世界最高のロック・バンド、ザ・ビートルズ。
このバンドの名前や音楽を一度を聞いたことがないという方はごく少数でしょうし、メンバーだったジョン・レノンやポール・マッカートニーの名前は今でも高い知名度を誇っています。
その中にあって、決して注目される機会が多いとは言えないのが「静かなるビートル」ことジョージ・ハリスン。
ザ・ビートルズのリード・ギタリストであり音楽史上に残る才人でありながら、驚くほどに知られていないジョージ・ハリスンの魅力を、この記事では徹底的に解説していきます。
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目次
ジョージ・ハリスンって何者?
最初にジョージ・ハリスンの生涯について見ていきましょう。
彼は1943年2月25日、イギリスの港町リヴァプールの郊外で誕生します。
1950年代にアメリカを中心として流行したロックンロールに彼は熱狂し、自身もアマチュア・バンドを結成。音楽活動を始めます。
1950年代の中頃になると、後にザ・ビートルズで共に活動することになるポール・マッカートニーと友人に。ポールの紹介でジョン・レノンがリーダーを務めていたバンド、ザ・クオリーメンにギタリストとして加入します。
そして1962年、ザ・ビートルズとしてメジャー・デビュー。瞬く間にスターの階段を駆け上がっていきます。メンバー最年少だったジョージは、なんとデビュー当時19歳でした。
最年少ということもあり、彼は決してバンドの中心的な存在ではありませんでした。オリジナル楽曲もほとんどがジョンとポールによるものでしたし、ヴォーカルを担当する楽曲もアルバムにつき2曲程度と決して多くはありません。
その中で、彼は徐々にアーティストとしての才能を開花させていきます。
1965年頃から彼はインドの思想や音楽に深く傾倒し、独創的な音楽をザ・ビートルズの中で展開していくように。1966年発表のアルバム『リボルバー』には過去最多となる3曲の自作曲が収録され、作曲家としての彼の飛躍がうかがえるようです。
また、同時期にモデルのパティ・ボイドと結婚。ちなみに彼女は、彼と離婚した後にジョージの親友である天才ギタリスト、エリック・クラプトンとも結婚しています。
公私ともに順風満帆に思えた一方で、ザ・ビートルズでは依然正当な評価が受けられない状態が続き、バンド活動への熱意を失った彼はソロ・ミュージシャンとしての自由な創作を望むように。
1970年にザ・ビートルズが解散してからはソロ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせ、1stアルバム『オール・シングス・マスト・パス』(1970)の大ヒットや、「ロック史上初の大規模チャリティ・コンサート」とされる「バングラディシュ・コンサート」の主催によって第二の成功を果たします。
しかし以降はザ・ビートルズ時代やソロ最初期ほどの大きな成功を収めることなく、その活動は停滞していくようになります。
彼の復活劇は1980年代後半に入ってからで、アルバム『クラウド・ナイン』(1987)の大ヒットをきっかけに再び活発な活動を見せるように。
その後も覆面バンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」への参加や、「ザ・ビートルズ・アンソロジー」プロジェクトでの作業で話題を集めます。
しかしこの時期から彼に病魔が忍び寄り、1997年に喉頭癌を発症します。この時は大事には至らなかったものの、2001年に肺癌と脳腫瘍が発覚。治療に専念するも虚しく、同年11月29日、自宅でその生涯を終えます。享年58歳でした。
ザ・ビートルズ時代の名曲
彼の生涯の解説でも触れましたが、デビュー当時彼はまだ19歳。同じバンドにジョン・レノンとポール・マッカートニーという非凡な作曲家が2人もいたこともあり、彼の作曲家としての才能はバンド活動初期には決して目立ったものではありませんでした。
しかしキャリア中期になると作曲家としての存在感を発揮するようになり、後期においては最早レノン=マッカートニーと比肩し得る、あるいは2人を凌駕するほどの素晴らしい楽曲を発表するまでに。
ここからは彼がザ・ビートルズ時代に発表した名曲を5曲ご紹介していきます。
①『タックスマン』(1966)
最初にご紹介するのは『タックスマン』。先ほど名前を挙げたアルバム『リボルバー』(1966)のオープニングを飾る楽曲です。
この『リボルバー』はザ・ビートルズにとって大きな転換点となる重要な1枚ですが、その開幕を担うのがジョージの楽曲という部分に、彼の才能が開花したことを感じられます。
