さくらんぼや洋ナシのラ・フランス、米沢牛、蕎麦など美味しいものがたくさんある山形県!
温泉も豊富で山と海に囲まれている自然豊かな山形県は、たくさんの有名アーティストを生み出している場所でもあります。
今回は、恵まれた自然環境のなかで育まれた豊かな感性を発揮している、山形県出身のアーティストの方々をご紹介していきます。
他のアーティストをプロデュースしたり、多彩な才能を持っている方が多くいらっしゃいます。
目次
小林武史
まずは誰もが知っている、ヒットメーカーの小林武史さんです。
- 生年月日 1959年6月7日生まれ
- 出身地 山形県新庄市
ロックバンドのMr.Childrenで大ヒットを連発し、MY LITTLE LOVER、Salyuさん、一青窈さんなどの女性ボーカリストの特徴を引き出すことにも長けている方です。
活動が小室哲哉さんとほぼ同時期で、お互いに大ヒットを連発していたことから、1990年代を代表する音楽プロデューサーとして知られています。
豪雪地域の人口35,000人ほどの新庄市に生まれた小林武史さんは、5歳からクラシックピアノを始めました。
お兄さんの影響から洋楽を聴くようになり、高校生の頃にはバンドを組み、20歳頃からスタジオミュージシャンとして音楽業界での活動をスタートします。
杏里さんへの楽曲提供や、坂本龍一さん、井上陽水さん、高橋幸宏さんなどのサポートミュージシャンを務め、次第に注目される存在となっていきました。
1987年10月リリースの桑田佳祐さんの1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」、1988年3月の2ndシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」、1988年7月の1stソロアルバム「Keisuke Kuwata」のアレンジを手掛け、桑田佳祐さんをはじめ業界内で高い評価を得ます。
1991年5月には、小泉今日子さんのミリオンセラーシングル「あなたに会えてよかった」の作曲と編曲を担当して、第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
それまでは大物アーティストとの仕事が多かったこともあり、この頃には「新人のバンドを手がけてみたい」とより自分のやりたいことを明確に打ち出したいと思うようになっていました。
そんなときにプロデュースの話がきたのがMr.Childrenでした。
そして、1992年5月のミニアルバム「EVERYTHING」のメジャーデビュー以降は、日本の音楽史に燦然と輝くキャリアを築いています。
小林武史さん自身がキーボードと、ほとんどの作詞・作曲・編曲を担当していたユニットMy Little Loverは、1995年5月リリースのシングル「Man & Woman/My Painting」でデビュー。
ボーカルのakkoさんの透明感のある歌声と、映画のようなドラマチックな曲の世界観で人気となり「Hello, Again ~昔からある場所~」「DESTINY」などのヒット曲を生み出します。
1996年に小林武史さんとakkoさんが結婚しましたが、2008年に離婚しています。
離婚しても2人の関係は良好で、現在はakkoさんのソロプロジェクトとなっているMY LITTLE LOVERへの、楽曲提供やプロデュースも行っています。
たくさんのヒット曲を生み出してきた小林武史さんの代表曲を1つ挙げるとしたら、MY LITTLE LOVERの1995年8月リリースの3rdシングル「Hello, Again ~昔からある場所~」です。
ドラマ「終らない夏」のテーマソングに起用されたこの曲は、MY LITTLE LOVER最大のヒットを記録。
20年以上経った現在でもカラオケの定番曲で、JUJUさん、花澤香菜さん、WEAVERなど多くのアーティストにカバーされています。
山形県出身の小林武史さんは、2003年に坂本龍一さんと桜井和寿さんの3人で、自然と調和する持続可能な社会を作るために、環境保護や自然エネルギー促進の活動を行う団体や個人に融資する「ap bank」を設立。
2005年からは、気持ちの良い場所で心地よい音楽を聴いて、環境問題に関心を持ってもらうことがテーマの、野外音楽フェスティバルのap bank fesを毎年開催しています。
