Nirvana(ニルヴァーナ)|カート・コバーンの破滅的な生涯と3枚のアルバムを解説!

Nirvana(ニルヴァーナ)|カート・コバーンの破滅的な生涯と3枚のアルバムを解説!

1980年代後半、アメリカシアトルを中心に起こったロックのムーブメント、グランジ

Grungy(汚い)という単語が語源となっており、破れたジーンズに汚い格好でパンクとヘヴィロックを融合させたようなワイルドな演奏をする音楽のジャンルをそう呼びました。

その代表的バンドがNirvana(ニルヴァーナ)

水中で泳ぐ赤ちゃんのジャケットで有名なアルバム「Nevermind(ネヴァーマインド)」の世界的大ヒットにより、多くの人が名前くらいは耳にしたことがあるかと思います。

今回はギター・ボーカル、カート・コバーンの生涯とバンドの経歴、アルバムの代表曲、さらにニルヴァーナがなぜここまで売れたのかについて詳しく解説。

これまであまりニルヴァーナを知らなかった人にも彼らの魅力が伝わるよう、分かりやすくお伝えします。

Nirvana(ニルヴァーナ)バンドの経歴とカート・コバーンの生涯

ニルヴァーナを結成し、ほぼ全ての作詞作曲を手掛けたカート・コバーン。

ニルヴァーナはトリオ編成のバンドですが、カート・コバーン=ニルヴァーナと言っても過言ではないので、ここではカートとニルヴァーナの経歴をあわせてお伝えします。

カート・コバーンの生い立ち

1967年2月20日、アメリカワシントン州アバディーン生まれ。

カートは小さなころから歌を歌ったり、絵を描いたりするのが好きな男の子でした。

しかし7歳で活動過多と診断されると、多くの薬を処方されるようになります。

8歳の時に両親が離婚。その後彼は人が変わったように性格が荒れて反抗的になっていきました。

母親の手に負えなくなったカートは父親や親戚の家をたらい回しにされ、あげくの果てに橋の下でホームレスのような生活をしていたといいます。

カートは高校生の時からマリファナを吸い始め、LSDやヘロインなどの薬物とアルコールに依存していくように。

誰からも愛されない絶望感といらだちを常に感じるカートにとって、音楽は避難所のようなものでした。

そして1983年にベーシストのクリス・ノヴォゼリックと出会い、カートがギター・ボーカルのバンドを結成。1987年、バンド名をニルヴァーナと名付けました。

Nirvana(ニルヴァーナ)とUSアンダーグラウンドシーン

1980年代のメジャーな音楽シーンといえば、マイケル・ジャクソンマドンナなどのメガポップスターが隆盛を極めた時代。

また、MTVが絶大な影響力を持ち、Duran Duran (デュラン。デュラン)Culture Club(カルチャー・クラブ)などのポップで明るいバンドや、Guns N’ Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)Mötley Crüe(モトリー・クルー)などの派手なLAメタルの映像が繰り返し放送されていました。

そんなメインストリームとは離れたところで、大きな資本に頼らず自分たちでシーンを作っていたアンダーグランドなバンドが多数存在しました。

シアトルでは、Soundgarden(サウンドガーデン)や、Pearl Jam(パール・ジャム)Mudhoney(マッドハニー)のメンバーが在籍したバンドGreen River(グリーン・リヴァー)が活躍。そんなローカルシーンがニルヴァーナを育てました。

1987年、シアトルのインディー音楽レーベルSUB POP (もともとはSUBTERANIAN POP FUNZINE というファンジン[同人誌]だった。)がグリーンリヴァーの1stアルバムを発売、以降サウンドガーデンやThe Smashing Pumpkins(スマッシング・パンプキンズ)Dinosaur Jr.(ダイナソーJr.)などの作品を次々とリリースします。

1988年、ニルヴァーナはドラムにチャド・チャニングを迎え同レーベルから1,000枚限定のシングル「Love Buzz/Big Cheese」をリリース。
翌1989年には、1stアルバム「BLEACH(ブリーチ)」を発表します。

「Nevermind(ネヴァーマインド)」の世界的大ヒットと葛藤

その後ニルヴァーナは、カートが信頼を寄せていたSonic Youth(ソニック・ユース)キム・ゴードンサーストン・ムーアの後押しもあり、メジャーレーベルのゲフィン・レコードと契約。

