伸びやかな艶のある歌声でお茶の間のアイドルとして、多くのファンを長年魅了してきた昭和のスーパースター沢田研二。
2021年でソロデビュー50周年を迎え、73歳になった今もソロツアーを行うなど勢力的な活動を行っています。
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目次
沢田研二とは
🎞️#キネマの人物紹介🎞️
ゴウ/#沢田研二
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無類のギャンブル好きで、
家族にも見放されたダメ親父💸ただ一つだけ、愛してやまないものが“映画”
“映画”を語る時のゴウは活き活きとし、
そのまなざしは愛に満ち溢れる。#キネマの神様 pic.twitter.com/J8DKcjr3uK— 映画『キネマの神様』公式 (@kinema_kamisama) May 1, 2021
沢田研二は、1948年6月25日鳥取県生まれで京都府京都市育ちの歌手・俳優です。
沢田研二自身が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったこともあり、つけられたニックネームは「ジュリー」。
1967年「僕のマリー」でソロデビューし、シングル総売上は1,200万枚以上を記録。
ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,600万枚以上にも上ります。
ジュリーのニックネームで親しまれている沢田研二は、歌手としてだけでなく俳優や作詞・作曲家としても活躍。
俳優としては2020年に亡くなった志村けんの代役として、菅田将暉とダブル主演をしたことでも話題となりました。
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沢田研二・経歴
両親の実家がある鳥取県で生まれ、京都府京都市で育ちます。
少年時代はプロ野球選手に憧れ、中学では野球部のキャプテンを務めますが、京都府大会で敗れたことで野球の道を諦めました。
京都のダンス喫茶でアルバイトをしている時にサンダースに声をかけられ、ローディー兼ボーカリストになり音楽の道に進みます。
ザ・タイガース期
沢田研二は、「サリーとプレイボーイズ」のサリー(岸部一徳)から誘われ、リード・ボーカルとしてグループに加入。
「ザ・タイガース」にグループ名を変更し、1967年2月5日に「僕のマリー」でデビューしています。
2ndシングル「シーサイド・バウン」で人気が爆発し、その後も大ヒット作品を連発。
グループサウンドのトップに躍り出た「ザ・タイガース」でも特に端正な顔の沢田研二は、若い女性を中心として熱狂的なファンに支持されました。
以降もスタジアムコンサートを数多く成功させ、アメリカの音楽誌ローリング・ストーン誌に日本人で唯一表紙に起用されるなど人気は継続。
国民的バンドとして人気絶頂の中、デビューからわずか4年の短さでグループは解散するのです。
PYG期
沢田研二は、ザ・タイガースの解散後の1971年、ロックグループPYGに参加します。
しかし、本格的なニューロックを目指したPYGのロックは、当時の日本人に受け入れられられるのが困難だったのです。
その後、沢田研二や他のメンバーも個人活動をするようになり、自然消滅する形での解散となりました。
ソロ活動期
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沢田研二は、1971年11月1日発売のシングル「君をのせて」でソロデビューし、オリコンチャートは最高23位でした。
1973年4月21日発売の「危険なふたり」でオリコンチャート1位を獲得し、ソロとしての人気を確立します。
その後も「時の過ぎゆくままに」、「勝手にしやがれ」、「サムライ」などヒット作を連発。
1979年発売の「カサブランカ・ダンディ」では、ウイスキーを口に含み霧のように吹く演出が大きな話題になります。
1980年発売の「TOKIO」では、電飾付きのスーツを身にまとい、パラシュートを背負って歌唱する奇抜なパフォーマンスが大きな話題を集めました。
ソロになってからは俳優としても活動し、1979年公開の映画「太陽を盗んだ男」に出演。
第4回報知映画賞で作品賞や主演男優賞を受賞、他にも数多くの賞を受賞し、俳優としても人気の存在になったのです。
2000年以降
✧₊ #キネマの撮影日誌📔 ₊✧#沢田研二 さんは、
「志村さんのお気持ちを抱き締め、
やり遂げる覚悟です」とコメント。お二人はかつて同じ事務所の先輩後輩で、
何度も共演していた盟友関係。
志村さんの遺志を継ぎ、
ゴウを演じることになりました🎬#キネマの神様 pic.twitter.com/lVJMX0eacR— 映画『キネマの神様』公式 (@kinema_kamisama) June 15, 2021
2008年に還暦を記念した初の二大ドームコンサート「人間60年・ジュリー祭り」を開催。
東京ドームと京セラドーム大阪両日で5万4,000人を集め、約6時間半フルコーラス80曲を歌いきるという圧巻のステージを成功させています。
2011年は、元ザ・タイガースの瞳みのるが40年ぶりに芸能界に復帰したのです。
タイガースのメンバーと共に、沢田研二の全国ツアーにゲストとして帯同するというファンには嬉しいサプライズもありました。
