世界最高のロック・バンド、ザ・ビートルズ。
4人の天才ミュージシャンが一堂に会したこの奇跡のバンドには、「ポピュラー音楽史上、最も成功した作曲家」とされるひときわ優れた才能の持ち主がいます。
その人物こそ、ポール・マッカートニー。
今なお音楽活動を精力的に続けるポピュラー音楽の生ける伝説、ポール・マッカートニーの魅力を、この記事では徹底的に解説していきます。
▼あわせて読みたい!
目次
ポール・マッカートニーって何者?
最初に彼の半生を見ていきましょう。
ポール・マッカートニーは1942年6月18日に、イギリスの港町リヴァプールで生を受けます。
1950年代に流行したロックンロールに熱中する少年時代を過ごしましたが、14歳の時に母メアリーが亡くなってしまいます。
愛する母を失ったポールですが、メアリーの死の翌年、運命的な出会いを果たします。
ザ・クオリーメンというバンドのリーダーとしてリヴァプールで活動していた、ジョン・レノンとの出会いです。
ジョンも母なき少年時代を送っており、同じ悲しみを背負う2人は意気投合。無二の親友となり、ポールはクオリーメンに加入します。
ジョージ・ハリスンをジョンに紹介したのもポールで、彼らはアマチュア・バンドとして数多くのギグをこなしていきます。
そして1962年、ザ・ビートルズとしてメジャー・デビュー。余談ですが、デビュー・シングルの『ラヴ・ミー・ドゥ』はポールが中心となって作られた楽曲です。
1969年には交際していた写真家のリンダ・イーストマンと結婚。1998年にリンダが亡くなるまで添い遂げました。
しかしこの時期からザ・ビートルズの人間関係は破綻しつつあり、バンドは1970年に解散します。
最初にバンド脱退の意向を示したのはジョンでしたが、ポールがプレスにバンド脱退を表明したことでザ・ビートルズの解散は公のものに。
そして脱退宣言からわずか1週間後に、初となるソロ名義でのアルバム『マッカートニー』を発表。ソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせます。
翌1971年には新たなバンド、ウィングスを結成。妻リンダもメンバーに加えたこのバンドはヒット・チャートを席巻し、第2のピークを迎えます。
しかし1980年、ウィングス初の来日公演のために訪日したポールですが、大麻の所持により逮捕されてしまいます。予定されていた全公演はキャンセルとなり、この一件を機にウィングスは解散。
さらに不幸は重なり、同年末に、かつてのバンドメイトであり才能を認め合ったジョン・レノンが自宅前で銃殺されるという悲劇が起こってしまいます。
打ちひしがれたポールは一時音楽活動を休止。半世紀以上にもわたる彼のキャリアでほとんど唯一とも言える活動休止です。
しかし翌年失意から復帰したポールは、再び精力的に活動を再開。スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソン、エルヴィス・コステロといった著名アーティストとの共演も積極的に行います。
以降はソロ・アーティストとして活動を続け、現在でもアルバム制作とワールド・ツアーを断続的に行なっています。コロナ禍の2020年にも全ての楽器演奏やアレンジを彼が手がけた『マッカートニーIII』を発表し、衰えない才能を示しました。
ザ・ビートルズ時代の名曲
ここからは彼が世に放った数々の楽曲を紹介していきます。まずはザ・ビートルズ時代の名曲を。
バンドの大半の楽曲の作曲クレジットは「レノン=マッカートニー」というジョンとポールの共作名義ですが、たとえどちらかが単独で作曲したものであってもこの名義が用いられています。
ここではポール単独による作曲の名曲を、厳選して5曲ご紹介しておきます。
①『オール・マイ・ラヴィング』(1963)
1曲目は2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(1963)の2曲目に収録された『オール・マイ・ラヴィング』。
ファンの間でよく語られるのが、「初期はレノン、後期はマッカートニー」というもの。これは2人の作曲能力を比較したもので、バンド初期にはジョン・レノンの作曲の方が優れているという主張です。
実際ジョンの方が多くの楽曲をバンドに提供しており、ポールはその影に埋れがちなのは事実ですが、この『オール・マイ・ラヴィング』は初期においても彼の才能が卓越していることの証拠と言えます。
完璧にキャッチーで軽快なこのポップスは、辛口な評論で知られるジョン・レノンが「残念ながらこれはポールの曲」と白旗を上げるほど素晴らしい出来栄え。
メロディはもちろん、楽しげなベース・ラインやジョン・レノンの実に気が利いた6連のギター、最終ヴァースで加わるジョージ・ハリスンのハーモニーとアレンジメントの部分でもバンド有数の完成度を誇っています。
②『イエスタデイ』(1965)
