川﨑宗則選手紹介・多くのファンに愛されるムネリン、その栄光と苦悩に迫る!

川﨑宗則選手紹介・多くのファンに愛されるムネリン、その栄光と苦悩に迫る!

NPB、メジャー、台湾リーグなど様々な環境でプレーしながらも明るいキャラクターや溌溂としたプレースタイルでたくさんのファンを魅了し、ムネリンの愛称でも親しまれている川﨑 宗則(かわさき むねのり)選手。

自律神経の病気から復活して1年がたった2020年もその去就に注目が集まっていますが、なぜここまで多くの人々を惹きつけるのでしょうか?

そこで今回は栄光と苦悩に満ちた川﨑選手の経歴や、愛される理由に迫っていきたいと思います。

川崎宗則選手・プロフィール


基本情報


名前:川﨑 宗則(かわさき むねのり)
生年月日:1981年6月3日
身長・体重:180cm・75kg
出身地:鹿児島県姶良市
出身校:鹿児島工業高校
ポジション:内野手(ショート、セカンド、サード)
投球・打席:右投左打

川崎宗則選手・経歴

NPB時代

川﨑選手は1999年のドラフト会議で鹿児島工業高校から福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)にドラフト4位で指名されます。

入団当初はプロ野球のレベルの高さに圧倒され、ネガティブになって毎晩のように実家に電話をしていたというエピソードもありますが、それでもあきらめずに努力を重ねた結果2003年にはチームメイトの故障から2番サードで1軍のレギュラーに定着します。

翌2004年もチームメイトの故障が絡み、ショートのポジションを守ることになりますが、この年には42盗塁で盗塁王、171安打で最多安打、ゴールデングラブ賞、ベストナインなど様々なタイトルを獲得し、ホークスの正遊撃手としてのポジションを一気に確立していきます。

2006年には第一回WBCに日本代表として選出され、活躍しました。

中でも決勝のキューバ戦では神がかったホームへのスライディングも見せ優勝に貢献しました。

この時、ホームベースをタッチした右手はファンの間では「神の右手」と呼ばれています。

これ以外にもセ・パ交流戦MVP(2008)や、オールスターゲームに8度も出場するなど日本球界では実力と人気を兼ね備えたスタープレイヤーでした。

また、その甘いルックスからホークスファンの間で「鷹のプリンス」という愛称でも親しまれるようになりました。

メジャー挑戦時代

日本球界においてこのような華々しい結果を残した川﨑選手は、2011年のオフにメジャー挑戦を表明します。

そして、翌2012年にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶという形で川﨑選手はメジャーでのキャリアをスタートさせていきます。

川﨑選手はマリナーズ、ブルージェイズ、カブスの三球団でプレーをしましたが、メジャーリーグの壁は高く、マイナーリーグで時間を過ごすことも少なくはありませんでした。

そんな厳しい環境の中でも最も輝きを放っていたのがブルージェイズに在籍していた時(2013-2015)です。

マリナーズからブルージェイズに移籍してから間もない2013年シーズン、サヨナラタイムリーを放った試合後のインタビューで「マイネームイズ ムネノリカワサキ アイムジャパニーーーズ!」と片言の英語で自己紹介をすると、球場は大盛り上がり。

たった一回のインタビューでブルージェイズファンの心をわしづかみにしました。

それからというもの川﨑選手は地元のメディアに引っ張りだこで、記者を笑わせたり、カメラの前でおどけたりすることでどんどん人気者になっていきます。

メジャーリーグでの打率はNPB 時代に比べると振るいませんでしたが、川﨑選手はブルージェイズファンにとって記録より記憶に残る選手となっていきました。

NPB復帰、引退騒動、台湾リーグ挑戦

2017年シーズンは2016年に継続してカブスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに参加していた川﨑選手でしたが、途中その契約が解除されてしまいます。

そこで日本に帰ることを決意した川﨑選手は古巣の福岡ソフトバンクホークスに戻るという形でNPBに復帰することになります。

NPBに復帰してからはメジャー挑戦前のように活躍が期待されましたが、アキレス腱のけがなどによって1軍に定着することはできませんでした。

しかし、球団側はムードメーカーとしての約割や豊富な経験、野球に向き合う姿勢など若手選手へのプラスの影響も多いことから2018年シーズンも川﨑選手との契約を継続しようという意向を見せていました。

