NUMBER GIRL(ナンバーガール・ナンバガ)メンバーの年齢、名前、意外な経歴とは…?

NUMBER GIRL(ナンバーガール・ナンバガ)メンバーの年齢、名前、意外な経歴とは…?

福岡県は人口が全国9位の約510万人ですが、東京、神奈川、大阪などを抑えて、ミュージシャンや芸能人が最も多い都道府県とも言われています。

しかも、ビッグアーティストや大御所タレントがずらり。

椎名林檎さん、スピッツの草野マサムネさん、浜崎あゆみさん、MISIAさん、タモリさん、蒼井優さん、橋本環奈さん、バカリズム、ロバート秋山さんと馬場さんなどなど、まだまだいらっしゃいます。

その理由は、目立ちたがりで、負けず嫌い、ひたむきにやり続ける傾向があるからとか。

確かに派手で華があって、個性的な方が多いように思えますよね。

 

邦ロックの雄NUMBER GIRL

 

 

日本のロック史に名前を刻んでいる伝説のロックバンドNUMBER GIRLも、福岡県が地元です。

1990年代から2000年頃にかけて活動したNUMBER GIRLは、くるり、スーパーカー、中村一義さんと同時期にデビュー。

97年世代と呼ばれ、邦ロックが本格的に始まった世代です。

洋楽を借り物ではなく、憧れで鳴らすのでもなく、これが日本の音楽だと反発もしない。

アメリカやイギリスなどの最先端の音楽を、フラットに自分達のフィルターを通して鳴らした初めての世代です。

 

NUMBER GIRLと言えば、「透明少女」という人も多いはず!

 

「NUM-AMI-DABUTZ」のシュールなMV。

 

NUMBER GIRLは2002年に一度解散しましたが、2019年2月に再結成しています。

 

猛者揃いのメンバー

 

猛者揃いのメンバー(左から)

  • Ba 「中尾憲太郎」(なかおけんたろう)
  • Vo&Gt 「向井秀徳」(むかいしゅうとく)
  • Gt 「田渕ひさ子」(たぶちひさこ)
  • Dr 「アヒト・イナザワ」

向井秀徳

・生年月日;1973年10月26日

・出身地;佐賀県三養基郡北茂安町(現みやき町)

本名は読み方違いの、むかいひでのり。

ボーカル・ギターと、作詞・作曲などサウンド面、バンドイメージも含め、NUMBER GIRLのほぼ全てに関わっている最重要人物。

日本のロックシーンに与えた影響は計り知れません。

コール&レスポンスで一体になろうというのは苦手で、自分の存在を知らしめたいから音楽をしていると語っています。

独特の歌詞で知られていて、「くりかえされる諸行無常」のフレーズが有名で、他のアーティストの楽曲プロデュースをする際にも頻繁に多用しているほどです。

曲中の「ハッ」という祭りの掛け声のようなのも向井秀徳さんならでは。

お酒とラーメンが大好物で、お酒を飲みながらライブすることもあります。

2002年に一度解散した後には、ZAZEN BOYSを結成、現在は2つのバンドを並行して活動しています。

元々映画監督になりたかったこともあり、NUMBER GIRLのMVの監督もしていました。

映画「中学生円山」「ディストラクション・ベイビーズ」「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」などの音楽も担当。

 

田渕 ひさ子

・生年月日;1975年12月9日

・出身地;福岡県福岡市

本名は田渕久子。猛者バンドから引く手数多な女性ギタリスト。

NUMBER GIRL以外にも、bloodthirsty butchers、LAMA、磯部正文BAND、椎名林檎さんとのバンド発育ステータス、PEDROと、ボーカル・ギターを務める自身のバンドtoddleなどに在籍。

エフェクターで歪ませたギターが特徴で、BOSS製にこだわり続けています。

どこか飄々とした佇まいと、可愛らしい見た目からは想像もつかない、激しくて攻撃的なギターを鳴らします。

 

アヒト・イナザワ

・生年月日;1973年6月6日

・出身地;福岡県糟屋郡須恵町

本名は鰰澤亜人(いなざわあひと)。向井秀徳さんと結成したZAZEN BOYSには2004年まで、日本を代表するハードコアバンドBEYONDSには2011年まで在籍。

自身のバンドVOLA & THE ORIENTAL MACHINEでは、フロントマンとしてボーカル・ギターを担当し、作詞と作曲もしています。

ファンからは童顔で動きも可愛いと人気ですが、ドスンドスンと豪快なドラムを叩きます。

曲に入る前のカウントが独特で、「真っ昼間ガール」『さが・して・新・宿』「SASU-YOU」『きり・すて・バリ・コワ』「TRAMPOLINE GIRL」『とん・でる・イナ・ザワ』と叫びます。

 

中尾憲太郎

・生年月日;1974年6月17日

・出身地;福岡県北九州市

高校の頃にバンドを結成することになり、背が高いからという理由でベースを弾き始めました。

大学を中退して、福岡市のライブハウスで照明のアルバイトをしていたときに、向井秀徳さんに誘われてNUMBER GIRLに。

「中尾憲太郎◯才」と、年齢も込みでの名前表記にしています。

SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER、ART-SCHOOLなど多くのバンドのサポートメンバーや、MASS OF THE FERMENTING DREGSなどのプロデュースもしています。

 

NUMBER GIRL・強烈なインパクトを残した7年間

 