ポール・マッカートニー、あるいはザ・ビートルズという枠組みを超え、音楽史上における有数の名曲が『ヘルプ!』(1965)収録のこの『イエスタデイ』。「世界で最もカバーされた楽曲」のギネス記録を持つ究極のスタンダード・ナンバーです。
とにかく美しくキャッチーなこの曲のメロディは、まさしく史上最高のメロディメーカー、ポール・マッカートニーの才能を裏付けるものの1つでしょう。
アコースティック・ギターと弦楽四重奏のみで構成されたこの楽曲は、バンド・サウンドによる楽曲がほとんどだったロックのあり方における重要な変革としても高く評価されています。
リリース当初から非凡な傑作として評価され、当然ライブでの演奏も熱望されたこの曲ですが、バンドでこの曲の荘厳なサウンドを再現することは不可能。
そのためライブでは、ドラムやエレキ・ギターが加わったアレンジ・バージョンを披露しています。そちらも必聴。
③『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』(1966)
今回ご紹介する5曲の中ではおそらく最もマイナーな楽曲でしょう。傑作『リボルバー』(1966)収録の名バラード、『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』です。
ベスト・アルバムにも収録されず、コンサートでも滅多に演奏されない楽曲ですが、ザ・ビートルズ屈指の名曲としてファンの間では根強い人気を誇る1曲です。
楽曲を包み込む神聖なハーモニーは、当時彼らと人気を二分したアメリカのロック・バンド、ザ・ビーチ・ボーイズが1966年に発表した大傑作アルバム『ペット・サウンズ』に影響を受けたもの。
初期からコーラス・ワークに定評のあったザ・ビートルズですが、この楽曲でのハーモニーはそれまでとは質感の違う美しさを見せています。
ジョン・レノンもフェイバリットの1つに挙げ、作曲したポール本人も最高傑作と認める、至上の名曲です。
④『ヘイ・ジュード』(1968)
歴代全シングルのうち第4位の売上を誇る、ザ・ビートルズ有数のヒット・シングルがこの『ヘイ・ジュード』。
ザ・ビートルズはシングル楽曲をオリジナル・アルバムに収録しないという方針を取っていたため、全13枚のイギリス公式盤には未収録ですが、コンピレーション・アルバム『パスト・マスターズ』や数々のベスト・アルバムで聴くことができます。
この曲はジョンとシンシアの離婚、そしてオノ・ヨーコとの再婚という家庭の混乱に打ちひしがれていたジョンの実子、ジュリアン・レノンに捧げられた曲で、彼を励ます優しい言葉が綴られています。
優しく語りかけるように始まったかと思えば徐々にボルテージが上昇し、ピークを迎えてからのコーダでの「Na na na」の大合唱で祝祭的な盛り上がりを見せるグラデーションは見事としか言いようがありません。
また、楽曲のテンションに呼応したポールの歌声も聴きもの。バラード的に甘く歌う前半部分と、コーダで見せるハイトーンのシャウトは、とても1人のシンガーが1曲の中で見せているとは思えない幅広さです。
作曲の観点でも歌唱の観点でも、ポール・マッカートニーの天才性を象徴する大名曲。
⑤『レット・イット・ビー』(1970)
最後にご紹介するのは、言わずと知れた名曲『レット・イット・ビー』。ザ・ビートルズ解散後発表されたラスト・アルバム『レット・イット・ビー』(1970)収録です。
イントロのピアノやサビのメロディは聴いたことがあるという方も多いことでしょう。
この楽曲が制作された1968年当時、バンドは既に解散は時間の問題でした。そのことにポールは思い悩んでいましたが、ある時夢の中に彼の母であるメアリーが現れ、彼に向かって「あるがままに(Let it be)」と言葉をかけたと言います。
この体験を基に書かれたこの曲はザ・ビートルズのラスト・シングルとしてリリースされ、全米・全英1位を獲得。史上最高のロック・バンドの歴史を締めくくるに相応しい有終の美を飾りました。
こうした背景を知ってからこの曲を聴くと、ポールの歌う「あるがままに」という言葉がより美しさと悲しさを纏って聴こえるのではないでしょうか。
ウィングス/ソロ時代の名曲
ザ・ビートルズ解散後も、現在に至るまでアーティストとして活躍するポール・マッカートニー。
当然バンド解散後、1970年代以降も素晴らしい名曲を多数発表しています。
ここからはソロ名義、そして1970年代に彼が結成したウィングス名義で発表された楽曲を扱っていきましょう。
①『恋することのもどかしさ』(1970)
まずご紹介するのは、ザ・ビートルズ脱退後間髪入れずに発表された1stソロ・アルバム『マッカートニー』(1970)に収録されたロック・バラード『恋することのもどかしさ』。
アルバム『マッカートニー』は全ての楽器を彼自身が担当し、録音の大半を彼の自宅で行ったいわゆる「宅録」作品の先駆的な一例ですが、この楽曲も全ての演奏がポールによるものです。