2017年と2019年には、宮城の石巻市街地と牡鹿半島の被災地を舞台とする、現代アート・音楽・食の祭典REBORN ART FESTIVALの実行委員長を務めています。
そして2019年11月からは、千葉県木更津市にこれまでの活動の集大成としての体験型ファームKURKKU FIELDSをオープン。
こちらは、30haという前例のない広大な規模の有機農業や酪農、レストラン、宿泊施設、太陽光発電、アート作品の展示など、効率の良さを追求するのではなく、ひとが生きる本質的な心地よさと喜びや、いのちの手触りを、クリエイティヴとイマジネーションで作っていくことをコンセプトとしています。
幼い頃に山形の自然のなかで過ごした経験が、KURKKU FIELDSへと繋がっています。
阿部義晴
2人目は、50歳の誕生日記念ライブのオープニングムービーで「山形史上最も高名な音楽家」と紹介された、ロックバンドユニコーンのキーボード・プロデューサーの阿部義晴さんです。
2014年からは「ABEDON(あべどん)」に改名しています。
- 生年月日 1966年7月30日生まれ
- 出身地 山形県山形市
父親は美術、母親は音楽の先生をしていたこともあり、高校2年生までは美術の先生になりたかったそうです。
当初はサポートメンバーだったユニコーンに、1988年5月から正式に加入。
奥田民生さん、EBIさん、手島いさむさん、川西幸一さんとバンドユニコーンとして、1987年10月の1stアルバム「BOOM」でデビュー。
THE BLUE HEARTSやJUN SKY WALKER(S)と、1980年代後半に起こった第二次バンドブームの中心的バンドとして活動していました。
当初はビート・パンクバンドとして、髪を逆立てて、爆音と絶叫ボーカルと派手なパフォーマンスを繰り広げていました。
ご興味のある方は、YouTubeで「Maybe Blue」「SUGAR BOY」「I’M A LOSER」を検索してみてください。
知らなかった方は、1989年4月リリースの1stシングル「大迷惑」で売れ始めて、その後のユニコーンとのあまりの違いに驚くはずです。
1989年6月リリースの3rdアルバム「服部」からは、今でも知っているような感じになっています。
この「服部」が、阿部義晴さんの出身地山形県と関わりがあるのですが、詳しくは後ほどに。
当時は、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどのお笑い第三世代が出始めた頃で、ウッチャンナンチャン、ダウンタウン、清水ミチコさん、野沢直子さんが出演していた、深夜のバラエティ番組「夢で逢えたら」にも、ユニコーンは度々主演。
オープニングソングを担当し、ビデオクリップにも登場していました。
そんなユニコーンは1993年に一旦解散しますが、2009年に再結成して現在も活動を続けています。
1993年以降、阿部義晴さんはソロ活動と並行して音楽プロデュースに力を入れていきます。
個人事務所と自主レーベル「abedon the company」を設立し、本格的に活動する準備を整えていました。
そして、2000年にインディーズで活動していた氣志團のプロデュースを担当。
氣志團が爆発的に売れたたことで、プロデューサーとしても一躍注目されました。
他にも、グループ魂、大貫亜美(PUFFY)、私立恵比寿中学などに、楽曲提供やプロデュースをしています。
阿部義晴さんの代表曲は、2009年2月のユニコーン復帰第1弾シングル「WAO!」です。
メンバーがそれぞれソロとして活動しており、バンド解散から15年以上経過してリリースする、ユニコーンとしての久々のシングルが、どんな曲になるのか大いに注目が集まっていたなか、満を辞してリリースさ
れたのが「WAO!」です。
作詞・作曲、メインボーカルを担当した阿部義晴さんのハイテンションが炸裂している、渾身の一曲です。
40歳オーバーのおじさん5人のユニコーンが、同じ衣装を着てふざけているMVは必見。
3rdアルバム「服部」での山形県との関わりですが、アルバムタイトルの「服部」とは、実在していた山形県の有力者の服部敬雄さんのことではないかと言われています。
服部敬雄さんは、山形県だけでなく近隣の県にまで知られていたほどの権力者です。
パンクバンドから活動をスタートしたユニコーンらしい皮肉が、アルバム「服部」には込められているようです。
峯田和伸
3人目は、青春パンクバンドGOING STEADYと、銀杏BOYZのギター・ボーカル峯田和伸さんです。
