【Eve×呪術廻戦】主題歌「廻廻奇譚」の歌詞に込められた意味を徹底解説!

【Eve×呪術廻戦】主題歌「廻廻奇譚」の歌詞に込められた意味を徹底解説!

アニメ主題歌「廻廻奇譚」を徹底解説!

呪術廻戦の第1クールのオープニング主題歌となったEveの「廻廻奇譚」は、放送が始まってから非常に多くの人から注目を集めています。

現在、YouTubeで公式MVが投稿されていますが、現時点での視聴数は2,000万回を突破(2020年12月現在)。Eveのファンだけでなく、その再生数の高さからアニメファンからも高い評価を得ていることがわかります。

では、なぜこれほどまでに注目されているのか。それを解明するため、Eveの主題歌「廻廻奇譚」に込められた意味や、アニメとの関連性について歌詞を交えながら解説したいと思います。

作品愛が重すぎる歌

元々原作のファンであったEveは、主題歌を担当するにあたって改めてコミックを読み直したそうです。そうして出来上がった曲ですが、本人は非常に愛が重たくなったとラジオで語っています。


読み終えて、その熱量のまま書いていたので、愛が重たくなっちゃいましたね。もうたくさんの、僕なりの『呪術廻戦』に対する想いとかを書かせていただきました。

いつもであれば、落ち着いてから曲を作るようにしていたEveですが、今回の呪術廻戦の主題歌はそうではなかったようです。

しかし、これには原作ファンとしても非常に嬉しいですね。ここまで作品を愛して主題歌を担当してくれたのですから。漫画もアニメも人気ですが、主題歌も人気である理由がうなずけるエピソードです。

“歌う”ではなく“唱える”から生まれた歌詞

主題歌「廻廻奇譚」ですが、実はEveはこの歌を“歌ってはいません”。

これはどういう意味かというと、それはEveが作品を通して“呪術”という単語に着目したからです。

その単語に着目した時、本人はこの主題歌を歌うのではなく“唱えたい”と感じたそうです。確かに冒頭のイントロからサビの手前までの曲調には上がり下がりが少なく、淡々とした呪文や呪術を唱えているようにも感じます。

しかし、この淡々とした歌い方――唱え方があるからこそ、サビの部分が強調される効果を生んでおり、歌詞だけでなく曲調からも世界観を感じることができるようになっています。

作品の世界観をわずか4行で表現

アニメの主題歌となると、本来のアーティスト寄りの歌だけでなく、作品にも寄り添った世界観にしなくてはいけません。これまで数多くのアニメソングが生まれてきましたが、アーティストによって実に様々な手法が用いられてきました。

そんな数多くあるアニメソングの一つとして、Eveは非常に短いフレーズの中で呪術廻戦の世界観を表現してくれました。それも冒頭で流れるわずか4行という短さで、作品の世界観がぎゅっと凝縮されています。実際の歌詞は下記のようになっています。

有象無象 人の成り
虚勢 心象 人外 物の怪みたいだ

虚心坦懐 命宿し
あとはぱっぱらぱな中身なき人間

https://www.youtube.com/watch?v=1tk1pqwrOys

言葉の羅列と感じるかもしれませんが、最初の2行は、あらゆる人間は嘘を語り、そして簡単に人の道を踏み外してしまう姿はまるで怪物のようで恐ろしいという意味となり、人々の憎悪や悪意から怪物が生まれていることを表しています。

続く歌詞にある“虚心坦懐(きょしんたんかい)”には、先入観やとらわれの心を持たない素直な状態のことを指しています。この虚心坦懐の反対語には“疑心暗鬼”“幽霊の正体見たり枯れ尾花”などが該当し、疑いの心で見ると、すべてが鬼に見えてしまうという意味の使い方をされます。

これらのことから残りの2行には“疑うことを知らない中身のない人間”のことを指しており、呪術廻戦の世界観では非術師に該当するでしょう。

物の怪の本質と同時に人の愚かさをこの短さで丁寧に描写しており、作品の世界観にも非常に寄り添った描写となっています。

虎杖悠仁の変化を表したフレーズ

本作の主題歌には作品の世界観だけでなく、主人公の虎杖悠仁についての出来事を端的に表現しているフレーズも描かれています。

寄せる期待 不平等な人生
才能もない 大乗 非日常が

https://www.youtube.com/watch?v=1tk1pqwrOys

他人からの期待は、寄せられる人にとって時に枷となってしまうことがあります。運動神経がずば抜けている以外はごく普通の高校生だった虎杖。祖父からは“手の届く範囲で救える人を救え”と、常々言い渡されていました。しかし、突然の祖父の死に、その言葉は大きな重圧となってしまいます。

死は誰しもやってくるものです。虎杖も平静を取り繕っていても、それは簡単に受け入れられるものではありません。時には“不平等”“理不尽”と感じてしまうこともあるでしょう。そんな虎杖がある日、呪われた力を取り込んでしまったことで、日常が非日常へと移り変わってしまいます。

ちなみに“大乗”という単語がありますが、これは“すべての人間の平等な救済と成仏を説き、それが仏の真の教えの道であるとする”という仏教の流派の一つです。“大乗仏教”という単語が正確ですが、これに込められた意味は虎杖のこれからの生き様についての指針となります。

有象無象の人のなり、自分の手が届く範囲で、人々を平等に救わなくてはいけない。祖父の遺言の“救える人を救え”は、奇妙なことに呪われた力を得ることで実行することができるようになりました。

呪いの力「両面宿儺」

非日常へと足を踏み入れた虎杖の様子について描かれた歌詞ですが、それに続くのは、非日常の原因でもある両面宿儺について歌われているように思えます。

怨親平等に没個性
辿る記憶 僕に
居場所などないから

https://www.youtube.com/watch?v=1tk1pqwrOys

“怨親平等(おんしんびょうどう)”も仏教用語の一つですが、これには“恨み敵対した者も親しい人も同じように扱うこと”という意味があります。強大な力は敵だけでなく、時に味方にも牙を剥くということの現れかもしれません。

また、力を手にしてしまったことで間接的に他者を傷つけてしまった虎杖は、奪ってしまった命を数えながら“帰る場所はない”と感じているのではないでしょうか。

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