「レッチリ」の愛称で日本でも親しまれているアメリカの4人組ロックバンド「Red Hot Chili Peppers」
“ミクスチャー・ロック”と呼ばれる、ファンク、ラップ、パンクなど様々な音楽ジャンルを貪欲に取り入れるスタイルの先駆者的バンドのひとつであり、後続のバンドに多大なる影響を与えてきました。
全世界で8,000万枚以上を売り上げを誇る彼らは、もっとも権威のある音楽賞として知られるグラミー賞を6度受賞、2012年にはロックの殿堂入りを果たしています。
しかし、数々の栄光を手にしたその歴史は、決して順風満帆なものではありませんでした。
世界最強ロックバンドとの呼び声も高い彼らの歴史と魅力をご紹介していきます。
目次
メンバー
1983年の結成以来、幾度もメンバーチェンジを繰り返したRed Hot Chili Peppers。
現在のメンバーは下記の通りとなっています。
- アンソニー・キーディス:ヴォーカル
- フリー:ベース
- ジョン・フルシアンテ:ギター
- チャド・スミス:ドラム
ギターとドラムは何度か交代しており、これまでリリースされたすべての作品に参加しているのは、ヴォーカリストのアンソニー・キーディスとベーシストのフリーだけとなっています。
バンド全体のアンサンブルが秀でているのはもちろんですが、プレイヤー個人の力量も非常にすぐれていることでも知られています。
フリーは史上最高のロックベーシストと評されることも多く、ロックベーシストを語る際には真っ先に名前が挙げられるひとりだと言えるでしょう。
また、ジョン・フルシアンテは、ジョン・メイヤー、デレク・トラックスと並び「現在の三大ギタリスト」に挙げられるほどの技量と創造性を持ち合わせています。
現在までに2度の脱退歴がありますが、2019年末に再々加入が発表され、世界中のファンを感涙させたのは記憶に新しいところです。
バンドの声であるアンソニー・キーディスのラップの要素を取り入れたリズミカルな歌い回しや哀愁を帯びたメロウなヴォーカルは、「これぞレッチリ節!」と万歳三唱したくなるような抗いがたい魅力を持っています。
バンドサウンドの土台を支えるチャド・スミスの力強くしなやかなドラミングは、まさにバンドのエンジンと呼んでも過言ではないでしょう。
経歴
1983年、Red Hot Chili Peppersの前身となるバンドが、ロサンゼルスのフェアファックス高校で結成されました。
オリジナルメンバーは下記の4人です。
- アンソニー・キーディス:ヴォーカル
- フリー:ベース
- ヒレル・スロヴァク:ギター
- ジャック・アイアンズ:ドラム
Tony Flow & the Miraculously Majestic Masters of Mayhemという名義で、1回きりのライヴ演奏を意図して結成されたバンドでした。
しかし、思いのほか評判が良く、翌週の出演も依頼されたため、バンド名をRed Hot Chili Peppersへ変更して継続的な活動を開始します。
当時、ヒレル・スロヴァクとジャック・アイアンズはWhat Is This?というバンドに本腰を入れており、Red Hot Chili Peppersはあくまでもサイドプロジェクトという認識だったようです。
そのため、初期2作品ではオリジナルメンバー以外のミュージシャンがレコーディングに参加しています。
1983年秋、レコード契約を獲得したRed Hot Chili Peppersは、プロミュージシャンとしての道を歩み始めます。
1984年にデビューアルバム『The Red Hot Chili Peppers』、翌年にはセカンドアルバム『Freaky Styley』をリリースしますが、全米200位圏内にチャートインすることすらできず、商業的には失敗という結果に。
しかし、セカンドアルバムではファンクやパンクを融合したロックサウンドという試みが実を結び始め、音楽専門誌などではデビューアルバムよりも高い評価を受けました。
また、のちにバンドの先行きに大きな影を落とすことになる薬物使用が始まったのもこの時期になります。
1987年、オリジナルメンバー全員が揃って制作した初のアルバム『The Uplift Mofo Party Plan』をリリース。
薬物中毒に陥ったアンソニー・キーディスが一時的にバンドから解雇されるなど、制作プロセスはスムーズではありませんでしたが、作品の内容は音楽ファンから高く評価され、初めてアルバムを全米チャートに送り込むことに成功します。
しかし、ロックスターへの扉に手をかけた彼らを悲劇が待ち受けていました。
1988年6月25日、ギタリストのヒレル・スロヴァクが薬物の過剰摂取で死亡してしまいます。26歳の若さでした。
バンドメイトであり、長年の親友だったヒレルの死はメンバー達に深い哀しみをもたらし、特に精神的ショックの大きかったドラマーのジャック・アイアンズは、「友達が死んだバンドにはいられない」とバンドを脱退。