私生活ではカートは1992年にHole(ホール)のボーカル、コートニー・ラブと結婚、6ヶ月後には娘のフランシス・ビーン・コバーンを授かりました。

ニルヴァーナはドラマーをデイヴ・グロールに変え、2ndアルバム「Nevermind」を発表。
アルバムはカートの想像を超えて各国でトップチャートに入る大ヒットを記録します。

MEMO

デイヴ・グロールはニルヴァーナ解散後、Foo Fighters(フー・ファイターズ)のギター・ボーカルとして現在まで活動。何度もグラミー賞を受賞し、2021年にはロックの殿堂入りを果たしました。

しかし、このアルバムの成功がカートを苦しめることになるのです。

元々はアンダーグラウンドを愛し、企業やメディアに不信感を抱いていたカート。そんな自分がスターとして祭り上げられることにジレンマを抱き始めます。

また、メインストリームでの巨大な成功がかつての仲間の妬みの標的になり、揶揄されることも。

彼は、他のロックスターのように「チヤホヤされたい、大きなステージで演奏したい」という欲が全くなく、その対極にいるような性格でした。そして現実と理想のバランスが保てなくなり、薬物依存と精神疾患がますます悪化。

1993年、カートはツアー滞在先のローマでシャンパンで薬を流し込み自殺未遂をはかり、昏睡状態で入院します。

アメリカに戻った後は周囲からの勧めもあり、リハビリ生活を始めますが、入院から2日で施設から脱走。

その後1週間ほど行方不明になっていましたが、1994年4月、シアトルの自宅で薬物摂取後にショットガンで自ら頭を撃ち抜き自殺しているのが発見されました。27歳でした。

MEMO

カートの遺書にはニール・ヤングの曲「Hey Hey, My My」の歌詞を引用し、It’s better to burn out than to fade away (少しずつ消え失せるより燃え尽きる方がいい)と書かれていました。

Nirvana(ニルヴァーナ)が残した3枚のオリジナルアルバムと代表曲

ニルヴァーナが1987年〜1994年の7年の活動期間で制作したオリジナルアルバムは、3枚のみです。

ここからは、彼らが残したオリジナルアルバムについてそれぞれ見ていきましょう。

1stアルバム「BLEACH(ブリーチ)」

1989年、ワシントン州シアトルにあるインディペンデント・レコード・レーベルSUB POP(サブ・ポップ)よりリリース。
この頃のドラマーは、ニルヴァーナに加入したばかりのチャド・チャニングでした。

彼らのデビューシングルでShocking Blue(ショッキングブルー)のカバー、「Love Buzz」を収録。

原曲を自分達の解釈で咀嚼し、疾走感を加えた全く新しいサウンドに生まれ変わらせています。
曲を通してほぼ同じリフが続くベースが最高にクール。
そこにカートの荒々しいギターとシャウトが乗った時の開放感は、クセになりそうです。

このような静と動の展開は、ニルヴァーナの楽曲のサウンドを特徴づけています。

「Love Buzz」のカバーはイギリスの音楽誌からも高い評価を得て、ニルヴァーナが世界的なバンドになる足がかりとなりました。

アルバムからもう1曲、カートの作曲能力が開花した「About A Girl」をご紹介。

カートは、「何度もビートルズを聴いてこの曲ができた」とメンバーに話しています。

それを踏まえて聴いてみると、マイナーとメジャーを行き来するコード展開が、「It Won’t Be Long」「All My Loving」などの楽曲を彷彿とさせます。

カートは10代の頃からThe Beatles(ビートルズ)のレコードをよく聴いていて、なかでもジョン・レノンが一番好きだったといいます。

2nd「Nevermind(ネヴァーマインド)」

1991年、メジャーレーベルのGeffen Records(ゲフィン・レコード)からリリース。

いわずと知れたニルヴァーナの代表アルバムで、全米チャート6位、全世界で3,000万枚を超える売上を誇る歴史的名盤です。

しかしカート・コバーンはこのアルバムが爆発的にヒットすると、このサウンドを退屈でつまならいとし「恥じている」と言い放ちました。その発言からも、カートがアンダーグラウンド出身のパンクバンドとしての立ち位置と、アルバムの独り歩きとの間でジレンマを抱え苦しんでいた様子がわかります。


こちらはアルバムの1曲目にしてニルヴァーナの代表曲となった、「Smells Like Teen Spirit(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)」

