K-POPブームの先駆け!KARA(カラ)の経歴やメンバーのプロフィール、オススメ曲は…?

K-POPブームの先駆け!KARA(カラ)の経歴やメンバーのプロフィール、オススメ曲は…?

日本に韓流ブームを巻き起こした代表的なK-POP女性アイドルグループ「KARA(カラ)」を覚えていますか?

可愛らしいルックスと、印象的な曲とダンスで新しいスタイルを披露し、日本中の注目を浴びました。そして、紅白歌合戦にも出場するなど、国民的人気となったグループです。

今回はKARAについて解説していきたいと思います。当時はKARAを知らなかった人にもぜひ見ていただきたいです!!

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KARAってどんなグループ?


KARAは、2007年3月に韓国でデビューしたガールズグループです。。グループ名の意味は、音調や拍子という意味を持つ「カラック」にギリシャ語で歓喜、甘いメロディーと言う意味を加えて「音楽を通じて喜びを与えたい」という意味が込められているそう。

デビュー当時のメンバーは、ギュリスンヨンソンヒニコル4人。当時、韓国では「Fin.K.L(ピンクル)」というアイドルグループがおり、Fin.K.Lの妹分という形でKARAをデビューさせました。

2007年3月、韓国の音楽番組で「Break It」を初披露しデビュー。積極的に活動を行なっていましたが、音楽番組で1位を獲得することも、デビュー年の新人賞にも選ばれることはありませんでした。

その後、音楽番組を主に活動の場としてきたKARAは、バラエティ番組にも挑戦するなど活動の幅を広げます。そしてデビューから2年後の2009年に、念願の音楽番組1位を獲得することができました。

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当時は「少女時代」や「T-ara(ティアラ)」など、ビッグアイドルがランキングでせめぎ合っており、まさにアイドル戦国時代だったのです。

KARAの名前が世間に知れ渡ったのは、2009年7月に発売した2ndフルアルバム「Revolution」のタイトル曲「Mr.」がきっかけでした。メンバーのニコルが考えたという「ヒップダンス」が大流行。この曲はチャートで1位を獲得することはできませんでしたが、印象強い振り付けが評判となりました。

「Mr.」の大ヒットを受けて、翌年の2010年は、まさにKARAの年と言ってもいいくらいの評価を受けています。2010年2月に発売された3rdミニアルバム「LUPIN」で音楽活動を行なったKARAは、様々な音楽番組で1位を総なめにしました。

日本での活動がスタートしたのもこの時期。2010年2月、赤坂BLITZにて初の単独ショーケースが行われました。デビュー前にもかかわらず応募が殺到し、当初1回公演の予定でしたが急遽1日2回公演をすることになったほど。KARAの人気はK-POPファンの間では既に高かったこともあり、待ちに待った公演となりました。

2010年5月、ついに「ミスター」で日本デビューを果たしたKARAは、渋谷109前でサプライズライブを開催。公式発表はしていませんでしたが、当日は3,000人ものファンや通行人が押し寄せ会場前はパニックとなってしまったため、イベントも3分で中止になるなど、KARAの人気の凄さを見せつけました。

デビュー曲「ミスター」はオリコンランキング初登場5位にランクインし、当時のアジアの女性グループとしては初の快挙となりました。さらに日本での人気は絶頂を極め、CM出演やドラマ出演など音楽以外の仕事も増えていったのです。

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韓国での人気も衰えを見せず、当時世界中で大ヒットしたPSYの「江南スタイル」を抜くほどの勢いを見せていました。

日本ではK-POPガールズグループ初の東京ドーム公演を行うほど大人気グループとなったKARAでしたが、メンバーの脱退と加入が続くことになり、思ったような活動ができなくなってしまうほどに…。

繰り返されたメンバーの脱退と加入

KARAは、デビュー当時から数回に渡りメンバーの入れ替わりが行われています。最初にメンバーの脱退があったのは2008年のこと。デビューから1年も経たないうちにソンヒが脱退してしまったのです。

