類い稀なるギターテクニックで世界中から注目を集めているMIYAVI(ミヤビ)は、音楽の枠にとらわれない活動をしています。固定概念に縛られず、自分にしかできない表現方法を常に探し求め、今では「サムライギタリスト」と呼ばれ、海外でも高い認知度を獲得しました。
また、音楽以外にも多彩な活躍を見せており、彼の人間性に惚れたという人たちからのラブコールが後を絶ちません。最近ではバラエティ番組にも登場することが増え、若者にも支持されています。
目次
MIYAVIとは?
MIYAVIはギターを指で弦を叩くように弾いたり、弦を引っ張って音を発生させる「スラップ奏法」を得意としており、その独特なパフォーマンスに注目が集まりました。
MIYAVIの名前は海外でも知られていて、これまでに10度のワールドツアーを敢行。さらに、アメリカ大リーグのドジャースが開催したイベントに参加し、アメリカの国歌演奏と自身のパフォーマンスを披露するなど、ライブ以外のステージも経験しています。
また、映画の主演や、パリ・コレクションでモデルを務めるなど多彩な活躍を見せており、今後の活躍にも注目が集まっている人物です。
サッカー少年だった少年時代
MIYAVIが子供のころは、ギターではなくサッカーに熱中していました。サッカーを始めたきっかけは「何となく」だったそうですが、チームのキャプテンを務めるほどに成長。その後、セレッソ大阪のジュニアユースでセレクションを受けたところ見事合格し、プロ選手になることを夢見ていました。
しかし、大きなケガをしたことがきっかけとなりチームを離脱。サッカーから離れている間に様々な経験をしたこともあって、サッカーへの情熱が100%ではなくなってしまったそう。
そして、彼のぽっかりと空いた心の穴を埋めるために始めたのがバンドでした。ギターで曲を作る感覚が、サッカーで試合の流れを作っていく感じに似ていることを知り、音楽にのめり込むようになったのです。
Dué le quartzの活動
17歳のとき、音楽を教えてくれていた先輩が急死するという出来事があり、地元にいたくないと思ったMIYAVIは、夜行バスに乗り上京。入り浸っていたライブハウスでDué le quartz(デュール クォーツ)と出会います。
Dué le quartzはギターのメンバーが脱退したこともあり、MIYAVIが加入。「雅~みやび~」名義で活動を始め、楽曲の大半をMIYAVIが制作するなど、中心的な存在になっていました。
さらに、バンドはインディーズながら海外でワンマン公演を行うほどの人気を獲得しており、MIYAVIが海外に目を向けるきっかけとなったのです。しかし、2002年9月にバンドは解散。MIYAVIはソロ活動を始めました。
ソロ活動開始
MIYAVIはソロ活動にあたり活動名を「雅-miyavi-」に改名。2002年10月にアルバム「雅楽-gagaku」をインディーズより発売しています。バンドの活動期から注目を集めていたこともあり、2004年10月には、シングル「ロックの逆襲 -スーパースターの条件-/21世紀型行進曲」でメジャーデビューを果たしました。
順調に見えていたMIYAVIの音楽への道…。しかし、彼は既に世界での活動を視野に入れており、英語でコミュニケーションが取れない悔しさを感じていました。そこで2006年に渡米を決意。ロサンゼルスでストリートパフォーマンスをしながら語学学校で英語を学ぶという生活を始めたのです。
ロサンゼルスではMIYAVIの存在を知っている人はほとんどいません。そんな中で、彼が考え出した表現方法がスラップ奏法でした。日本の伝統楽器である三味線からヒントを得たそうで、音楽に興味がない人たちに足を止めてもらうために考え出したそう。
ロサンゼルスでの生活は3ヶ月でしたが、帰国してからもアメリカから友人を呼び寄せて英語で会話をする時間を増やすなど、積極的に英語を学びました。
また、音楽に関してもバンド形式だけではなくラッパーやビートボクサー、タップダンサーなどの様々なジャンルを得意とするメンバーとKAVKI BOIZ(歌舞伎男子)を結成するなど、大きな変化が見られるようになりました。
さらに、2007年にはX JAPANのYOSHIKIと、ボーカリストのGACKTが結成したプロジェクトS.K.I.N.(スキン)に加入。YOSHIKI、GACKT、SUGIZO、MIYAVIという大型アーティストが集まるという夢のようなプロジェクトは、音楽ファン以外からも大きな注目を集めました。
それぞれのメンバーが多忙なこともあり、バンドとしての活動は2007年6月にカリフォルニア州ロングビーチで開催された「ANIME EXPO AX2007」が最初で最後のライブとなっています。
ワールドツアー敢行
