【2021年最新】京都府出身の有名アーティストを一挙紹介!

【2021年最新】京都府出身の有名アーティストを一挙紹介!

京都府は歴史的価値の高い建物が数多く、観光地としても非常に有名な場所です。皆さんも修学旅行などで訪れたことはあるのではないでしょうか。

そんな歴史ある町並みを持つ京都ですが、それ以外に有名な人物が多数輩出されていることでも知られています。

今回は京都から誕生した有名な歌手やアーティストを代表曲とともに紹介したいと思います。これからの活躍が期待できるアーティストも紹介しているので、気になる方はぜひご覧ください。

京都府出身の有名アーティスト

沢田研二「勝手にしやがれ」

沢田研二さんを知らない世代というのは、相当若い世代になるかと思います。生まれは鳥取県ですが京都府で育ち、『ジュリー』というニックネームで知られるスーパースターです。

1960年代に『ザ・タイガース』のリードボーカルとしてデビュー。解散後はソロとして活動を続け「君をのせて」「勝手にしやがれ」「サムライ」などが大ヒットを記録。中性的な魅力とささやくような甘い歌声が話題を呼び、60年代から80年代の歌謡界を席巻し、多くのファンを熱狂させてきました。

メディアへも引っ張りだこで、音楽以外にも役者として活躍。また、バラエティ番組にも出演することがあり、ドリフターズの志村けんさんとはコントで共演を果たしたこともあります。

その後、徐々にメディアへの露出は少なくなったものの、2008年までは毎年アルバムをリリース。ライブも活発に行われており、同年代からは圧倒的な支持を得ています。しかし、アルバムがあまり多いため、本人が「多すぎて歌えなくなってきた」とこぼすほど。

現在はミニアルバムやシングルのリリースに留めているものの、未だに新曲を発表するというのは流石の一言です。2020年で72歳という年齢になりましたが、これからもファンを熱狂させる存在として輝いてもらいたいですね。

岡崎体育「MUSIC VIDEO」

2012年よりスーパーの店員として働きながら『盆地テクノ』という独自のジャンルを掲げ、個性の強い楽曲の数々で音楽業界を震撼させている岡崎体育さん。2014年にアマチュアとして参加していたライブでのパフォーマンスが評価され、メジャーデビューを果たしました。

曲調そのものはそれほど珍しくもないテクノポップサウンドですが、特徴すべきはその曲の歌詞にあります。代表曲として挙げられる「MUSIC VIDEO」では、アーティストのミュージックビデオに取り入れられる演出や演技の『あるあるネタ』を歌詞に起こしたもの。

この『あるあるネタ』には、とある音楽関係者が苦言を呈してはいたものの、曲そのものは評価できると頭を抱えたそうです。同楽曲も含め、岡崎さんの制作する曲には独創性に溢れており、YouTubeに投稿された楽曲はどれも高い再生数を記録しています。

その独特な音楽性は若者、特に子供たちからも人気を集めており、『ポケットモンスター サン&ムーン』を始めとした主題歌の担当や、子供向け番組に出演することもありました。

縛られない音楽で今後どのような曲を披露して盛り上げてくれるのか、今後の岡崎さんの動きには目が離せません。

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浜端ヨウヘイ「もうすぐ夏が終わる」


浜端ヨウヘイさんは1984年に京都で生まれ、2019年にシングル曲「カーテンコール」でメジャーデビューを果たしたシンガーソングライターです。

通訳の仕事の傍らに音楽活動に励むも、中途半端な現状を変えるべく2013年に退職。その後は音楽活動に専念し、自身で全国各地を飛び回り、ライブ活動を行っていました。

その地道な活動もあってか、2013年にはシンガーソングライターの山崎まさよしさんの全国ツアーにてオープニングアクトを担当し、全50会場に帯同したことにより注目を集めるようになります。

そして2014年には山崎まさよしさんも在籍する『オフィスオーガスタ』と契約を結び、初シングル曲「結-yui-」は全国43局にてパワープレイを獲得しました。新人としては異例のことで、発売初週には最もオンエアされた曲となりました。

2019年にはメジャーデビューを果たし、シングル曲「カーテンコール」「もうすぐ夏が終わる」をリリース。YouTubeでも少しずつ話題を呼ぶようになり、今後の活躍が非常に期待できるアーティストです。

