清宮幸太郎|期待の和製ベーブ・ルースの現在を紹介!

清宮幸太郎|期待の和製ベーブ・ルースの現在を紹介!


清宮幸太郎選手は北海道日本ハムファイターズに所属する選手です。プロ入団前から注目を浴びていた通称「和製ベーブ・ルース」の現在とは?プロフィールや成績と一緒にご紹介していきます!

あっ、日ハムとの交渉条件で大谷翔平のバットをねだった人だ!


カルち君、もう少し清宮幸太郎選手について知ろうね。


今回は和製ベーブ・ルースと呼ばれる清宮幸太郎選手について紹介するね!

清宮幸太郎のプロフィールを紹介!

ここでは、清宮幸太郎選手のプロフィールについて触れています。清宮選手について知りたい方は是非ご覧ください。

清宮幸太郎のプロフィール


出身地:東京都新宿区
生年月日:1999年5月25日(20歳)
身長:184cm
体重:102kg
投打:右投げ左打ち
背番号:21
ポジション:一塁手、左翼手


リトル時代からメジャーが注目

清宮幸太郎選手はリトルリーグ時代から多くのメディアの注目を集めていました。

小学生とは思えない体格とバッティング技術を駆使し、2012年のリトルリーグ世界選手権においてはチームを優勝へと導きました

この活躍はメディアでも大きく取り上げられ、米メディアでは「和製ベーブ・ルース」とまで称されました。

高校生ならまだしも、小学生の頃から世界的に注目を浴びる選手はほぼいません。清宮選手のポテンシャルの高さが窺えます。

高校通算は史上最多の111本塁打!

その後、実力をぐんぐんと伸ばしていった清宮幸太郎選手は、早稲田実業高等学校へと入学しました。

清宮選手は1年生ながら主軸として期待され、「3番・一塁手」として活躍。その後、3年時には主将に抜擢され、「2017 WBSC U-18ワールドカップ日本代表」においても主将を務めました。

清宮選手の高校通算は非公式を含めると111本塁打を記録しており、この記録は史上最多記録でもあります。

また、高校公式戦においては、通算70試合の出場で247打数100安打、打率.405、29本塁打、95打点という数字を残しています。

まさに規格外と呼べる選手です。

高校生最多の7球団指名

高校を卒業後の進路にて、清宮幸太郎選手はプロ志望届を提出し、プロの道へ進む意志を固めました。

その後のドラフト会議においては、1995年の福留孝介選手に並ぶ高校生最多7球団が清宮選手を指名。

結果、北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得し、入団することが決まりました。

清宮幸太郎の経歴を紹介!


ここでは清宮幸太郎選手の成績や活躍した経歴についてまとめています。入団から現在に至るまでをまとめているので、興味のある方は是非ご覧ください。

腹膜炎で開幕を逃す

無事、北海道日本ハムファイターズに入団した清宮幸太郎選手。

和製ベーブ・ルースと呼ばれるだけあり、ファンの期待を集めていました。

しかし、オープン戦の期間中に限局性腹膜炎で緊急入院する事態に陥ってしまいます。

一部報道ではストレスを抱えていたとあり、プロという重圧に清宮選手であっても耐えられなかったのかもしれません。

退院後は二軍戦で調整し、15試合で4本塁打という成績を残し、復調をアピールして一軍へと昇格しました。

プロ初ホームランを記録

清宮幸太郎選手の記念すべきプロ初ホームランは5月9日のオリックス・バファローズ戦で記録しました。

第1打席でブランドン・ディクソン投手から右翼へと伸びる豪快な一発を放ち、清宮選手が一軍でも通用することを自身のバットで証明しました。

強打者の職業病「右有鉤骨骨折」

しかし、2019年の3月3日のオープン戦での打席で、ファウルを打った際に右手首を痛めてしまいます。

翌日に右有鉤骨骨折(みぎゆうこうこつこっせつ)と診断され、骨片除去手術を受けるために離脱することになります。

この右有鉤骨骨折は強打者に見られる骨折としても有名で、清宮選手のように豪快なスイングをするバッターには珍しくもない症状です。ある意味、驚異的なバッターであることを示したのかもしれません。

ちなみに清宮選手と同じように有鉤骨骨折を経験したことがあるのは、以下の選手です。

  • 原辰徳(巨人:1986年)
  • 二岡智宏(巨人:2001年)
  • 今江年晶(ロッテ:2007年)
  • 中田翔(日本ハム:2008年)
  • 松田宣浩(ソフトバンク:2010年)
  • 高橋周平(中日:2016年)
  • 杉谷拳士(日本ハム:2016年)
  • 堂上直倫(中日:2017年)


一部となりますが、そうそうたるメンバーです。清宮選手もこの選手たちのように活躍してくれることを願います。

清宮幸太郎はやはり凄かった

現在はまだそれほど大きな活躍はしていない清宮幸太郎選手ですが、潜在能力は非常に高いので、今後の活躍も期待できるでしょう。

なぜ、期待できるのかと言われれば、プロ入団前から他の選手とは一線を画する存在であったことです。

清宮選手は当たり前と思っていることでも、年齢から見れば本来そこまでの技術を持っている事自体が不思議な存在なのです。そのエピソードについて下記で触れています。

ボールの回転を意識

中学時代に所属していた「調布シニア」において、清宮幸太郎選手はずば抜けた存在感を見せつけていました。

中学生ながら、考えたバッティングを意識しており、そしてそれを実行するだけの技術を持っていました。

元プロ野球選手の赤星憲広さんがインタビューに訪れた際は、「きれいな回転を意識してゴロを少なくするように心がけています」と答えていました。

技術的な内容になってしまいますが、バッティングでインパクトの瞬間にボールの少し下を叩くと、ボールに縦回転がかかり飛距離が伸びます。清宮選手はこの技術を15歳の頃から実践していたのです。

手本は松井秀喜

また、清宮幸太郎選手は元プロ野球選手の松井秀喜さんを手本に、手首の返しを意識していました。プロでは当たり前の技術ですが、中学生ながらこれを意識している選手はまずいないと赤星さんは唸っていました。

ここで言う手首の返しとは、ホームランバッターのほとんどが修得している技術で、バットのヘッドスピードを上げてアウトコースのボールですら引っ張ることができます。

この手首の返しと同時に、上でも説明したボールの下を叩くと、ボールを更に飛ばすことができます。この2つの技術がホームランバッターには必要ですが、これはプロの世界の話です。中学生でこれだけの技術を持っていることが、まさに規格外です。

赤星憲広も驚く凄さ

そんな当時の清宮幸太郎選手をインタビューした赤星憲広さんは、「正直、中学生としゃべっている感じがしない」とまで述べるほどです。

元プロ野球選手を驚かせる才能を持つ清宮選手には脱帽の一言です。

最後に…

以上、清宮幸太郎選手のご紹介をさせていただきました。

まだまだプロでの実績が少なく、調子を崩しがちですが、まだこれからの選手です。

今後の躍進を期待して、清宮選手の活躍を願いましょう。

ここまでご覧いただきありがとうございます。

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