1956年〜1958年代生まれにどハマりする、読んだ後カラオケ不可避当時を思い出してしまうこと必至な、懐かしの1971年に流行ったあの名曲達をまとめてみました!
当時絶大な人気を誇っていた「ザ・タイガース」が解散した1971年。
人気のモノ3つとして親しまれた「巨人・大鵬・卵焼き」
この中の相撲界での人気のあった大鵬は初場所千秋楽で最後の優勝を飾っています。
仮面ライダーシリーズの放映開始や、ファッション雑誌「non-no」の創刊など多くの新しいものが生まれました。
マクドナルド1号店オープン、日清カップヌードルが発売といった今の時代を築き上げました。
今回はそんな1971年に流行った曲たちを紹介します。
1956年〜1958年代に産まれた人には懐かしい曲ばかりです。あの頃を思い出してみませんか?
聞いたことのない曲だね!何を聞いているの?
最近昭和の曲に僕ハマっているんだ。
最新の曲だってたくさんいいのあるじゃないか!
この時代にはこの時代の良さがあるんだよ。
そう言われると聞きたくなってきたよ…
僕がハマっている1971年の名曲を特別に教えてあげるよ。
目次
また逢う日まで-尾崎紀世彦
昭和歌謡のヒットメーカー阿久悠の作詞で有名な一曲ですね。
CMソングに採用されそうになったり、アンパンマンの原作者やなせたかしが関わったこともありながら、発売されるまで紆余曲折あったのはマニアの間では有名な話ですね。
オリコンシングルチャートで1位を獲得し、日本レコード大賞と日本歌謡大賞のダブル受賞したほどの人気を誇る。
100万枚のセールスを突破し、尾崎の代表作としてもこの曲が挙げられることが多い。
なお、尾崎は晩年までフェイクを入れた歌唱法をしていたため、コンサートやライブでは音源の通り聴くことは難しかったという逸話もある。
ナオミの夢-ヘドバとダビデ
もともとはイスラエルの音楽だったんだよね。向こうの国ではコーヒーのCMに使われていたようですよ。
ヘブライ語版は意味が分からなくてもインパクト大で、何となく耳コピして歌っていた青春時代を過ごした人も多いみたいです。
1970年にヘブライ語版で発売されたこの曲。のちにヘドバとダビデが第1回東京国際歌謡音楽祭でグランプリを受賞したことで、日本でも知られることになり、ヒットへつながった。
オリコンでは4週連続1位を獲得し、これは洋楽としては5番目の快挙で、洋楽が日本に広まったきっかけにもなった曲でもある。
よこはま・たそがれ-五木ひろし
昭和歌謡の代表作と言っても過言ではない名曲ですね。
特にAメロ(サビに入る前の部分)は単語が並んでいるので、人によっていろいろな考え方や思い入れのできるのがこの曲の魅力ですね。
「松山まさる」と言う名前でデビューするも鳴かず飛ばずだった状態から「五木ひろし」と芸名を変えて再デビューとして発売されたこの曲。
2017年まではオリコン1位を獲得したのはこの一曲のみ。そういった面でも五木ひろしの代表作ともいえる。
この曲のヒット後、既にあった他のアーティスト曲と似ていたことから盗作疑惑も出たが、和解している。
それだけこの曲の影響力や知名度が高かったといえる。
さらば恋人-堺正章
「ミスターかくし芸」ともいわれていて、今もテレビで活躍していますね。
もともとはアイドル的存在だった「ザ・スパイダース」ってグループに所属してたり、今も昔もすごい人には違いありませんね。
ソロデビュー曲として発売された一曲。オリコン年間チャートには10位にランクイン。
売り上げ、人気ともに高く、第2回紅白歌合戦にこの曲で出場している。
有名歌手20組以上にカバーされるなど、音楽業界からも高く評価されている。
17才-南沙織
女性アイドルだった南沙織はかわいらしくも大人びた雰囲気が男性に人気があったようです。
デビューまでは3ヵ月と何もかも異例だったのが「伝説のアイドル」とも言われている所以ですね。
南沙織のデビュー曲として発売された一曲。同世代のファンがいたアイドルのパイオニアとも言われている。
今の女性アイドルの形を作った人物である。この年の歌謡系新人賞を多く受賞するしたこともあり、デビューして間もないながら人気はとても高かった。
「17才」がタイトルや歌詞に入れられた曲がこれ以降多く出たこともあり、アイドル歌謡に影響を与えている。
わたしの城下町-小柳ルミ子
宝塚音楽学校出身なだけあって、歌唱力、表現力は抜群ですね。情緒的な曲調に伸びのある歌声が魅力的です。
当時は「天地真理」、「南沙織」そして「小柳ルミ子」の3人がアイドルとして1番活躍していた時代でしたね。
デビューシングルにして、オリコンシングル年間1位の大ヒット曲。この曲なしでは1971年は語れないと言われるほど。
12週連続1位にランクインし、女性のソロ歌手としては異例の記録として残っている。
人気は非常に高く、翌年の1972年のオリコンにも45位にランクインしたこともあり、長く愛されている曲でもある。
傷だらけの人生-鶴田浩二
昭和の映画スターだった鶴田浩二。端正な顔立ちから女性人気が強かったようです。
マイクにハンカチをかけて耳に手を当てて歌うスタイルは彼ならではで、カラオケでマネする人も多かったようですよ。
100万枚近く売り上げ、オリコンにも10位にランクインする。同じ1971年にはこの曲を題材に映画が2本製作された。
人気はあったものの、曲のテーマが任侠だったため当時のNHKからはあまりよく思われず、紅白出場はしなかったレアなケースでもある。
冒頭の部分で哀愁漂う語りパートがあるのもこの曲の魅力である。
この年は今のJ-POPの基礎になった曲も多くあったんだよ。
まさに激動の1971年だね!
そうだろ? さあ、今日は一晩中聴くぞ!
先に寝かせてもらうわ!