残されたアンソニーとフリーは解散も検討しますが、最終的にはバンドを継続するという結論に至りました。
後任ギタリストとして加入したのは、バンドの熱烈なファンだったジョン・フルシアンテ。
ヒレルを敬愛してやまない18歳の少年でした。
同じく空席だったドラマーの座を射止めたのは、アンソニーとフリーよりも1歳年長のハードロック野郎チャド・スミスです。
いかにもハードロックな風貌にアンソニーとフリーは良い印象を持たなかったようですが、その圧倒的な力量でバンド加入を勝ち取りました。
1989年、悲劇を乗り越えて発表された『Mother’s Milk』は前作を遥かに超える売り上げを叩き出し、全米チャート52位を記録するヒット作となりました。
ヒレルについて歌った”Knock Me Down”やスティーヴィー・ワンダーのカバー曲”Higher Ground”などのヒットも生まれ、バンドに初めてのゴールドディスクをもたらします。
その勢いは留まるところを知らず、1991年には超大物プロデューサーであるリック・ルービンを迎え、バンドにとって大出世作となる傑作『Blood Sugar Sex Magik』を発表。
翌年のグラミー賞を勝ち取ることになる”Give It Away”や名バラード “Under the Bridge”など大ヒット曲を収録した同作は、現在までに1,200万枚以上の売り上げを記録しています。
アルバムの大ヒットによりバンドの生活は一変。
誰もが羨むようなロックスターの座を手に入れることになりました。
しかし、若いフルシアンテはその変化に順応することができず、いきなり大物バンドの一員になってしまった状況に苦悩します。
そして、現実から逃避するかのように薬物に手を染め、バンド関係者とも話を一切しなくなっていったそうです。
1992年5月、フルシアンテの精神はついに限界を超えてしまいます。
日本ツアーの真っただ中に、突然バンドを脱退、そのままアメリカへ帰国してしまったのです。
ギタリストを失ったバンドは、数人のギタリストを代役として起用した後、元Jane’s Addictionの看板ギタリスト デイヴ・ナヴァロを正式メンバーとして迎え入れます。
1995年にナヴァロを迎えた初のアルバム『One Hot Minute』をリリースしますが、バンドとナヴァロの間に創作上のマジックは生まれず、前作よりも暗い作風は賛否両論を呼びました。
失敗作として語られることの多い同作ですが、現在までに800万を売り上げており、商業的には成功を収めたと言っていいでしょう。
バンド内の雰囲気も険悪となり、フリーがインタビューで解散について言及するなど、解散説まで飛び交うような状況となりました。
1997年には初の開催となったFuji Rock Festivalで来日し、今や伝説となった台風の中のパフォーマンスを披露しますが、舞台裏ではメンバー同士は目も合わせない状況だったそうです。
しかし結局、1998年にバンドはナヴァロの脱退を発表。
大物ギタリストとのコラボレーションはアルバム1枚で幕を閉じることになりました。
再びギタリスト不在となったバンドが声を掛けたのは、1991年に職場放棄のように脱退していったジョン・フルシアンテでした。
重度の薬物中毒で廃人寸前となっていたフルシアンテでしたが、フリーの助けを借りて薬物中毒専門のリハビリ施設に入所します。
28歳の若さにして歯はほとんど抜け落ち、注射針を繰り返し刺し続けた両腕の皮膚は焼けただれ、常に長袖の洋服を着ないと人前に出られないような状況でしたが、治療を終えたフルシアンテはバンドに復帰を果たしました。
フリーから復帰を打診されたフルシアンテは、「これ以上幸せなことはない」と涙を流したと言います。
1999年6月にリリースされた『Californication』は起死回生の大ヒットを記録。
バンドの代名詞であるファンク要素が影を潜めたメロウでメロディアスな“泣けるレッチリ”と表現できるような作風は幅広い層から支持され、”Scar Tissue”、”Otherside”、 “Californication”などの大ヒット曲が誕生しています。
同作は現在までに全世界で1,600万枚以上のセールスを記録しており、1990年代のロックの名盤として必ず名前が挙がる作品のひとつです。
復帰後のフルシアンテの演奏は神懸かり的なものがあり、まさに創造的ピークを迎えていたと言えます。
前作の路線を推し進めた2002年作『By the Way』も全世界で800万枚以上という大ヒットを記録。
同作からは “By the Way”や”Can’t Stop”などの代表曲が誕生し、ライヴの定番曲として現在も演奏されています。
『Californication』以降のメロウな路線が頂点に達したのが、2006年リリースの『Stadium Arcadium』でした。