ファンもまだまだホークスで川崎選手の溌剌としたプレーを見ることを楽しみにしていましたが、そんな最中メディアによって川﨑選手の引退が報道されました。

その原因には自律神経の病気やうつ病など様々な憶測が飛び交いました。

後に川﨑選手から「自律神経系の病気にかかってしまい、野球から離れて心と体を休めることに決めた」という報告がありましたが、人気選手で明るいキャラクターだっただけにひっそりと現役を退いていく姿はだれにも想像することができませんでした。

このままもう二度と表舞台で川﨑選手を見ることはできないのか?もう1度川﨑選手のことを見たい!というファンの期待にこたえるかのように2019年7月に川﨑選手は現役復帰を果たします。

しかし、その舞台はNPBではなく台湾リーグでした。

台湾リーグの味全ドラゴンズにて選手兼コーチとして契約を行い、舞台は違えどファンに元気な姿を見せてくれました。

2020年現在は未だにドラゴンズと契約を結んでおらず、「台湾には戻るが職探しをする」といってその去就に注目が集まっています。

どの野球選手とも重ならないキャリアを歩む川﨑選手の動向に今後も目が離せません。

なぜ川﨑選手はここまで愛されるのか?

川﨑選手は多くのファンに愛されていますが、なぜこのように多くのファンから応援されるような選手なのでしょうか?

川﨑選手が愛される秘密を3つ紹介します。

明るいキャラクター

川﨑選手が愛される理由の一つ目はその明るいキャラクターです。

経歴にもありますが、メジャーに挑戦した時もその明るいキャラクターでファンの心をがっちりつかんでいましたし、時にはダンス(通称:ムネリンダンス)も踊るなど、明るくて陽気なムードメイカーとしてファンだけでなくチームメイトにも愛されています。

ちなみに、現在のホークスのムードメイカーとして知られる熱男こと松田宣浩選手は川﨑選手がメジャー挑戦する際に「これからのホークスのムードメイカーはお前だ」と言われそのキャラクターを受け継いだというエピソードがあります。

野球少年のような素直さ

川﨑選手が愛される理由の二つ目は野球少年のような素直さがあるということです。

川﨑選手はそのかわいらしいルックスや楽しそうに野球に取り組んでいる姿からファンの間では野球少年に例えられることがよくありますが、そう例えられるのはこれらのことだけに原因があるのではありません。

川﨑選手にはあこがれの選手がいます。

それはイチロー選手です。

川﨑選手が中学生のころ右打ちから左打ちに変えたのもあこがれだったイチロー選手の影響だといわれていますし、メジャー挑戦の際にマリナーズを選んだのもイチロー選手とプレーをしたいからであるといわれています。

さらに、川﨑選手のイチロー選手に対するあこがれはこれだけでは終わりません。

WBCで優勝した際にイチロー選手とおそろいのチャンピオンリングを作るなどあこがれの存在になりたい、近づきたいと思うような素直さはまさに野球少年そのものです。

あきらめずに努力する姿勢

川﨑選手が愛される理由の3つ目はあきらめずに努力する姿勢です。

ファンの多くが川崎選手のあきらめずに努力する姿勢に勇気や元気をもらっています。

メジャーに挑戦し、マイナーリーグからなかなか上に上がれない時も川﨑選手は努力することをやめませんでしたし、今回の自律神経の病気で引退の危機に陥った時も川﨑選手はあきらめずに練習を続けていました。

どれだけ傷ついたり、失敗したりしても挑戦し、努力することをやめない川﨑選手の姿は多くのファンを魅了しています。

まとめ

川﨑選手の経歴や愛される理由について紹介しました。

多くの苦難を経験しながらも明るく、>素直でひたむきに努力する川﨑選手の姿に多くのファンが感動し、活力をもらっています。

だからこそ、ここまで多くのファンに愛され、その一挙手一投足に注目が集まっています。

まだ台湾リーグでの川﨑選手の挑戦は始まったばかりです。

これからも川﨑選手の動向からは目が離せません!

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