- 生年月日 1977年12月10日
- 出身地 山形県東村山郡山辺町出身
峯田和伸さんは、山形県内に8店舗を展開する、エルワンミネタ(峯田電器)の長男として誕生しました。
父親の季志さんは高校生の頃にバンドを組んでいたことがあり、家族でドライブするときにはいつも音楽をかけていました。
祖父の定助さんも、お酒を飲みながら古賀政男さんを弾き語りする人で、峯田和伸さんは小さい頃から常に音楽がある環境で育っていました。
母方の実家に行った際には「ナショナルのCMソング」や「北国の春」などを歌っていたそうで、季志さんは「堂々と人前で歌えるとは、度胸がある」と思ったとか。
山辺中学校から、進学校ながらレスリング部など運動部が強いことで有名な、山形商業高校に進学します。
高校では野球部に所属し、生徒会で会計も担当するなど優等生タイプだったそうで、バンドはこの頃に始めています。
千葉県千葉市にある東京情報大学に進学し、在学中の1999年6月に、GOING STEADYとしてシングル「YOU&I」でデビューします。
リリースから1ヶ月で10,000枚を超えるセールスを記録し、一躍注目を集めました。
その後は、2000年代初頭に中高生を中心にブームとなっていた青春パンクを牽引する存在にまでなっていきます。
ところが、これからといった矢先の2003年に突然解散を発表し、以降は銀杏BOYZとして活動をスタートします。
当初はソロプロジェクトとして、エレファントカシマシのトリビュート・アルバム「花男」に参加しましたが、元GOING STEADYの2人安孫子真哉さん(ベース)と村井守さん(ドラム)、そしてチン中村(ギター)を加えて4人体制で本格的に活動を始めます。
ライブを中心に行いながら、2005年1月に同時リリースした1stアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が、オリコン週間アルバムチャートで6位と7位にランクインするなど、順調なセールスを記録。
RISING SUN ROCK FESTIVAL、ARABAKI ROCK FEST.、RUSH BALLなど大型フェスにも多数出演、サンボマスターやガガガSPなど多くのバンドと共演もしています。
ライブバンドとしての評価を高めていた2013年に、峯田和伸さん以外のメンバーの3人が脱退し、再び当初のソロプロジェクトに戻り、現在でも精力的にライブをしています。
峯田和伸さんの代表曲は、「BABY BABY」です。
この曲は、GOING STEADYの2000年8月リリースの2ndシングル「星に願いを」のB面でしたが、ファンからの熱烈な支持により、銀杏BOYZの1stアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」に収録されました。
俳優の菅田将暉さんが「情熱大陸」出演時に演奏したり、プロ野球ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手が登場曲にするなど、多くの著名人にも支持されています。
好きで好きでたまらない君は最高だ!とストレートに叫んでいる、煌びやかな一曲です。
峯田和伸さんは俳優としても活動しており、2003年の映画「アイデン&ティティ」では主演を務め、「少年メリケンサック」「色即ぜねれいしょん」にも出演し、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」や、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」にも出演し、ドラマ「奇跡の人」「高嶺の花」では主演しています。
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まとめ
山形県出身のアーティストはいかがでしたか?
山形には、今回ご紹介していない方もまだまだたくさんいます。
その地域の気候や名物、特徴などから、出身アーティストを見てみるとなんとなく似ていますよね。
今後も各地にちなんだアーティストをご紹介していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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