCMソングなど数多くのタイアップソングも手掛けてきています。

1990年にバッグバンドのメインドラマーだった本城真樹と結婚。結婚と前後し、歌手から作曲家としての活動に注力するようになります。CMソングやアニメで使う楽曲制作をメインに活動していました。

作曲家に主軸を移した理由として考えられるのが、彼女の音楽に対するスタンスです。

新人時代のインタビューで「他人と競争するのが苦手」「楽しく音楽をやりたい」とコメント。オリコンチャートに数々の音楽賞、加えてザ・ベストテンに代表されるよう新曲披露としてだけでなく、“いかに1位をとる歌手になるか”も重視されていた当時の音楽業界の風潮が合わなかったのかもしれません。自分の好きな曲を作ることに集中するというのは、彼女にとって理想の音楽ライフだったのです。

しかし、2001年に作曲家としての活動停止を発表。同時に子宮頸がんであることも公表しました。がんの進行度はステージ4。転移の可能性もあるほど悪化していました。3年の闘病を経て、2004年10月に死去。44歳という若さでした。

生前残した松原みきの名曲

彼女が歌手として活躍していたのは1990年前後まで。その活動期間中にも数多くの名曲を作っています。彼女が生涯携わってきた楽曲から、特に有名なものをピックアップします。

真夜中のドア〜Stay With Me

1979年にリリースしたデビュー曲です。「新人歌手で10万枚売れれば成功」と言われた当時、オリコン調べで10万4000枚、オリコンチャート最高28位と十分なヒットとなりました。当時の新人賞も複数受賞しています。

デビュー当時、山下達郎や竹内まりやなどを中心としてチャートを席巻していたシティ・ポップの王道ともいえる曲調。ニッチな邦楽ファンの中では名曲として認知されており、過去に広瀬香美や中森明菜、Ms.OOJAなどがカバーしています。

ちなみに、曲名は「Stay With Me」のみの予定でしたが、同時期に堺正章が同じタイトルでシングルリリースが決まっていたため急遽差し替えとなっています。

愛はエネルギー

スーパーの西友のキャンペーンソングとしてリリースされたこの曲。キャンペーンのCMには本人も出演しています。

この曲の作曲・編曲は「真夜中のドア〜Stay With Me」と同じ林哲司。1980年代には杏里の「悲しみがとまらない」中森明菜の「北ウイング」はじめ数多くの大ヒットソングを作った名作曲家です。これ以外にも彼が提供した楽曲は多数。他の曲と合わせて2021年11月リリースされた初のコンピレーションアルバム「松原みき meets 林哲司」に収録されています。

THE WINNER

ガンダムファンなら、「松原みきといえば0083のテーマを担当していた人」という認識を持っている方も多いでしょう。

この曲は1990年にOVAとして公開されたガンダムシリーズの外伝的作品「機動戦士ガンダム 0083 STARDUST MEMORY」の前期シリーズのテーマソングです。当時のアニメタイアップソングに多い打ち込みとキーボードを多く使った曲です。

ガンダムファンの間では、前期のテーマにもかかわらず歌詞が重たいと感じている人も多いです。というのも、作中で戦いに直接関与するような描写が少ないにも関わらず、大サビの歌詞には「戦い」「世界まで燃やし尽くす」といった戦争に関連する言葉が並んでいるから。

しかし、この歌詞を使ったのはその後の展開を見越してのことでした。

後期以降はガンダムシリーズではおなじみの地球連邦軍対ジオン軍の争い「一年戦争」の負の遺産ともいえるやりとりが垣間見えています。この展開を読んで、作詞をしたのでは?と考えられます。

彼女のオリジナルシングル・アルバムリリースは1988年が最後。サウンドトラックに収録されたこの「THE WINNER」が歌手・松原みきとしてリリースされた事実上最後の曲といえます。

作曲家・松原みきとしての活動

1990年代以降、作曲家に軸足を置いていた彼女。アニメ「Kanon」の水瀬名雪役で有名な声優・國府田マリ子への楽曲提供を主軸に、CMソングやアニメ・特撮作品の挿入歌を多く手掛けていました。特にアニメソングは有名な曲を多数作り出しています。

