この本泣けるなぁ。良い内容だ
お!何読んでるの?
これ家のクローゼットにあった「マディソン郡の橋」を読んでるんだ
どこの橋なんだろう…。
君もたまには読書をしないとダメだよ。
そんなことより1993年の音楽も聞いてみよう!
1993年と言えばインターネットという言葉が流行り、スポーツでは日本サッカー界の最大の出来事Jリーグ開幕した年です。
文化面では現在はサービスが終了してしまったポケベルが、女子高生のコミュニケーションツールとしてヒット。
書籍ではマジソン群の橋や五木寛之氏の生きるヒントが沢山の人に読まれ、Windows3.1が新商品として注目された1993年のヒット曲を紹介します。
目次
YAH YAH YAH CHAGE&ASKA
CHAGE&ASKAの31枚目のシングルで人気を決定づけたシングルと言っても過言では無い1曲。
当時、ASKAがロンドンで生活しており拠点としていた。そのためロンドンレコーディングした楽曲で、フジテレビの医療ドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌。
売上枚数は240万枚、ゴールドディスク大賞を受賞しておりCHAGE&ASKAの中でも人気の高い楽曲で、現在でもカラオケで歌唱している人もいるほどの名曲となっている。
当時は8㎝CDでの発売で、3曲入りだったがYAH YAH YAHの他、夢の番人、君は何も知らないままが収録されている。どの曲も完成度が高くミニアルバムのような贅沢感があった
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない B’z
B’zが所属している音楽出版ビーイングのアーティストがヒットチャートを席巻していた最中にリリースされた楽曲で12枚目の作品。
日本テレビ40周年記念で制作された西遊記の主題歌に起用されて大ヒットした。当初は愛のままにわがままにというタイトルでリリースしようとした。
しかしインパクトが欲しいとドラマ制作側から言われたため、探しているうちにこのタイトルになった。
オリコン初登場1位、累積売上は202万枚。良い楽曲でありながらライブで演奏されることは滅多にない楽曲であり、CDジャケットのボーカルの稲葉浩志の髪型が短くなりすぎているのが印象的。
ロード THE虎舞竜
有線放送から火がついてロングヒットの運びとなり、色々なメディアに出演しブレイクする事となった曲だね
ファンから高橋ジョージの元に届いた手紙を基に制作された楽曲。曲が完成しリリースしてくれるレコード会社がないかと奔走した。
しかし、楽曲の内容が重かったことと売れそうな匂いがしなかったため、回ったレコード会社からは発売を断られた。
当初はこっぱみじんROCK’N’ROLLのカップリングに収録されており、その翌年テレビ局の新人オーディションでロードを歌い、ディレクターの目に止まる。
また、通常この曲の原盤権は音楽出版が持つことになるが、すべての権利を高橋ジョージ自身が持っており、今でも年間数千万円の印税を得ている。
188万枚のヒットを記録しているが、紅白出場はしていない。
エロティカセブン サザンオールスターズ
サザンオールスターズ32枚目のシングル、フジテレビのドラマ『悪魔のKISS』の主題歌。
イントロからホーンセクションが入っており、随所に音の遊びが入っている。
ドラマの内容に合っており、歌の内容も男女間のまぐあいを上手く表現している曲である。
カップリングには、『9月の風』というインストゥルメンタル曲が収録されており、シングルのみに収録されている。
売上枚数は171万枚の売上を記録し、1993年が最初のリリース、その後2度再発売されている。
裸足の女神 B’z
多忙な中でリリースされたトヨタ自動車のカローララビンのCMソング、テレビCMよりもラジオでこのCMを良く聞いた記憶がある。
イントロから、ギター松本孝弘のハーモニクスを使ったテクニックが披露され、その後ボーカルの稲葉浩志のOh Yeahという歌声から始まる。
歌詞の内容は失恋した女性を裸足の女神と例えて、痛みを知った眼差しは萎れることは無いと歌い、傷を隠すなそして次の喜びを探そうと勇気づける内容となっている。
1993年6月2日発売、このシングルはオリジナルアルバムに収録されることはなく、ベストアルバムで初めて収録された楽曲である。
売上枚数は173万枚。
B’zはこの年シングルを2枚リリースするほどの勢いがあり、リリースしながらツアーもこなしている。
負けないで ZARD
現在でも24時間テレビのマラソン企画のエンディングで必ず歌われる名曲となっている。
1993年1月27日リリース、ZARDにとっては6枚目のシングルとなる、フジテレビの『僕たちのドラマシリーズ白鳥麗子でございます』エンディングテーマソング。
ZARDはこの曲でミュージックステーションに出演しそれが最後となった。
その後所属していた事務所を移籍したこともありテレビ出演が極端に減少した。
作曲を担当した織田哲郎氏が、元々自分で歌うために作っていたが依頼が来たので手元にあったこの曲を渡したという。
そしてボーカルの坂井泉水の歌詞がメロディーとバッチリはまり、大ヒットに繋がったと言われる。
1994年の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれ、売上枚数は164万枚。
時の扉 WANDS
ボーカルの上杉昇はWANDS時代を『アイドル時代』とインタビューで語っているよ。
1993年2月26日発売、この年の前年1992年中山美穂とユニットを組んで『世界中の誰よりきっと』をリリースした翌年の作品である。
WANDSにとっては4枚目のシングル、ビーイングらしいシンセサイザーをフィルインに使用したデジタルロックに仕上がっている。
『世界中の誰よりきっと』のヒットもあったため、WANDSに対する世間の期待が高まっていた中でのこの作品だが、期待通りの作品となった。
売上枚数は144万枚のセールスを記録し、WANDSの存在感を強めた作品と言える。