10-FEET(テンフィ)メンバーの年齢、名前、意外な経歴、おすすめな曲とは…?

10-FEET(テンフィ)メンバーの年齢、名前、意外な経歴、おすすめな曲とは…?

10-FEET・バンド名の由来

フィートは長さを表す単位で、1フィート=0.3048メートルなので10-FEETは約3メートルを意味します。

頭上3メートルは手が届きそうで届かない位置ですが、それをわかった上での「高く飛び上がれ!」というメッセージが込められたバンド名です。

イギリスのパンクバンドThe Clashのメンバーだったジョー・ストラマー「Reach for the moon, even if we can’t. (月に向かって手を伸ばせ。たとえ届かなくても)」という有名な発言に通じるものがあります。

「できるかどうかじゃない。やるんだ!」という姿勢を表現したバンド名で、10-FEETはその精神に恥じない活動をおこなってきたバンドだと言えるでしょう。

10-FEET・略歴

1996年に京都府で結成された10-FEETは、2020年3月現在で8枚のフルアルバム、18枚のシングルを発表しています。

バンドの創成期は4人編成で“シンちゃん”というギタリストが在籍していましたが、脱退にともないTAKUMAがヴォーカルとギターを兼任することになりました。

MEMO

公式バイオやWikipediaなどでは1997年となっていますが、メンバーの証言により1996年結成が正しいと訂正されています。

結成後は京都府内を中心にライヴ活動をおこなうと共に、オリジナル曲を収録したデモ音源を制作。

すぐに大きなチャンスには結びつかなかったものの、ライヴ自体の評判は良く、会場で販売されたデモ音源は毎回売り切れになっていました。

2000年末に京都から東京へ拠点を移し、3人での共同生活を開始します。

物件は3LDKと手狭ではなかったものの、3人とも体重が10キロも落ちるなど、東京での生活は過酷なものでした。

音楽に本腰を入れるため、京都で就いていた仕事を辞めて上京した3人でしたが、レコーディングとツアーでほとんど家にいないことに気付き、2002年11月頃に再び拠点を京都に戻しています。

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上京を決意したきっかけは、東京のラジオ番組に出た際に「こっちで活動すればいいのに」と番組パーソナリティーからアドバイスを受けたことでしたが、いざ東京に出てきた10-FEETを見たその人は「え!?本当に来ちゃったの!?」と驚いた、という笑えないエピソードが残されています。

2001年にシングル『april fool』『May I help you?』を2ヶ月連続でリリースしてデビューを果たすと、2002年4月にはデビューアルバム『springman』を発表。

『springman』は大きなヒットにはならなかったものの、アルバムに伴うツアーでは最終日となる渋谷ON AIR WEST(現在のTSUTAYA O-WEST)がソールドアウトするなど、着実に人気は高まっていきました。

バンドの名を全国に知らしめたのが、2002年10月にリリースされた3枚目のシングル『RIVER』です。

現在でも10-FEETの代表曲としてライヴで重要な位置を占める“RIVER”は、オリコンのシングルチャートに何度も登場するロングセラーとなり、人気バンドへの扉をこじ開けるきっかけとなりました。

2003年にはシングル『nil?』でメジャーデビューを果たした10-FEETは、攻撃の手を休めることなく一気に突き進みました。

翌2004年にはメジャー初となるアルバム『REALIFE』をリリースすると、オリコンチャート最高9位というヒットを記録。

早くもオリコンチャート10位という壁を打ち破った彼らはチャートの常連となり、それ以降の作品を軒並みチャート上位へ送り込んでいます。

その中でも、“ヒトリセカイ”“アンテナラスト”などヒット曲を収録した2017年のアルバム『Fin』はオリコンチャート最高2位を記録し、現在のところバンドにとって最高位を獲得した作品となりました。

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2010年に発表されたベストアルバム『10-BEST 2001-2009』はバンドの意思に反して発売されたもので、10-FEETの公式ディスコグラフィーには掲載されていません。

2007年はTAKUMAの喉の不調によるツアー延期、初開催となる主催フェスティバル『京都大作戦2007〜祇園祭とかぶってごめんな祭〜』が悪天候により中止になるなど10-FEETにとってつらい年となりました。

短期間でふたつの厄災に襲われた彼らでしたが、TAKUMAは喉の故障を見事に乗り越え、京都大作戦も翌年以降は京都の夏の風物詩としてほぼ毎年(2018年は悪天候により中止)開催されています。

この出来事も彼らが最強のロックバンドとして成長するための試練だったのかもしれません。

10-FEET・京都大作戦

京都大作戦は10-FEETの活動10周年を記念して、2007年から京都府宇治市の京都府立山城総合運動公園で開催されているロックフェスティバルです。

初年度の2007年と2018年は悪天候のため開催見送りとなったものの、現在までに合計11回開催されており、京都の夏の風物詩として定着しています。

原則として毎年2日間に渡って開催されますが、2019年は『〜倍返しです 喰らいな祭〜』と題して、中止になった前年分を含めた全4日間の開催となりました。

日本のバンド主催のロックフェスティバルとしては、Hi-STANDARDが主催しているAIR JAMが有名で、10-FEETもその手法を参考にしたことは間違いありません。

Hi-STANDARD不在の2007年にスタートした京都大作戦のインパクトは絶大で、多くのバンドが10-FEETの背中を追うようにして自身のフェスティバルを開催しています。

バンドの出身地で毎年フェスティバルを開催するという文化を根付かせた10-FEETの功績は大いに評価されるべきでしょう。

出演アーティストは、ELLEGARDEN、マキシマム ザ ホルモン、ROTTENGRAFFTYといった10-FEETのイメージから容易に想像ができるバンドはもちろんのこと、つじあやの、MINMI、BEGINのように意外性のあるアーティストまで実に多彩な顔触れとなっているのも京都大作戦の特徴のひとつです。

会場内にはメインステージとなる源氏ノ舞台、サブステージとなる牛若ノ舞台のふたつが設置され、観客はタイムテーブルを見ながら好きなステージを観る方式です。

出演バンドにとっても源氏ノ舞台は憧れのステージで、そこに出演するということは、憧れの先輩10-FEETに認められたことを意味します。

2008・2009年と牛若ノ舞台に出演したものの、それ以降パタリと京都大作戦に呼ばれなくなったSiMが2013年に源氏ノ舞台のトップバッターとしてステージに立った際、ヴォーカリストのMAH「あの丘を越えるのに5年かかったよ!」と喜びを爆発させたMCは伝説となっています。

京都大作戦の名場面は数多くありますが、絶対に外せないのが2013年の10-FEETのステージでしょう。

彼らがHi-STANDARDの名曲“STAY GOLD”をカバー演奏している最中、本家Hi-STANDARDの横山健難波章浩が突如乱入。

TAKUMAとNAOKIから楽器を強奪すると、なんと“STAY GOLD”を演奏し始めたのです。

子供のようにステージを飛び跳ね、走り回り、狂ったようにヘッドバンギングをキメた後、ステージに突っ伏して号泣するTAKUMAの姿は、完全にパンクキッズそのものでした。

そんな“奇跡が起こる場所”京都大作戦は、これからもファンとバンドマンの夢を乗せて開催され続けるでしょう。

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