例えば、先ほど取り上げた「THE WINNER」で参加した「機動戦士ガンダム 0083 STARDUST MEMORY」。後期およびこの作品のリマスター版である「機動戦士ガンダム0083 ジオンの残光」のテーマソングの作曲を行っています。

他にも、以下の作品に参加しています。

  • NANAの作者である矢沢あいの作品「ご近所物語」のアニメ版テーマ
  • 1999年から放送の「おジャ魔女どれみ」シリーズの挿入歌
  • 1998年から放送された「ウルトラマンガイア」の主題歌

今でも名作と呼ばれるアニメや、当時の子供たちを夢中にさせたヒット作にも携わっていました。

なぜ「真夜中のドア〜Stay With Me」が再注目されているのか?

デビューシングルでもある「真夜中のドア〜Stay With Me」リリースから40年以上。なぜ今、ここまで流行しているのでしょうか?

そもそも、彼女が活躍していた時代の名曲たち―シティ・ポップは、爆発的とは言いませんが2010年代後半から人気があります。それこそ彼女と同世代でもある竹内まりやの名曲「プラスティック・ラヴ」は数年前から注目されており、YouTubeにアップされている動画にも英語でのコメントが多数見受けられています。

昭和歌謡のアレンジを中心に人気を博している韓国のDJ・Night Tempoの活躍も目覚ましく、ダンスチューンとして日本のシティ・ポップに慣れ親しんでいる若者も増加中。国内外問わず、70年代・80年代の邦楽に注目をしている音楽ファンは多数います。

数年前からある流行の中、なぜここまで話題沸騰しているのか?

そのきっかけを作ったのはインドネシア出身のYouTuber・Rainychです。

竹内まりやからYOASOBIまで、時代問わず数多くの邦楽アーティストのカバー曲を数多くアップしている彼女。2020年10月に「真夜中のドア〜Stay With Me」のカバーをアップしました。

これが海外で大ヒット!動画には英語に限らず、日本語も交えたコメントが多数残されています。

「日本人の親が反応した」という日系外人ユーザーのコメントが動画に残されているように、この楽曲はSNS世代である若者の親が聞いていた曲。曲を聴かせた様子を動画に収めたTikTokで大流行し、若者にも耳なじみの曲となってきました。

SNSでの“バズり“の影響を受け、数多くの音楽配信サイトやサブスクリプションで大注目されるようになりました。

  • Spotifyのグローバルバイラルチャートで18日連続1位
  • 世界47か国のApple Music J-PopランキングでTOP10入り

いずれも日本人アーティストでは初の快挙です。

これを受け、2021年にポニーキャニオン公式YouTubeチャンネルにリリックビデオが公開。当時のレコード・LP・収録アルバムが復刻リリースされ、Rainychはじめ数多くのアーティストがカバーしたコンピレーションアルバムもリリースしています。

何年も前から話題になっていた竹内まりやのように、じわじわとした流行にならなかったのは、ヒットした当初からサブスクリプションがあったのが大きいです。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」のサブスク解禁は2020年末。松原みきは以前より解禁されており、どこかで耳にした後すぐに原曲にアクセスできる状況でした。

インターネット経由で音楽を聴く、インターネットでの発信が身近になったからこそ実現した再ヒット、なのかもしれません。

あわせて読みたい!

最後に

世代によっては「懐かしい!」となる使い捨てカメラやレコードが今の若者に流行するように、昭和時代のコンテンツは今の若者には目新しいものに捉えられることが多いです。シティポップの流行も、この流れに乗っているものかもしれません。

じわじわと広がっていたシティポップの魅力が、SNSやサブスクとの相乗効果で爆発したのが「真夜中のドア〜Stay With Me」のリバイバルヒットといえます。

シングルやアルバムの復刻リリースや初のコンピレーションアルバムのリリースが立て続けに決まっていますが、人気ゆえに入手が難しいという話もあるほど。昔話をしながら親子で楽曲を楽しむのも、今らしい音楽のあり方なのかもしれません。

この記事をシェアをしよう!

この記事を書いた人

この記事に関連するタグ

関連記事

新着記事