向井秀徳さんがライブMCで、「売れる売れない二の次で、恰好のよろしい歌ば作り、聴いてもらえりゃ万々歳。そんな私は傾奇者――人呼んでNUMBER GIRLと発します」と語るように、これがNUMBER GIRLです。

自分達がカッコイイと思った音楽を真摯に作り、ライブをする。

セールス的にはオリコンチャートのトップ10を記録したことはなく、ライブ動員数が特別多かったわけでもありませんが、他のミュージシャンへの影響力が圧倒的で、多くのフォロワーも生み出しました。

ASIAN KUNG-FU GENERATION、凛として時雨、星野源、きのこ帝国、Base Ball Bear、ねごとなどが影響を受けたことを公言しています。

NUMBER GIRLのバンド名は、ビートルズの「ビートルズ No.5!」と、元メンバーが組んでいたバンドのカウガールを掛け合わせたものです。

 

1995年8月に福岡市でNUMBER GIRLが結成。

自主制作のカセットテープやライブ出演を経て、1997年11月に1st アルバム「SCHOOL GIRL BYE BYE」をリリースします。

1999年5月にシングル「透明少女」でメジャーデビュー。

「福岡市博多区からやって参りました、ナンバーガールです」 のMCで始まる鬼気迫るライブで、すぐに話題となります。

多くのイベントや、FUJI ROCK FESTIVAL、SUMMER SONIC、RISING SUN ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FESTIVALなどの大型フェス、アメリカのSXSWにも出演しました。

2002年の解散までに、メジャーレーベルからは、「SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT」「SAPPUKEI」「NUM-HEAVYMETALLIC」と3作のスタジオアルバム、7作のシングルと数は多くありませんが、密度が高く濃度の濃い作品を発表しました。

当初はピクシーズなどのギター・ロックの影響が強く見られましたが、ダブやレゲエからのアプローチのほか、ラップをしたり、祭囃子のようなリズムを取り入れたサウンドに変化していきました。

当時は、緊迫感をあえて作り出すことで、緊張感や張りのあるサウンドに仕上げていたそうです。

ただ、そのためにバンドは常にピリピリ、ギスギスした雰囲気になってしまいました。

その結果あまりにも息が詰まる状況になり、中尾憲太郎さんが脱退を言い出し、スタッフも含めて話し合いをした結果、4人でなければNUMBER GIRLではないという結論に至り、2002年に9月に解散を発表。

 

解散後各メンバーはそれぞれ活動を続け、17年の沈黙を経て、2019年8月のRISING SUN ROCK FESTIVALに出演するために再結成します。

再結成の理由を向井秀徳さんは、次はいつNUMBER GIRLをやってくれますか?とイベンターなどから言われ続けていたこと、50代になったときに「ギャー」と歌えるかと考えたときに、今のうちにやっておきたいと思ったからと語っています。

ですが、出演するはずだったRISING SUN ROCK FESTIVAL 2019の初日の8月16日は、台風の影響で中止に。

とはいえNUMBER GIRL再始動に変わりはなく、2020年になってもライブを見られる幸運に恵まれています。

NUMBER GIRL・おすすめ人気曲

透明少女

先にMVをあげた「透明少女」は、「SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT」に収録。

ライブでは「それが透明少女だったら」のMCで演奏が始まります。

 

OMOIDE IN MY HEAD

ライブは「ドラムス、アヒト・イナザワ」のコールで演奏スタートです。

NUMBER GIRLと言えばこの曲、というファンも多い名曲。

最初にインディーズでリリースしたアルバム「SCHOOL GIRL BYE BYE」の1曲目で、NUMBER GIRLはここから始まりました。

 

「TATTOOあり」

セオリーではあまりない最初の一音から、焦燥感全開のサウンドが展開します。

刃物のようにシャープなギターと向井秀徳さんの叫び、ヒリヒリするような歌詞が、諸行無常感を一層強めています。

 

「I don’t know」

2002年ヴェネツィア国際映画祭出品作品の「害虫」に提供されました。

映画のサウンドトラックは、NUMBER GIRLの新たな可能性を感じさせましたが、一時解散する前のラストソングに。

「I don’t know」以降、現在までシングルのリリースはなく、今のNUMBER GIRLの作品が待ち望まれています。

 

 

最新情報

【ZAZEN BOYS × NUMBER GIRL】”THE MATSURI SESSION”即日完売につき生配信決定!

ZAZEN BOYSとNUMBER GIRLによるツーマン・ライヴ”THE MATSURI SESSION”が、生配信されることが決定しました。
配信チケットは、”LIVEWIRE”のオフィシャル・サイトで4月20日18時より販売開始されています。また見逃し配信は、5月11日23時59分までとなっていますのでご注意ください。

最後に…..

革新性や独自性も確かにありましたが、全てのロックバンドがNUMBER GIRLから何かしら影響を受けている、とまで言われる理由は、カッコイイからに尽きると思います。

作品やライブでのパフォーマンスはもちろんですが、何よりもステージ上での4人が抜群にカッコ良かったからです!

 

18年振りの全国ツアー「逆噴射バンド」の最終公演が3月1日にZepp Tokyoで開催される予定でしたが、コロナウイルスの影響で延期になってしまいました。

尚この日の振替公演が、7月13日にZepp Tokyoで開催されます。

NUMBER GIRLのライブを見る機会はまだまだあります!

伝説のロックバンドをぜひライブハウスでご覧になって、爆音を体全体で味わってください!

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