イギリスの高すぎる税率に対する痛烈な皮肉
(If you try to sit) I’ll tax your seat
(If you get too cold) I’ll tax your heat
(If you take a walk) I’ll tax your feet
(もし座りたいなら)椅子に税金をかけましょう
(もし寒すぎるなら)熱にも税金をかけましょう
(もし歩くなら)足にも税金をかけて差し上げましょう
(『タックスマン』より引用(訳は筆者による))
もジョージらしいセンスですし、切れ味の鋭いギターが効いたエッジィなロック・チューンですが、印象的なギター・ソロは実はポール・マッカートニーの演奏というのはファンの間では有名な話。
ジョージが演奏しようとしたもののなかなか上手くプレイできず、プロデューサーのジョージ・マーティンが試しにポールに演奏させたところ数テイクでものにしたというのです。
このエピソードはポールの天才性を示すだけでなく、この曲の作者でもありバンドのリード・ギタリストでもあるジョージのプライドを考慮しなかったという意味で、彼がバンド内で軽んじられる傾向にあったことを象徴するものでもあります。
②ジ・インナー・ライト(1968)
この『ジ・インナー・ライト』は、傑作シングル『レディ・マドンナ』のB面として発表された楽曲です。
B面故かベスト盤に収録されることもなく、シングル曲であるためオリジナル・アルバムにも未収録。バンドの正規カタログだと、アルバム未収録の楽曲をコンパイルした『パスト・マスターズ』でしか聴くことができません。
しかしこの曲は、そういったマイナーな立場に甘んじていることが不思議なほどの名曲。
彼が1960年代中盤以降にのめり込んだインドの文化と、彼の本領であるロック音楽、その融合に彼はアルバム『リボルバー』の頃から挑戦していますが、その集大成として評価できるのがこの曲です。
この楽曲の演奏は全てインド音楽家で、使われている楽器もサロードやパカワジといったインドの伝統楽器ばかり。その結果生まれたサウンドは、インド音楽とロックの融合したジャンル「ラーガ・ロック」の傑作として高く評価されています。
ジョン・レノンは自身の楽曲をシングル候補から取り下げてまでこの曲の発表を推し、ポール・マッカートニーも手放しに絶賛しているこの曲は、ジョージ・ハリスンという天才を知る上で避けては通れません。
③『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』(1968)
続いてはバンドと同名の2枚組アルバム、『ザ・ビートルズ』(通称「ホワイト・アルバム」)(1968)に収録された名曲、『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』です。
これまでも名曲を数多く生み出してきたジョージですが、一般にこの楽曲はアルバム『ザ・ビートルズ』のハイライトとされ、レノン=マッカートニーという天才タッグに比肩しうる才能を示した最初の楽曲とまで評価されています。
バンド内の不和を歌った哀愁漂う歌詞とメロディは勿論、この楽曲を傑作たらしめているのがギター・ソロ。
このソロを演奏しているのは、ジョージでもポールでもジョンでもありません。ジョージの親友であり、「ギターの神様」とされるスーパー・ギタリスト、エリック・クラプトンです。
クラプトンですらあのザ・ビートルズの楽曲への参加に萎縮し、当初は断ろうとしたそうですが、ジョージ本人の熱望でこの夢の共演が実現。
結果的にロック史上に残る名ギター・ソロを生み出し、この楽曲もまたザ・ビートルズ有数の傑作として語り継がれています。
④『ヒア・カムズ・ザ・サン』(1969)
ザ・ビートルズの事実上最後のアルバム、『アビー・ロード』(1969)に収録されたジョージの2つの大名曲のうちの1つがこの『ヒア・カムズ・ザ・サン』。
先ほど紹介したインド音楽からの影響をそこはかとなく感じさせつつも、暖かい春の訪れを感じさせる普遍的なアコースティック・バラードです。
そしてこの『ヒア・カムズ・ザ・サン』は、Spotifyで最も再生されているザ・ビートルズの楽曲でもあるのです。
第2位の『カム・トゥゲザー』(こちらもアルバム『アビー・ロード』収録です)の再生回数が約4億5000万回に対して、『ヒア・カムズ・ザ・サン』はなんと約7億回も再生されています。
レノン=マッカートニーが生み出した数々の名曲を抑え、現代で最も愛されているザ・ビートルズの楽曲とも言えるのではないでしょうか。