CD2枚組28曲収録という大作でしたが、前2作からの勢いはまったく衰えず、初となる全米アルバムチャート1位を獲得する大ヒットとなりました。
1枚組のCDと比較して売値が高額になるにも拘わらず、同作は全世界で700万組以上のセールスを記録しています。
同作からのヒットシングルである”Dani California”と”Snow (Hey Oh)”は、映画版『デスノート』の主題歌として使用されたことから、日本でも非常に知名度の高い楽曲です。
復帰後3作の合計セールスが3,000万枚以上と、1991年に起こした職場放棄を補って余りある結果を残したフルシアンテでしたが、2009年に再度バンドを脱退してしまいます。
今回は友好的な脱退であり、自身のソロキャリアを追求したいというのがその理由でした。
後任メンバーとして加入したのは、ツアーのサポートメンバーとして演奏していたジョシュ・クリングホッファーです。
2011年、フルシアンテ脱退後初のアルバム『I’m with You』をリリース。
アメリカでは2位に終わりますが、多くの国で初登場1位を記録する成功作となりました。
2016年にリリースされた『The Getaway』は前作に引き続きアメリカで初登場2位、他の多くの国々で初登場1位という結果になりました。
『The Getaway』は前作に比べるとおおむね高い評価を得ており、特に”Dark Necessities”は名曲としてファンから愛されています。
2018年9月には、早くも次回作に取り組んでいることが公表され、ジョシュ加入後3作目となる作品の完成が待たれていました。
しかし、2019年12月15日に発表されたバンドからの声明が世界中に衝撃を与えることになります。
ジョシュがバンドを脱退し、その後任としてジョン・フルシアンテが復帰するというのです。
2020年5月にはフルシアンテの再々復活の場となるライヴも決定しており、そこで新曲がお披露目になる可能性もゼロではありません。
波乱万丈すぎるRed Hot Chili Peppersの歴史はこれからどうなっていくのでしょうか。
代表曲
とにかく名曲が多く、フルシアンテ期に至っては「すべてがベスト盤」と言いたくなってしまうほど充実したアルバムを数多く出している彼らなので、代表曲を選ぶのは本当に難しいです。
まずは3曲だけご紹介させていただきます。
ここを入り口にして、Red Hot Chili Peppersの世界に足を踏み入れていただけたら嬉しいです。
Suck My Kiss
同作には“Give It Away”という大ヒット曲もありますが、この“Suck My Kiss”にも彼らのファンキーでエネルギッシュな魅力がこれでもかと詰まっています。
フリーのベースを聴いているだけでも燃えます。
Under The Bridge
彼らのメロウな側面を端的に表現する珠玉の名バラードです。
深い孤独とロサンゼルスへの愛、そしてアンソニーが自殺を試みた時のことが歌われています。
バンドを代表する楽曲ですが、ライヴでは毎回演奏されるとは限らず、同じく名バラードとして知られる“Soul to Squeeze”が演奏されることもしばしばです。
Can’t Stop
ライヴのオープニングを飾ることも多い大定番曲です。
“Can’t Stop”が演奏されない日は、『Californication』収録の“Around The World”で始まることがほとんどです。
興奮を煽るようなイントロが終わり、フルシアンテのカッティングリフが始まった瞬間の感動といったら筆舌に尽くしがたいものがあります。
絶対にライヴで体験していただきたい1曲です。
まとめ
1983年の結成以降、メンバーの死、不仲、薬物問題、メンバーの脱退・再加入など様々な困難を乗り越えてきたRed Hot Chili Peppersの歴史をご紹介してきました。
これだけのことがありながら、一度も解散することなく歴史を積み重ね、今でもロック界のトップを走り続けている稀有なバンドです。
今でこそラップやファンクの要素を導入しているバンドは珍しくありませんが、Red Hot Chili Peppersがいなかったら音楽シーンはまるで違ったものになっていたかもしれません。
「聴いてみたいけど、どのアルバムから聴いたらいいのかわからない」という方には、まずは『Californication』をオススメします。
ファンキーな路線が好きな方はそこから過去に遡っていただいて、メロウな路線が好きな方は次作の『By The Way』に進めばいいと思います。
音源が素晴らしいのはもちろんですが、ライヴのかっこよさもトップクラスですので、ライヴ映像も是非チェックしてみてください。
2003年のアイルランド公演の模様を収録したDVD『Live at Slane Castle』が特にオススメです。