2017年には芸能生活50周年を記念した全国ツアー、2018年には古希記念ライブツアー、2021年、ソロ活動50周年を記念したライブなど定期的にライブを実施しています。
2020年「Help!Help!Help!Help!」がオリコン週間シングルランキングで20位にランクインし、35年ぶりとなるTOP20入りを記録。
デビューから50年以上が経過しても、人気が衰えていないことが分かります。
書類送検やコンサートドタキャントラブル
お茶の間のアイドルとして愛されている沢田研二ですが、過去にトラブルを起こしていたことも有名です。
書類送検
1975年に駅のホームにて駅職員に頭突きを加え、書類送検。
1976年には、新幹線の車内で乗客とトラブルを起こし、暴行事件を起こしています。
2007年には東京都内で車を運転中、バイクと接触事故を起こしバイクの運転手にけがをさせているのです。
この交通事故によって、沢田研二は自動車運転過失傷害の疑いで書類送検されています。
コンサートドタキャン騒動
沢田研二のトラブルで記憶に新しいのが、コンサートドタキャン騒動。
このトラブルが起きたのは、2018年さいたまスーパーアリーナで開かれるはずだったコンサートです。
「契約上の問題」と説明されていましたが、「9000人と聞いていた観客が実際は7000人だった」ため、自身の決断で中止にしたことを説明。
この騒動には、芸能界からも非難が殺到しましたが、以外にも擁護の声も多かったのです。
このドタキャン騒動は、芸能界だけにとどまらずツイッターなどSNSでも話題となりました。
ツイッターなどで話題になったこともあり、この騒動がきっかけとなり若い世代にもさらに知られる存在となっています。
現在の様子や家族について
若い頃は、時代を代表するカリスマシンガーだった沢田研二。
昔はスラッとしたスマートな姿と端正な顔立ちで若い女性のファンが多い歌手でした。
しかし、現在の沢田研二は、歳を取ってしまっただけでなく、スマートな体系はふっくらと太ってしまい面影はありません。
見た目こそ変わってしまった沢田研二ですが、若い頃に一世を風靡した歌声は今でも健在です。
昔からの熱狂的なファンも多く、現在もコンサートを開催すれば満員になるほど人気があります。
妻や息子の現在
沢田研二は、ザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚。
ところが、沢田研二は女優・田中裕子との不倫が発覚したことから離婚し、田中裕子と再婚しました。
沢田研二には、伊藤エミとの間に授かった1人息子おり、現在は音楽関係の仕事をしているという噂があります。
沢田研二のおすすめ楽曲
数多くのヒット作を生み出している沢田研二の楽曲は、1度聞いたら耳に残る楽曲が多いです。
タイトルも特徴的な楽曲が多く、どんな曲なのか惹きつけられますね。
勝手にしやがれ
「勝手にしやがれ」は、多くの楽曲をリリースした沢田研二の代名詞と言ってもいい楽曲。
歌唱時は、クリーム色のスーツと帽子を身にまとい、歌いながら帽子を投げるパフォーマンスが印象的な一曲です。
福山雅治や桑田佳祐など数多くのアーティストにカバーされています。
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カサブランカダンディ
「カサブランカダンディ」は、1942年のアメリカ合衆国の恋愛ドラマ映画のカサブランカを指した楽曲です。
映画「カサブランカ」の主演俳優ハンフリー・ボガートの愛称である「ボギー」が歌詞中に用いられています。
テレビの歌番組などで歌う際に、洋酒を口に含んで霧を吹くパフォーマンスが当時、話題になりました。
TOKIO
「TOKIO」は、売り上げ枚数が約34万枚と沢田研二にしては少なく、大ヒットしたとい言えませんが、多くのファンに支持された人気の楽曲です。
歌番組で披露した際には、電飾の施されたスーツでパラシュートを背負ったインパクトのある姿で注目を集めました。
音楽ストリーミングサービスSpotifyの再生数では、大ヒット曲「勝手にしやがれ」の次に再生されており、今の時代でも支持されていることがわかります。
時の過ぎゆくままに
「時の過ぎゆくままに」は、沢田研二が主演を務めたテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌として使用された楽曲です。
オリコンチャートで1位を獲得し、91.6万枚売り上げる大ヒットを記録。
ザ・タイガース時代から共に活動した岸部一徳が、ベーシストとして参加する最後の曲となっています。
サムライ
「サムライ」は、圧倒的な表現力と力強い歌唱力が魅力な一曲。
しっとりとした色気のあるセクシーな歌い方が特徴で、軍服の下にシースルーの下着という衣装が印象的です。
2015年3月30日に放送されたBSプレミアム「The Covers」では、THE YELLOW MONKEYのボーカリスト吉井和哉がカバーしています。
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まとめ
沢田研二の経歴やおすすめ楽曲などをご紹介していきました。
ソロデビューから50年が経過し、昭和歌謡界のカリスマ的存在が70代のベテラン歌手になっています。
体系や風貌は若い頃と変わってしまいましたが、多くの人を魅了してきた歌声は今も健在です。
これからの沢田研二がどのような素敵な楽曲を届けてくれるのか期待が高まりますね!