『ヘイ・ジュード』の紹介の時にも触れた彼のヴォーカリストとしての才能が遺憾なく発揮されたナンバーで、メロディこそポール・マッカートニー印の甘く美しいものですが、その歌唱はエモーショナルで激しさを全面に押し出しています。
ザ・ビートルズ解散に絶望するポールを支え続けた妻リンダに捧げられたこのラヴ・バラードは、リンダが亡くなり再婚を果たした現在でもライヴで度々演奏されています。ソロ・アーティストとしてのポール・マッカートニーを代表する1曲。
②『バンド・オン・ザ・ラン』(1973)
続いて紹介するのはウィングスで彼が発表した楽曲、『バンド・オン・ザ・ラン』。同名アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』(1973)の1曲目に収録されています。
バンド・メンバーのほとんどが脱退するという苦境の中で制作されたこの曲は、ソロ初期の楽曲同様ほとんどの演奏をポールが担当しています。
3つの異なるセクションを組み合わせたメドレー形式の組曲という構成ですが、決して難解ではなく、むしろ彼の楽曲でも有数の親しみやすさを誇っています。
大衆的なロックを展開したウィングスは、人気バンドではありましたが当時の批評家からは否定的に受け入れられていました。しかしこの楽曲は、そうした批評家をも唸らせる名曲。
ザ・ビートルズ解散後険悪な関係になり、度々ポールを口撃していたかつてのパートナーであるジョン・レノンも、この楽曲に対して「いい曲だ」と端的に絶賛しています。
③『心のラヴ・ソング』(1976)
続いてもウィングス時代のヒット・シングル、『心のラヴ・ソング』。
原題”Silly Love Song”を直訳すると「馬鹿げたラヴ・ソング」となりますが、この自虐的なタイトルは「ポール・マッカートニーはバラードしか書けない」と批判した評論家に向けた皮肉とされています。
当然メロディとびきりキャッチーですが、ここで注目しておきたいのはポールのベース・プレイ。
あまり一般的には知られていませんが、彼のベーシストとしての才能は作曲や歌唱にも匹敵する素晴らしいものがあります。
ポップなメロディと反発するかのように主張するメロディアスなベース・ラインは実にポールらしいものですし、それでいて決して楽曲のバランスを崩さない絶妙なプレイは流石です。
④『ヒア・トゥデイ』(1982)
自身の逮捕とウィングスの解散、そしてジョン・レノンの死という巨大な困難に直面した後、ソロ・アーティストとして再出発したポールの復帰作『タッグ・オブ・ウォー』(1982)に収められた楽曲『ヒア・トゥデイ』。
このアルバム収録の楽曲では、おそらく大ヒットしたスティーヴィー・ワンダーとのデュエット『エボニー・アンド・アイボリー』が最も有名ですが、あえて『ヒア・トゥデイ』をご紹介します。
何故ならこの楽曲は、凶弾に倒れたかつてのバンドメイトであり無二の親友、ジョン・レノンに捧げられた追悼歌だから。
And if I say
I really loved you
and was glad you came along
Then you were here today
ooh, ooh, ooh
For you were in my song
もし僕がこう言ったとしたら
心から愛していると
君と会えて本当に嬉しかったと
もし君がここにいてくれたなら
ああ、君は僕の歌の中で今も生きているんだ
(『ヒア・トゥデイ』より引用(訳は筆者による))
バンド解散後は一時険悪にもなった2人ですが、この曲ではジョン・レノンへの愛と感謝を飾り気のない言葉で真摯に歌っています。
名曲『イエスタデイ』を彷彿とさせるサウンドも感動的な、ポール・マッカートニーを象徴する名バラードです。
⑤『セイ・セイ・セイ』(1983)
最後に紹介するのは、「キング・オブ・ポップ」ことマイケル・ジャクソンとのコラボレートでも話題を生んだ『セイ・セイ・セイ』。
この曲がリリースされた1983年といえば、マイケルがアルバム『スリラー』(1982)で史上空前の大ヒットを記録していた、正にその最中です。
その勢いを借りてこの曲は大ヒットを記録。ザ・ビートルズ解散後に発表したポールの楽曲の中では最大のヒットとなりました。
作曲も2人の共作で、ポップスを手がけさせれば向かうところ敵なしの2人の才能が惜しげもなく発揮された名曲。
ロック・スターとしてだけでない、ポップ・アイコンとしてのポール・マッカートニーの魅力が感じられるナンバーと言えるでしょう。2人が旅の詐欺師を演じたチャーミングなPVも必見です。
おわりに
今回は史上最高のメロディメーカー、ポール・マッカートニーについて解説していきました。
紹介した楽曲は彼のキャリアでも最も充実したザ・ビートルズ時代から1980年代初頭までの曲ばかりですが、2018年リリースの『エジプト・ステーション』では自身初となる全米チャート初登場1位を記録し、いまだ衰えぬ人気と才能を示しました。
是非ともこの記事をきっかけに、ポピュラー音楽史に残る天才の数々の作品に触れていただければと思います。
▼あわせて読みたい!