源田壮亮 | これまでの経歴や成績、結婚について徹底解説!

源田壮亮 | これまでの経歴や成績、結婚について徹底解説!

日本を代表する守備の名手として知られている源田壮亮(げんだ そうすけ)

所属している埼玉西武ライオンズでの活躍はもちろんですが、日本代表でも中心選手として代表チームをけん引しています。

本記事では、源田壮亮の経歴や成績について紹介します。

また、結婚や年俸についても紹介するなど、源田選手の魅力を様々な角度から紹介していきます。

この記事を読めば、源田壮亮の様々な情報をチェックすることができますよ。

源田壮亮のプロフィールについて紹介

 
・氏名:源田壮亮
・出身地:大分県大分市
・生年月日(年齢):1993年2月16日(31歳)
・身長:179cm
・体重:75kg
・投打:右投左打
・背番号:6
・ポジション:遊撃手
・経歴:大分商業高等学校ー愛知学院大学ートヨタ自動車ー埼玉西武ライオンズ
・代表歴:WBC(2023)、東京オリンピック(2021)、プレミア12(2019)など

源田壮亮は、埼玉西武ライオンズでプレーしているプロ野球選手です。

大分商業、愛知学院大学、トヨタ自動車を経て、埼玉西武ライオンズに入団しています。

華々しい代表歴を誇っている日本プロ野球界のスター選手のひとりです。

ここからは、源田選手の選手としての特徴や経歴について解説していきます。

源田壮亮はどんな選手?

源田選手の魅力は華麗な守備です。

広い守備範囲やバウンドの合わせ方、ボールの握り替えの速さなど、どれをとっても一級品で、その華麗な守備をたたえる「源田たまらん」というハッシュタグがSNS上で話題となりました。

また、打撃面ではしぶといバッティングが光ります。

埼玉西武ライオンズの打線では、主に1,2番に入ることが多く、チャンスメイクをして、得点シーンを演出しています。

源田選手は打撃面においても重責を担っているといえるでしょう。

プロ入りまでの経歴

埼玉西武ライオンズで活躍している源田選手ですが、プロ入りまでどのような経歴をたどってきたのでしょうか。

アマチュア時代の経歴を紹介していきます。

源田壮亮の高校時代

源田選手は大分商業高校でプレーしていました。

大分商業高校は森下暢仁(現:広島東洋カープ)、川晃瀬(現:福岡ソフトバンクホークス)などを輩出している名門校です。

源田選手が在学中は3年春の県準優勝が最高成績で、甲子園出場を果たすことはできませんでした。

高校時代にプロのスカウトから注目される存在であったものの、さらにレベルアップするため、愛知学院大学への進学を決意します。

源田壮亮の大学時代

源田選手は愛知学院大学でプレーしています。

入学後、1年秋から遊撃手のレギュラーを獲得すると、第42回明治神宮野球大会に出場。

順調に勝ち進み、決勝戦では野村祐輔(現:広島東洋カープ)、阿部寿樹(現:東北楽天ゴールデンイーグルス)らを擁する明治大学と対戦します。

惜しくも敗れはしたものの、準優勝という素晴らしい成績を残すのです。

その後も順調に成長を続け、4年時には主将としてチームを牽引。

個人としては、大学日本代表選考合宿に参加するなど、結果を残します。

大学時代の成績や実力が評価され、トヨタ自動車の内定を勝ち取るのです。

源田壮亮の社会人野球時代

大学卒業後、社会人野球の名門トヨタ自動車に進むと、1年目からレギュラーの座を掴みます。

しかし、都市対抗野球大会の予選ではミスを連発。

本戦からは補強選手にポジションを奪われるという挫折を味わっています。

その経験から、源田選手は守備を基礎から見直すために反復練習に励むのです。

地道な練習の結果、2年目のシーズンは年間を通して公式戦ノーエラーを達成。

守備でチームに貢献し、都市対抗野球大会を制するのです。

安定した守備力が評価され、2016年のドラフト会議で埼玉西武ライオンズから3位指名を受けてNPBの門を叩きます。

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