ソンヒは、元々両親が芸能活動に反対していたことと、学業を優先するためという理由での脱退でした。ソンヒの脱退を受け事務所側は公開オーディションを開催し、2008年4月に5人グループの新しいKARAをお見せすると発表。そして、約6,000人の中からハラとジヨンが選ばれ、新生KARAが誕生しました。

5人体制となったKARAが1番馴染みがあるかもしれません。この時期に発売した「Mr.」が大ヒットし、世界中でKARAブームが巻き起こりました。日本で活動していたのもこの時期です。

次に脱退したのはニコルでした。2014年1月、自身のソロ活動に力を入れるという理由でKARAを脱退。この脱退には、事務所の待遇が悪かったのではないかという噂も起きるなど話題になりました。

確かにKARAとして忙しい日々を送っていたメンバーでしたが、ニコルだけ個人の活動がほとんどなかったのも事実…。それで、ソロ活動を行おうと考えたのでは?という考察がされたのです。しかし、実際はどのようなやり取りが行われたのかは現在も公式発表されていません。

ニコルの脱退に合わせるように2014年4月、ジヨンもイギリスへの留学をすることを理由にKARAを脱退しました。ジヨンは事務所との契約満了での脱退となりましたが、留学後は女優として日本でも活動しています。

一度に2人のメンバーが脱退したKARAは「KARA PROJECT」と題した番組を作成し、新たなKARAメンバーを募集すべくオーディションを開催しました。番組では厳しいトレーニングを経てきた7人の練習生から4人が選抜され、番組の生放送でヨンジが新メンバーに選ばれています。

4人体制となったKARAですが、2016年にはギュリ、スンヨン、ハラが事務所との契約を更新しないことを公式発表し、他の事務所との契約に進みました。これにより残されたKARAのメンバーは最後に加入したヨンジのみとなり、KARAは事実上の解散状態になってしまったのです。

ハラとの別れ

2019年11月24日、ハラが自宅で死亡した状態で発見されるというニュースが韓国のみならず日本でも速報で届けられました。

ハラはKARA脱退後、元恋人への暴力報道でメディアの注目の的になっていましたが、実際はハラがリベンジポルノを受けていたことが発覚。元恋人は在宅起訴を受ける結果となりました。

この報道を勘違いした人が、ハラへのバッシングを行ったのです。そのことが直接の原因かは確かではありませんが2019年6月、ハラは自宅で自殺未遂をしてしまいました。このときはマネージャーの発見が早く、一命を取り止めることができましたが、人気歌手の自殺未遂は、当時の一般ニュースでも大きく報道されています。

ハラは騒動後、しばらく韓国で療養生活を送っていましたが、日本の事務所と契約し、日本で音楽番組出演やソロコンサートを行ないました。そこでハラは「失望させないように、日本で成長する姿をお見せしたいです」と日本のファンに伝えています。

しかし、その後すぐに韓国の自宅でハラが心肺停止状態で発見。そのまま帰らぬ人となってしまいました。これから日本での活動が本格的に始まっていくと思っていた矢先の訃報だったため、ファン以外からも信じられないといった声がSNSに相次いで投稿されました。

その後、遺族の意向によりハラとのお別れの場が設けられ、多くのファンが駆けつけています。そこにはメンバーの姿もあり、ハラとの悲しい再会をしました。こんな形で再びKARAが集まることになるとは、誰が予想したでしょうか。

ハラの遺書には「自分を愛せなくて、ごめんなさい」という趣旨の文章が残されていたということです。2018年には、ハラの親友だった元f(x)のソルリも誹謗中傷を苦に自ら命を絶っており、匿名による誹謗中傷が韓国で問題になっていた矢先のことでした。

KARAの現在とこれから

メンバーが1人なってしまったKARAですが、ヨンジは現在でもDSP所属アーティストとして引き続き活動しています。「事実上の解散」だと報じられたこともありましたが、ギュリはインタビューで「事務所が違うためにバラバラになってしまったが、よい機会があればアルバムを出して活動しようと思っている」と語っていました。

また、スンヨンも「KARAはなくならない」と発言しています。今はヨンジがKARAとしての場所を守ってくれているのではと感じました。また時期が来たらKARAとして活動してくれることを願っています。

 

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