1966年〜1968年代生まれにどハマりする、読んだ後カラオケ不可避当時を思い出してしまうこと必至な、懐かしの1981年に流行ったあの名曲達をまとめてみました!
この当時はどんな曲が人気だったんだろう?
名曲は毎年生まれてますからね!
1981年に流行った曲をチェックしてみましょう!
目次
1981年の流行ヒット曲まとめ
寺尾聰「ルビーの指環」
寺尾聰6枚目のシングルとなった「ルビーの指環」は、歌手・寺尾聰の出世作であり代表曲でもあります。
その証拠に寺尾聡のシングルで最も売れたのが「ルビーの指環」なのです。
1981年の第23回日本レコード大賞、大賞・金賞・作詞賞・作曲賞・編集賞と総なめにし、日本有線放送大賞の上半期グランプリ、さらにはFNS歌謡祭と日本歌謡大賞の大賞と、まさに1981年の賞という賞を総ざらいした名曲中の名曲です。
実はこの曲、発売当初はあまり売れていなかったようです。
しかしなんとなく耳に残る曲調と寺尾聰の色気ある歌声に、徐々に売り上げを伸ばし発売から1ヶ月以上経ってからオリコンチャート1位を獲得します。
そこから10週連続1位となり、当時の人気音楽番組「ザ・ベストテン」では12週連続1位という放送終了まで破られる事のない番組最長記録を樹立しました。
まさに時代を象徴する名曲の1つと言ってよいですね。
竜鉄也「奥飛騨慕情」
竜鉄也のデビュー曲にして1981年の年間シングル売上2位になったヒット曲。
病気が原因で26歳の時に視力を失った竜鉄也が、独学でアコーディオンを学び作った曲です。
実はこの曲も発売当初はあまり売れなかったのですが、ある不運な出来事がきっかけでヒットしたのです。
その理由とは火事で、当時奥飛騨でスナックのママと駆け落ちし、2人で開いた居酒屋が火事にあった竜哲也。
2人が途方に暮れていた時に、店の再開を求め尽力してくれたのが当時の常連客たちでした。
そんなエピソードが新聞で紹介された時、竜鉄也という歌手が世間の知るところとなったのです。
全盲の歌手とそれを献身的に支える妻の姿は人々の関心を集め、それと同時にまるで奥飛騨の情景が目に浮かぶような歌詞と竜鉄也のきれいな歌声が聞く人の心に響いたのでしょう。
近藤真彦「スニーカーぶる~す」
「ジグザクザク ジグザグジグザグ」の部分で手の振り付けが印象的なこの曲は、当時大人気だった近藤真彦の歌手デビュー曲です。
デビュー曲にして初登場1位を獲得し、ジャニーズ事務所史上初めてオリコン1位を取った曲です。
1980年代を代表するアイドルの1人である近藤真彦さんが、少し不良っぽく歌う姿にメロメロになった女性も少なくないのではないでしょうか。
ストーリー性のある歌詞に乗りやすくちょっと哀愁を感じるメロディが特徴の「スニーカーぶる〜す」は、今でもカラオケで歌うと盛り上がる曲として50代を中心に根強い人気を誇っています。
今でも手の振り付けを完璧に再現できる人もきっといるのではないでしょうか。
イモ鉄トリオ「ハイスクールララバイ」
バラエティ番組からデビューし、ヒットする曲というのは今でも沢山ありますよね。
その先駆者といえば山口良一・西山浩司・長江健次の3人からなるイモ鉄トリオでしょう。
当時のバラエティ番組・「鉄ドン・良い子悪い子普通の子」から生まれたユニットで「ハイスクールララバイ」でデビュー。
番組の人気も助けたのかオリコン7週連続1位を獲得しました。
ちなみにこの曲の相乗効果でバラエティ番組を観ない世代の人たちも取り込むことに成功し、番組の視聴率も上がったそうです。
テレビ番組からデビューという前例がなかったにも関わらず思いのほか売れ、現在でも多くのアーティストがカバーしています。
松山千春「長い夜」
松山千春10枚目のシングルとなる「長い夜」は、フォークソングのイメージが強い松山千春らしくないロック風の曲です。
松山千春といえばフォークソングのイメージがあったため、当時はイメージとかけ離れたこの曲のシングル発売は反対されていたそうですが、初山千春自身が敢えてシングルでの発売を要請したそうです。
その後、自著の中で「長い夜のヒットは意外だった」と語っていることを考えたら、本人も絶対的に自信があったわけではないようですね。
オラオラ系の松山千春が歌詞の中では「僕」と表現しているところや、情熱的でありながら愛にとまどう歌詞を松山千春の優しい声で歌うことで、言葉に出来ない魅力を引き出した曲となっています。
松山千春の曲の中でもっとも売れたこの「長い夜」の世界に、当時憧れた人も多いことでしょう。
シャネルズ「街角トワイライト」
「街角トワイライト」はシャネルズ2枚目のシングルですが、デビュー曲から半年も間隔を空けて発売されています。
その理由は、メンバーの起こした事件がきっかけで謹慎期間があったからです。
この曲は言わばシャネルズ再出発の狼煙を上げる曲なのです。
この曲で最も印象的なのは、冒頭のアカペラパートでしょう。
「街角トワイライト」と聞いて真っ先に冒頭の歌い出しが思い出される人もいるでしょうね。
サビと同じ歌詞を、メロディを少し変え歌い出すところは、スローテンポが再出発に相応しいイメージとなっています。
五輪真弓「恋人よ」
五輪真弓18枚目のシングルにして最大のヒット曲となった「恋人よ」実はこの曲、元々はB面に収録される予定だったそうです。
しかしレコーディング中にA面の曲よりも受けが良かったため急遽A面となりました。
結果として日本レコード大賞金賞を受賞し、紅白歌合戦にも初出場を果たしているので大成功ですね。
その人気は国内にとどまらず、海外でも高い評価を得ているそうです。
この曲が発売当時に生まれていなかった今の若い世代の人達でも、1度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
松田聖子「チェリーブラッサム」
1980年代のアイドルと言えばやっぱり松田聖子でしょう。
そんな松田聖子4枚目シングルがこの「チェリーブラッサム」です。
デビュー曲から3枚目のシングルまでは直球のアイドル曲といったイメージがありましたが、4枚目の「チェリーブラッサム」でがらりとイメージが変わっています。
少し大人な雰囲気を漂わせ、落ち着いて歌う松田聖子の姿はまるで秘めた思いを歌うような印象すら受けます。
その姿はファンからしたら堪らないでしょう。
当時話題になったのが新幹線ホームからのテレビ生中継です。
当時大人気でスケジュールを確保出来なかったため、移動中の新幹線から降りてホームで待ち構えていたカメラの前で「チェリーブラッサム」を歌うというのだから、今では考えられないですよね。
この曲に松田聖子自身は不安を感じていたそうですが、この演出が話題となり結果的に松田聖子を伝説のアイドルとするきっかけの1つとなりました。
松任谷由実「守ってあげたい」
ユーミンこと松任谷由実の「守ってあげたい」は自身17枚目のシングルで、映画「ねらわれた学園」の主題歌として書き下ろされた曲です。
いくつものCMタイアップ曲となるだけでなく、2008年にはテレビドラマ「めぞん一刻」、2009年には映画「少年メリケンザック」のエンディングテーマとして使われています。
発売から20年以上経ってなお、みんなに歌われ続けている名曲という事です。
女性目線での恋人に向けた曲とも、親目線での子どもに向けた曲とも捉えられる歌詞は深い愛を感じ、ユーミンの優しい歌声が素直に心へ響いてきます。