くるり「東京」


京都出身のバンドとして知られているくるりは、1996年から活動を始め、1998年にメジャーデビューを果たしました。これまで在籍していたメンバーは数多くいますが、現在は岸田繁さん、佐藤征史さん、ファンファンさんの三人となっています。

これまでいくつものシングルやアルバムをリリースしてきた彼らですが、リリースごとに音楽のモチーフが変更されるという特徴があります。クラシック、電子音楽、ハウスなど、挙げればキリがなく、一つジャンルに縛られない自由さはファンであれば周知のことかと思います。

しかし、そんな彼らが演奏する中で非常に印象的なのは、やはりデビュー曲の「東京」ではないでしょうか。現在となってはとても懐かしく、淡々と歌い上げる様は吸いこまれるのではないかという錯覚すら感じます。

新曲発表やライブの開催など、現在も精力的な活動を続けており、今後もファンを盛り上げること間違いないでしょう。京都を代表するバンドとして頑張ってもらいたいですね。

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こやまたくや「あつまれ!パーティーピーポー」


日本のスリーピースバンド・ヤバイTシャツ屋さんは、2016年よりユニバーサル・ミュージックからメジャーデビューを果たし、ファンから『ヤバT』と呼ばれ愛されています。

そんなヤバTのヴォーカルとギターを担当する、こやまたくやさんは、京都府京都市で生まれた人物です。中学生時代にロックバンド・マキシマム ザ ホルモンに憧れ、当時購入したレスポールでギターを独学で学び始めたのが、彼のバンドマンとしての始まりでした。

その後、野外フェスの『京都大作戦』で10-FEETに魅了され、これがきっかけとなり音楽の道を本格的に志すようになりました。後に「2008年に10-FEETのライブを見たせいで人生を狂わされました。おかげで今めちゃくちゃ幸せです!」と語っています。

バンドとしての知名度も高くなり、今ではCMやフェスに出演するのは当たり前とすらなりました。次はどのような楽曲を発表してくれるのか、ファンであれば気になるところです。今後もヤバTの魅力を全面に押し出して音楽業界を盛り上げてもらいたいですね。

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倖田來未「キューティーハニー(cover.)」


女性アーティストで『エロかっこいい』の代名詞となった倖田來未さん。1982年に京都市富士見区出身で生まれました。

知っている人もいるかと思いますが、実は倖田さんの最初のデビューは海外でした。日本に先駆けてアメリカでシングル「TAKE BACK」をリリースしており、全米ビルボードのダンスポップセールスチャートで初登場ながら20位という話題性を呼びました。

その後、日本でも同様のシングルをリリースしましたが、海外でのデビューと比べるとそれほど大きなヒットとはなりませんでした。そのため、2000年から2004年までの期間は下積み時代を過ごしたようです。

当初はテレビへの露出も事務所の方針で許可が下りず、本人ももやもやとした日々を過ごしていたことを明かしています。しかし、2004年に本人も友情出演した映画『キューティーハニー』の主題歌「キューティーハニー」が話題を呼び、若い世代、特に同世代からはカリスマ的存在として支持されるようになります。

その後は「you」「Butterfly」「好きで、好きで、好きで。」など、数々のヒット曲を飛ばしました。一時期は活動休止などもありましたが、現在は活動を再開し、新曲の制作やライブ活動など、精力的に取り組んでいます。

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10-FEET「アンテナライト」


TAKUMA、NAOKI、KOUICHIのメンバー全員が京都出身で、1997年に京都で結成されたロックバンド・10-FEETは、京都を代表するロックバンドといっても過言ではないでしょう。

2000年からは京都を離れ、都内で共同生活を送って地道な活動を続けていた彼らは、その努力が実を結び2003年に晴れてメジャーデビューを果たします。一時期はヴォーカルのTAKUMAの喉の不調によりライブの開催などが延期されたこともありましたが、数々の苦難を乗り越えて現在もファンの前に立ち続けています。

そんな京都を代表する彼らですが、毎年7月頃にはとある野外フェスで忙しなくなります。そのフェスというのが『京都大作戦』です。10-FEETが「10周年を記念に何かしたい」という考えから生まれ、京都では毎年恒例のビッグイベントとなっています。

当初は2007年に開催する予定でしたが、台風により敢え無く断念。2008年より正式開催となり、湘南乃風、氣志團、東京スカパラダイスオーケストラ、マキシマム ザ ホルモンなど、そうそうたるアーティストが盛り上げてくれます。

