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第二章が始動するまでの裏側
第二章が始動するまでの期間には、Crystal Kayのなかでさまざまな葛藤がありました。
2013年にニューヨークに活動拠点を移してアーティストとしての感性を磨いたCrystal Kayですが、海外での生活は簡単なものではなかったのです。
ニューヨークでの暮らしが、彼女にとって初めての一人暮らしでした。
新天地で一人暮らしをする不安だけでなく、文化などの違いや、人として、アーティストとしての弱い部分を感じたのです。
数いるアーティストの中でどこが他のアーティストと違って特別なのかを考え、悩み苦しみました。
日本では活躍していた彼女も海外では無名シンガーで、契約やデビューの夢は惜しくも叶わなかったのです。
アラサー女性の悩みから新たな視点が生まれた
30歳を目前にしたとき、「キャリアはどうしよう」「このままで大丈夫かな」と思い悩み、壁にぶつかったCrystal Kay。
相談した友人も同じような悩みを抱えていたという事実に救われ、同じ想いを抱えた人の背中を押したいと考えるようになりました。
「自分のために」ではなく「誰かのために」歌う視点が生まれ、歌に込める気持ちが変化していきます。
歌うことがより楽しく思え、楽曲にも前向きになれる歌詞が増えるきっかけになったのです。
転機はニューヨークでのライブ
アラサー女性の多くが抱える悩みに対峙したCrystal Kayの転機となったのは、ニューヨークでのライブでした。
彼女がニューヨークへ渡米したのは27歳のとき。
彼女もちょうどこの時期、「このままで大丈夫かな」という不安を抱えながらボイストレーニングやダンスレッスンに励みました。
しかしレコード契約には至らなかった彼女は「日本に帰る前に何か形に残したい」と思い立って、ライブを企画したのです。
ギタリストやチケットの手配もすべて自分で一から企画したアコースティックライブ。
見事ソールドアウトとなり、急遽もう1日開催したライブもソールドアウト。
ライブの成功経験が彼女の自信につながり、彼女の不安を払拭する転機となりました。