シンプルなのに一度聴いたら忘れられないコードリフには多くのギターキッズが魅了され、真似して弾いたものです。

タイトルのティーンスピリットとは、アメリカで販売されていたデオドラント剤の商品名でした。当時カートが付き合っていたガールフレンドがこのデオドラント剤を使っていて、二人の友達が茶化して「Kurt smells like teen spirit(カートからティーンスピリットの臭いがする)」と落書きしたのが由来です。

商品名とは知らずに語感を気に入ったカートがそのままタイトルに使用したので、歌詞とはあまり関連性がありません。

カートの歌詞は抽象的で難解なものが多く意味を捉えづらいですが、この曲はほぼ言葉遊びで作られています。

例えばサビのHelloHow low(最低)や、Oh knowI knowなど。英語を母国語としない人々にも耳に残る単語がふんだんに使われているのも、この曲が世界的にヒットした一因かもしれません。


カートは影響を受けたバンドとして、Blue Cheer(ブルー・チアー)The Sonics(ザ・ソニックス)、ビートルズなどの60’sのバンドを挙げることが度々あり、その時代の音楽に強い憧れを持っていました。

「In Bloom(イン・ブルーム)」のMVでは、その時代の人気音楽番組エド・サリヴァン・ショーをパロディーで再現しています。

サビの部分では、

He’s the one who likes all our pretty songs
(俺たちの歌を全部好きだというが)
But he knows not what it means
(俺たちが何を歌っているかは分かっちゃいない)

など、グランジの流行に乗って自分達の曲を訳も分からずもてはやすだけの人々に向けた皮肉ともとれる内容を歌っています。

カートはこのアルバムで最高のポップソングを書くと発言しており、この曲は彼のメロディーメーカーとしての才能が見事に発揮されたサウンドです。


「Come As You Are(カム・アズ・ユー・アー)」は「Smells Like Teen Spirit」の次に発売され、アメリカとイギリス両国でニルヴァーナの2曲目のヒットシングルとなりました。

イントロから全編に渡って繰り返されるギターリフが印象的です。

Come As You Are(お前のありのままで)
というタイトルは、抽象的で時に自虐的でもある他のカートの歌詞に比べて、はっきりした意味のあるセンテンスですね。

幼い頃からアウトサイダーとして生きてきた彼自身に向かって歌っているようにも聞こえます。


「Lithium(リチウム)」とは、双極性障害に処方される薬の名前。

カートは7歳の頃に注意欠陥障害と診断されたくさんの薬を処方されるようになり、大人になってからは双極性障害と診断されリチウムを処方されていました。

歌詞は憂鬱ですが、サウンドはキャッチーなギターリフから始まり感情を抑えた気怠いボーカルをサビで一気に爆発させるニルヴァーナの真骨頂といえる展開で人気の高い楽曲です。

3rdアルバム「In Utero(イン・ユーテロ)」

前作「Nevermind」」の爆発的ヒットにより疲弊したニルヴァーナが、原点回帰としてアンダーグラウンドなサウンドを目指し、1993年リリースしたアルバム。
アルバム名の「In Utero」は、子宮内という意味で、そこにも彼らの意図が読み取れます。

バンドの意向により商業的な成功を一切無視して作ったアルバムでしたが、リリースから1週間で18万枚売り上げるヒット作となりました。
これまでの全世界での売上は1,500万枚にも達します。

しかしリリースから半年足らずのうちにカートが他界するため、本作がニルヴァーナのラストアルバムとなってしまいました。


「Heart-Shaped Box(ハート・シェイプド・ボックス)」

静かに淡々と流れるAメロの不気味なまでの静寂さを一気にかき消すカートの絶叫とギターの轟音。

曲全体は暗い印象で前作のようなキャッチーさはありませんが、ニルヴァーナファンの間ではこの曲をフェイバリットに挙げる人が数多くいます。


「Rape Me(レイプ・ミー)」

この曲は女性への性犯罪を批判するために書いたといわれていますが、
Rape me (レイプしてくれ)Hate me (憎んでくれ)Waste me (使い捨てにしろ)※意訳です。
と歌う自虐的な歌詞は、カートがロックスターになったことへのジレンマを抱えながら自暴自棄になっていく当時の状況と重ね合わせているかのように思えます。

ドラムのデイヴは後のインタビューで「In Utero」について、「暗くて当時のバンドの状況を正確に切り取った、聴くのが辛いアルバム」だと語っています。

ニルヴァーナはMTVのミュージックアワードでこの曲を演奏するつもりでした。が、局側から許可されず代わりに「Lithium」をやることに。
そこでカートは生放送の本番で「Rape Me」の冒頭部分だけ歌いだし周りをヒヤヒヤさせたという、彼らしいエピソードがあります。