また、このようなイベント事にはごみ問題が付きまとうものですが、環境に配慮した取り組みに力を入れていることでも知られています。演奏終了後には10-FEETの呼びかけで多くのファンがごみを進んで拾うのが恒例となっており、これによってほとんどゴミが出ないフェスとしても話題を呼んでいます。

このような活動に、アーティストが率先するというのは素晴らしいですね。10-FEETにはこれからも京都を代表するロックバンドとしてぜひ頑張ってもらいたいです。

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加藤和彦×北山修「あの素晴しい愛をもう一度」


素晴らしい作品というのは、月日が流れても記憶に残り続けるものです。「あの素晴しい愛をもう一度」は、その記憶に残る作品として、これまで多くの人に愛されてきました。

そんな名曲を生み出したのは、京都出身の加藤和彦さんと北山修さんです。この曲は加藤さんが作曲を担当し、北山さんが作詞を担当しました。元々は女性フォークソングのシモンズのデビュー曲となる予定でしたが、デビュー曲は別で用意して、この楽曲は加藤さんと北山さんのコンビで歌うことになりました。

1970年代に制作されたにもかかわらず、教材や合唱曲、多くのアーティストからカバーされ、この楽曲を知らない人のほうが少ないのではないでしょうか。

そんな名曲を作曲した加藤さんは、この曲を僅か一日で制作。そして、作詞を担当した北山さんもこの曲の素晴らしさに突き動かされるように、歌詞をこれまた一日で書ききったそうです。

残念ながら加藤さんは2009年にこの世を去ってしまいましたが、スリーフィンガーの代表曲とも呼ばれるこの曲を、まだ聴いたことがないという人は、ぜひこの機会にじっくりと聴いてみることをおすすめします。

和田光司「Butter-Fly」

2016年に亡くなったアニソンシンガー・和田光司さんは、人気アニメシリーズ『デジモン』において数々の主題歌を担当し、その生き様から『不死蝶のアニソンシンガー』と呼ばれ、ファンから愛されてきました。和田さんの訃報がファンに知らされた時には、国内だけでなく海外のファンからも悲しみの声があがり、和田さんがアニソンにどれだけ影響を与えていたかが窺えます。

和田さんがデジモンシリーズに携わるようになったのは1999年のことです。シリーズ作品第一作目となる『デジモンアドベンチャー』の主題歌を担当し、この時の主題歌「Butter-Fly」は彼のデビュー曲であると同時に代表曲として知られるようになります。

その後もデジモンシリーズの主題歌を数多く担当しており、『デジモンの歌=和田さん』と思い浮かべる人も少なくありませんでした。デビュー曲「Butter-Fly」は2020年に放送された『アニソン総選挙2020』において、数あるアニソンの中から4位にランクインするなど、和田さんの歌は現在もファンの心に深く根付いているようです。

2003年に上咽頭がんを患い、一度は復帰するものの2011年に再発。それでもなお立ち上がり、ライブなどを行い精力的な活動をファンに届けてくれた和田さんは、彼の代表曲「Butter-Fly」になぞらえて『不死蝶』と呼ばれるまでになりました。

デビュー当時と最後に行ったライブ映像を比較してみると、歌い方に大きな変化があります。彼の闘病生活がどれだけ過酷であったかを物語っており、それでも歌い続けた和田さんのプロ意識は凄まじいものです。

そんな和田さんの遺作となったのが、『デジモンアドベンチャー tri.』の主題歌「Butter-Fly~tri.Version~」です。テレビアニメシリーズ第一作目の続編にあたる作品となっており、今回の主題歌はそのデビュー曲の別バージョンとなっています。同じタイトルであるのが、どこか運命的なものを感じてしまいます。

様々なアニソンが現在も誕生していますが、和田さんの歌はこれからもファンの心に残り続けることでしょう。じっくりと聴いたことがない人は、ぜひ和田さんの心震わせる歌声に触れてみてください。

最後に

以上、京都出身のアーティスト一覧の紹介でした。

いかがだったでしょうか。京都は歴史ある町並みだけでなく、それと同じように人にも歴史が溢れています。それはアーティストも同じです。

ぜひ、京都の歴史に触れる際は、建物だけでなく、そこで生まれ育った人物についても調べてみてください。違った角度から眺めることで、新しい発見があるかもしれません。

それでは、ここまでご覧いただきありがとうございます。

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