2008年5月になると、MIYAVIは初のワールドツアー「THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK TOUR 2008」を開催。アメリカを皮切りに、ヨーロッパやアジアなど14ヶ国で全36公演を行いました。総移動距離は約77,416kmで、地球2周分に相当するそう。
また、2009年4月8日に自身の会社「J-glam inc.(株式会社J-glam)」を設立して事務所からの独立を発表すると、早くも2度目のワールドツアー「NEO TOKYO SAMURAI BLACK WORLD TOUR 2009-2010」を敢行。前回のツアーを超える20ヶ国、約40公演を行いました。この記録は日本人アーティストとして初めての快挙となったのです。
新たな飛躍
MIYAVIは2010年にレコード会社を移籍。活動名を「雅-miyavi-」から「雅-MIYAVI-」に改名しました。また、同年3月からは全国ツアー「NEO TOKYO SAMURAI BLACK-JAPAN Circuit-」を開催し、日本のファンに再出発したMIYAVIの姿を披露しています。
2011年3月からは、3度目のワールドツアー「WHAT’S MY NAME? WORLD TOUR 2011」を開催し、海外での活動も精力的に行いました。
そして2011年には国内外のアーティストとMIYAVIが対戦するという、セッションプロジェクト「SAMURAI SESSIONS」が始動。KREVAや三浦大知といった国内アーティストをはじめ、サミュエル・L・ジャクソンなど海外アーティストとも積極的にコラボレーションしました。
このプロジェクトで行った楽曲は「SAMURAI SESSIONS」というアルバムに収録されており、これまでに3枚のアルバムが発売されています。
音楽とサッカー
/#MIYAVI の書きおろし楽曲#Fearless がテーマソングの
WOWOW欧州サッカーCMがオンエア📺
\■OA詳細■
「FOOT×BRAIN」(テレビ東京系列)枠
9/3(土)~10月の毎週土曜24:25~(予定)MIYAVIが競技やサポーター、そして闘う選手に想いを馳せて作り上げた1曲をお聴きのがしなく🙏💙#FOOTBRAIN pic.twitter.com/JzShKF3y8A
— MIYAVI STAFF【Official/公式】 (@MIYAVI_STAFF) August 31, 2022
少年時代はサッカー選手になることが夢だったMIYAVI。その夢を音楽という形で叶えました。2022年7月、日本の国立競技場で開催された「Paris Saint-Germain JAPAN TOUR 2022」の川崎フロンターレ戦で、MIYAVIはオープニングセレモニーを任されたのです。
また、翌月からWOWOWで放送された欧州サッカーのテーマソングにMIYAVIの楽曲が決定。彼が書き下ろした「Fearless」は、選手たちの心情やオーディエンスからの応援をイメージしたもので、これまで様々な経験をしてきたMIYAVIだからこそ描ける気持ちを楽曲で表現しました。
THE LAST ROCKSTARS結成
2022年11月にはYOSHIKI、HYDE、SUGIZOらとTHE LAST ROCKSTARSを結成し、再び音楽のアベンジャーズが集結。メディアでも大きく取り上げられました。年末には「第73回NHK紅白歌合戦」に特別企画で初出場し、圧巻のステージを披露しています。
また、2023年1月には有明アリーナ、東京ガーデンシアターで公演を行い、オリジナル曲の他にX JAPANやL’Arc~en~Ciel、SUGIZOやMIYAVIのソロ曲も演奏。ファンにとってはご褒美ともいえる貴重なライブとなりました。
THE LAST ROCKSTARSは海外でも公演を行っており、今後も継続的な活動が予定されていましたが、メンバーのスケジュールの都合もあり現在は目立った活動はありません。しかし、YOSHIKIは2025年春にワールドツアーを計画していることやアルバムが制作される予定であることを発表しており、彼らのパワーアップした姿が見られるかもしれません。
中国の番組に出演
2024年8月に放送開始した中国の人気歌唱リアリティー番組「Call Me By Fire」にMIYAVIとEXILE AKIRAの出演が決定しました。この番組は中国の動画配信サービス「Mango TV」の大人気番組で、今回はシリーズ第4弾となります。
この番組に日本人アーティストが出演するのは初めてのことで、台湾出身のリン・チーリンを妻に持つAKIRAと、世界での人気を獲得しているMIYAVIに対し、番組側は数年前から出演のオファーを送っていたそう。
2人は番組のオープニングステージ限定でスペシャルユニットを結成し、圧巻のステージを披露しています。MIYAVIは2019年にLDH JAPANへ所属事務所を移籍していることもあり、今後もLDH所属のアーティストとのコラボレーションが期待できそうです。