【ソフトバンクのキーマン!】ウラディミール・バレンティン選手の経歴と特徴

【ソフトバンクのキーマン!】ウラディミール・バレンティン選手の経歴と特徴

2013年に世界のホームラン王である王貞治のシーズン本塁打記録55本を破り、現日本記録保持者であるウラディミール・バレンティン。

陽気な性格で『ココ』の愛称でも慕われるバレンティンに関して、2020年からは活躍の場をソフトバンクホークスに移すということで、改めてその経歴・実績・魅力について紹介していきたいと思います。

バレンティン選手の経歴

  • 出身:オランダ王国キュラソー島ウィレムスタット
  • 誕生日:1984年7月2日(満35歳)
  • 身長:185cm
  • 体重:100kg
  • 投打・ポジション:右投げ右打ち 外野手

バレンティン選手は西暦2000年16歳の時に、あのイチロー選手も所属したマリナーズと契約し、2004年20歳の時にはアテネオリンピックのオランダ代表として選出されています

過去にはメジャーのプロスペクト選手として掲載されるなど、若いころから相当な有望選手として注目されていました。

しかし、メジャーではそのパワーや肩の強さは評価されながらも、変化球に弱く・三振が異常に多いことから定着が出来ず、2011年からはNPBヤクルトに移籍することとなります。

MEMO

2011年当時は現在の最大の特徴であるパワーではなく肩の強さが評価されており、マリナーズ時代はあのイチローに匹敵するほどの肩の持ち主と言われていました。

ヤクルト入団後2年間は2年連続31本塁打で本塁打王に輝くなどその並外れたパワーは魅力的でしたが、とにかく外の変化球と落ちる球に弱く、本塁打王でありながらも打点80前後と勝負強いバッターという印象は当時はありませんでした。

2013年には臀部の肉離れで開幕から12試合出遅れますが、驚異的なペースで本塁打を量産し、最終的にはシーズン60本塁打131打点 打率.330と驚異的な成績を上げます。

この頃から、全打席ホームラン狙いという印象がなくなり、チャンスで追い込まれるとコンパクトに打つなど、勝負強いバッターの印象が高まってきました。

2011年から2019年までヤクルトに在籍した中で、故障で15試合の出場にとどまった2015年を除いてすべての年で30本塁打以上記録するなどまだまだホームランバッターとして衰えが見えません。

バレンティン選手の特徴


バレンティン選手の性格は陽気で明るいですが、とにかく気分屋です。

MEMO

判定に激高し退場処分を喰らってしまうことも多く2018年の契約には「退場したら罰金」という日本では珍しい条項が追加されるなど、怒ったら手が付けられない一面もあります。

しかし、宮本コーチがバレンティン選手をチーム全員の前で怒った時には、しょんぼりとした表情で宮本コーチのもとへ行き「みんなの前では怒らないでほしい」とお願いするなど、憎めないかわいらしい面もファンを引き付ける魅力の一つです。

普段は守備や走塁において怠慢プレーが目立ちますが、気分が乗っているときの集中力・全力プレーはすさまじいものがあります。

その最たる例が2013年のWBCであり、オランダ代表の中心選手として自覚から全力疾走・全力プレーでチームを鼓舞していましたが、やはり普段からやっていないからでしょうか、全力疾走の途中で臀部を肉離れしてしまいシーズンでも出遅れてしまいます。(前述のとおり出遅れながらも60本塁打を放ちました。)

筆者はソフトバンクでの活躍の成否はこのモチベーション管理にあると考えており、特にソフトバンクではレギュラーが確約されていない点がどう作用するかが非常に興味深いと考えています。

ヤクルト時代はレギュラーが確保されていたので、いい意味で自由にノビノビとプレーが出来、それがいい結果につながっていましたが、ソフトバンクではグラシアル/デスパイネの両キューバ選手とポジションが被ることから、激しい競争下に置かれると思います。

この競争によって怠慢プレーの改善はみられるかもしれませんが、張り切りすぎての怪我や成績に対してナーバスになってしまうことがあるのではないかと心配しています。

環境が変わることでいい意味・悪い意味両方で大きく化ける可能性を持っているバレンティン選手の2020年の動向から目が離せません!

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