⑤『サムシング』(1969)
最後にご紹介するのも、アルバム『アビー・ロード』(1969)より『サムシング』。
ジョージの楽曲では唯一、ザ・ビートルズの活動中にシングルA面として発表された1曲でもあります。
純粋なメロディが紡がれる素晴らしいラヴソングで、その圧倒的な完成度はザ・ビートルズのメンバー全員がこの楽曲を絶賛していることからも明らか。
また、この楽曲で是非注目していただきたいのがポールとリンゴのリズム隊のプレイ。
これでもかと主張するメロディアスなベース・ラインはポールのキャリアでも屈指の名演ですし、控えめながらアイデアに富んだ絶妙なドラムはリンゴらしさに溢れています。
メロディ、演奏、そのどちらもザ・ビートルズ史上類を見ない美しさで、『イエスタデイ』についで2番目に多くカバーされた楽曲というのも頷ける1曲。
ソロ時代の名曲
ザ・ビートルズ後期から、ジョージの作曲能力が飛躍的に向上したのはここまで見てきた通り。
バンド名義で発表する機会にこそ多くは恵まれなかったものの、彼は密かに多くのアイデアを蓄えていました。
そのアイデアを一挙に放出したのが、ザ・ビートルズ解散後のソロ活動です。
「ビートルズ解散で最も得をした元ビートル」とまで言われるほど大きな成功と評価を得たジョージのソロ・キャリアから、ここでは3曲をピックアップしていきます。
①『マイ・スウィート・ロード』(1970)
まずはザ・ビートルズの解散からほどなくして発表されたシングル曲、『マイ・スウィート・ロード』。
ジョージ・ハリスンの最高傑作と名高い名盤『オール・シングス・マスト・パス』(1970)からの先行シングルとして発表されるや否や、全米全英共に1位となりました。
ジョージのスピリチュアルな性格がこの楽曲では強く発揮され、ヒンドゥー教に傾倒していた当時の彼の信仰心が歌われています。
ゴスペルからの影響を受けたと公言する通り、壮大で優しいコーラスがあたたかいメロディを後押ししています。
エリック・クラプトンやリンゴ・スター、ビリー・プレストンといった親交の深いミュージシャンの活躍も光る、ジョージ・ハリスン屈指の名曲。
②『オール・シングス・マスト・パス』(1970)
こちらもアルバム『オール・シングス・マスト・パス』より、表題曲の『オール・シングス・マスト・パス』。
この楽曲の原型はザ・ビートルズ時代からあったもので、ジョージによるデモ音源も残されていますが、バンドとしては日の目を浴びることがありませんでした。
しかしソロ1stアルバムのタイトルに起用するほどジョージにとっては渾身の1曲で、事実素晴らしい名曲です。
先ほど紹介した『マイ・スウィート・ロード』同様信仰をテーマにした楽曲ですが、こちらはより侘しく切ないムードを纏っているのが大きな特徴。
哲学的な歌詞世界もジョージらしいもので、彼の死後、ジョージ・ハリスンを象徴する1曲としていっそう人々の胸に刻まれていきました。
ジョージの没後開催された追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」ではかつてのバンドメイトであるポール・マッカートニーがこの楽曲を披露し、多くのカバー・ヴァージョンも発表された、歴史に残るスタンダード・ナンバーです。
③『セット・オン・ユー』(1987)
最後に紹介するのは1980年代に入ってから彼が発表した楽曲、『セット・オン・ユー』。
1960年代に発表されたマイナーなブラック・ミュージックのカバーですが、大胆なアレンジを加えたこのヴァージョンは全米1位の大ヒットを記録しました。
それまでのジョージは商業的にも振るわず、活動も停滞していた中、この楽曲のヒットによって「音楽史上最大のカムバック」と称される奇跡的な復活劇を見せました。
ザ・ビートルズ時代やソロ初期の素朴なサウンドではなく、1980年代らしい派手なリズムやコーラスが耳を引きますが、ジョージの思索的な歌声とゴージャスなアレンジの意外な相性は一聴の価値があります。
おわりに
今回は「静かなるビートル」、ジョージ・ハリスンについて解説していきました。
冒頭にも触れましたが、彼の功績や才能がジョン・レノンやポール・マッカートニーの影に隠れがちなのは事実です。
しかしご紹介した楽曲を聴けば明らかなように、彼も紛れもなく音楽史上に名を残す極めて優れたアーティストなのです。
この記事をきっかけに、是非ともジョージ・ハリスンの魅力を知っていただければ幸いです。
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