2006年に「マタアイマショウ」の大ヒットで認知度を高めたSEAMO(シーモ)は、ラップ界だけではなくJ-POPシーンにも新たな風を巻き起こしました。彼が発表する作品はチャートの上位にランクインするなど、若者だけではなく幅広い層から支持されています。
音楽を楽しみ続ける姿勢は、デビューから15年以上が過ぎた現在でも変わっていません。音楽業界の光と影を経験しながらも、自身の歩みを止めることなく自分のやりたいことを追い求め続けるSEAMO。彼は一体、どんな人物なのでしょうか。
目次
SEAMOとは?
- 本名:高田 尚輝(たかだ なおき)
- 出身地:名古屋市
- 血液型:A型
SEAMOは1995年に地元の名古屋で活動を始めました。当時はシーモネーターという名前で活動しており、全裸で股間に天狗の面を付けた姿で登場。破天荒なライブスタイルが評判となり、ギャグを交えたラップという新しいHIP HOPの形を確立させたラッパーです。
シーモネーターという名前は、少年漫画のキャラクターが由来となっており、HIP HOPアーティストたちと「男塾」というチームを結成したことから「塾長」と呼ばれることも。
SEAMOはオリジナル曲はもちろん、有名曲をサンプリングする能力にも長けており、様々な層から支持を受けています。さらに、HIP HOPの形を大切にしながらも、その概念に縛られない自由な発想で次々とヒット作を生み出していきました。
ラジオを中心にヒット
シーモネーター時代は、名古屋や東海地区を中心にインディーズとして活動していましたが、2002年に1stシングル「浪漫ストリーム」でメジャーデビューしています。シーモネーター&DJ TAKI-SHIT名義で発売したこの楽曲は、1990年に米米CLUBが発表した「浪漫飛行」をサンプリングした曲。
この曲はメジャーデビューシングルでありながら、プロデューサーにはケツメイシやFUNKY MONKEY BABYSなどをプロデュースしたYANAGIMAN(ヤナギマン)を迎え、コーラスにはケツメイシのRYOが参加しています。
挫折と再デビュー
しかし、デビューから1年後にはレコード会社から契約解除を通告され、音楽業界の厳しさを知ることに…。再びメジャーデビューするために、彼は関係者に自ら営業をかけ、ときには無理難題を言われることもありましたが、諦めることなくその要望に応え続けていったのです。
その結果、2005年3月に「関白」で再度メジャーデビューを果たしたシーモネーター。「シーモネーターとしての活動はやりつくした」という意味を込めて、活動名をSEAMOに変更し、新たな音楽活動をスタートさせました。
「関白」は、さだまさし本人も公認しており、オリジナルの「関白宣言」の歌詞をうまく取り入れながらもSEAMOらしいリリックが散りばめられています。
そして、同年7月に発売された2ndシングル「DRIVE」は、全国のFMラジオでヘヴィ・ローテーション曲となり、タイトル通り爽快感あふれる曲調と、サビ部分に流れる中毒性あるメロディが話題になりました。
さらに、親交のあったBENNIE Kとコラボレーションした3枚目のシングル「a love story」が、USENチャートで2位を獲得。かっこいいラップと、切ないメロディーが混ざり合った楽曲が評判を呼び、2005年を代表するヒット曲となりました。
全盛期到来
2006年4月、SEAMOは4枚目のシングル「マタアイマショウ」で脚光を浴びることになります。ラップ曲でありながら、盛り上がるような曲や攻撃的な歌詞はなくラブソングに仕上がっていました。
発売当時はラップでラブソングを歌うことは珍しく、当初は様々な意見があったそうですが、いざ発売してみると口コミでロングヒットする結果に。また、歌いやすい曲でもあるためカラオケの人気曲にもなり、幅広い層から認知されるようになりました。
さらに同年7月には「ルパン三世のテーマ」をリメイクした「ルパン・ザ・ファイヤー」を発売。アニメファンにもSEAMOの名前が知れ渡り、初のオリコン週間シングルチャートでTOP10入りを果たしています。
これらの楽曲が収録された2ndアルバム「Live Goes On」は、オリコン週間アルバムチャートで初登場1位を獲得しました。
曲のヒットを受け、SEAMOは音楽番組に引っ張りだこ。ついには2006年末に放送された「第57回NHK紅白歌合戦」への初出場が決定するなど、人気アーティストへの階段を着々と上っていったのです。
初の武道館公演
SEAMOの快進撃は2007年になっても止まりませんでした。4月に発売した6枚目のシングル「Cry Baby」が、アニメ映画クレヨンしんちゃんの主題歌に採用されると、10月には早くも3rdアルバム「Round About」を発売。
このアルバムは、BoAやmihimaru GTらなど豪華なゲストも収録に参加し、オリコン週間アルバムランキング初登場2位を獲得しました。ファンからも「スケジュール忙しいはずなのにクオリティが高い」「これまでのアルバムを超えた」など高評価の声が届いており、SEAMOにとっても印象深い1枚となったのではないでしょうか。
そして、2008年1月にSEAMOは初の日本武道館公演を行いました。この公演は2007年11月から始まったツアー「SEAMO Round About Tour ~2007年 シーモ半期 珍プレー好プレー大賞~」のファイナルとして開催され、まさにツアーの集大成ともいえる公演。
ライブの構成は野球の試合形式で行われ、試合が動く回と言われる7回にはプロ野球の応援で見られるジェット風船を観客全員で飛ばすなど、細部までこだわりが見られる仕様になっていました。
また、SEAMOのアルバムには多数のアーティストとコラボレーションしている楽曲が収録されていますが、この日のライブにもスガシカオやBoAといった豪華なゲストが登場。ここでしか見られないステージを披露しました。
フェスとSEAMO
SEAMOは単独公演だけではなく、自身でフェスを企画したり、ROCK IN JAPANなどの大型フェスにも積極的に参加しています。
特に地元の東海地区を盛り上げるべくSEAMOが発起人となって始まった「TOKAI SUMMIT」は、東海地区で活躍するアーティストが作り上げる「初のHip Hopの野外フェス」がコンセプトになっており、ナガシマスパーランド芝生広場・特設ステージで2007年から2016年にわたって開催されていました。
また、全国で開催されているフェスにも積極的に参加しており、有名な大型フェスだけではなく地域密着型のフェスやアニメ、スポーツと音楽がコラボレーションしているフェスにも参加。現在も様々な場所でSEAMOの音楽を届けています。