また、タイトルがあまりに過激なため、アメリカでは販売当時「Waif Me」と曲名表記を変えて販売されていたという話も有名です。


「Pennyroyal Tea(ペニー・ロイヤル・ティー)」

歌詞は深い絶望感と憂鬱にまみれていますが、サウンドはうねるベースラインにビートルズを彷彿とさせるサイケデリックなギターフレーズが入る、ドラマティックな楽曲。

またニルヴァーナの楽曲の特徴でもある、抑圧させた感情を一気に解き放つ静と動の展開も健在です。


「All Apologies(オール・アポロジーズ)」
(MTV Uupluggedに収録されたアコースティックバージョンで聴くと曲自体の良さがより引き立つので、こちらもぜひ。)

What else should I be? all apologies
(こんな人間でなくどんな人間になればいいのか、悪かったね)

I wish I was like you
(俺もお前みたいだったらいいのに)
Easily amused
(どんなことでもすぐに面白がる)

All in all is all we are…
(俺たちみんな何物にも勝るかけがえのない存在)

アルバム内の他の曲は虚無感や閉塞感に覆われていますが、こちらは開放感のあるサウンドと諦観ともとれる歌詞により異彩を放つ楽曲。

カート自身この曲は平和的な幸せを表現したと話しています。

カートが何を思ってこの歌詞を書いたのかは、本人以外は知るよしもありません。
しかしアルバム発売から数カ月後に命を落としたことから、この頃すでにカートの心境に何らかの変化があったのかと勘ぐってしまうような内容です。

ニルヴァーナはなぜ売れたのか

アンダーグラウンドシーンから出たバンドとしては異例の売れ方をしたニルヴァーナ。
その功績が認められ2014年にはロックの殿堂入りも果たしました。

しかし、なぜ彼らがここまでの支持を得たのでしょうか?

その理由のひとつに、1980年代に隆盛を極めていたきらびやかなLAメタルやポップでカラフルなバンドに、オーディエンスが飽きはじめていたことが挙げられます。

そこに現れた、これまで聴いたことのないパンクやヘヴィロック、1960年代のガレージパンクを融合したようなサウンドを持つバンド。テクニックに走るメタル勢とは違う、シンプルで荒削りなギタープレイ。

ビジュアル面でいうと、当時はヘアスプレーで髪を盛り上げ、派手な衣装に化粧をする様式美を重視したバンドが主流でした。それに対し、カート・コバーンは部屋着もステージ衣装も一緒だったという、全く飾り気のない等身大の姿。

これらの要素が、新しい音楽やロックスターを求めていたオーディエンスから受け入れられたのです。

またカートの歌詞は陰鬱で混沌としていて、若者が抱く憂鬱をそのまま代弁していました。そのため多くの人が「自分は独りじゃない」という共感を持って聴けたことも大きな要因です。

ニルヴァーナの元マネージャーもインタビューで「カートの曲はいつの時代のティーンエイジャーにも響く」と話すように、事実、ニルヴァーナの曲は今も新たな若いファンを獲得しつづけています。

MEMO

カートは繊細すぎるがゆえに尖った面ばかりが報道されがちですが、いつでも弱者に寄り添う心優しいアーティストでした。それを端的に表す彼の名言を引用しておきます。

「俺たちのファンに伝えたいことがあるんだ。もし君がホモセクシャルの人々、肌の色が異なる人々、そして女性に対して嫌悪感を抱いているなら、俺たちのショーには来ないで欲しい。レコードも買わないでくれ」

引用元:「Incesticide(インセスティサイド)」ライナーノーツより

さいごに

今回はニルヴァーナについて、アンダーグラウンド出身の彼らがなぜここまで売れたのかや、カート・コバーンの生涯とバンドの経歴、アルバム3枚について分かりやすく解説しました。

カートがこの世を去ってから約半年後、彼らのMTVでのライブ音源を収めた「Unplugged in New York(アンプラグド・イン・ニューヨーク)」が発売され、チャート1位を獲得。

そして、今年は代表アルバム「Nevermind」の30周年エディションが11月12日にリリースされるなど、彼らの残した音楽は今もなお多くのバンドやミュージシャン、音楽ファンに影響を与え続けています。

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