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NBAの黄金期とスター選手たち
1980年代から1990年代はNBAの黄金期と呼ばれ、スコッティ・ピッペン(元:シカゴ・ブルズ)やパトリック・ユーイング(元:ニューヨーク・ニックス)など、数多くのスター選手が誕生しました。
1992年に開催されたバルセロナ五輪アメリカ代表チームは、そのメンバーの豪華さから「ドリームチーム」と称され話題となったのです。
ここからは、NBA黄金期を支えた3名のレジェンドを紹介します。
マイケル・ジョーダン
マイケル・ジョーダンは、NBA史上最も偉大な選手の一人として高い人気を誇っています。
シカゴ・ブルズでは、6回のNBAチャンピオンに輝き、5度のシーズンMVP、6度のファイナルMVPを受賞。
さらに、得点王に10回、スティール王に3回輝くなど、攻守に渡り圧倒的な支配力を見せつけました。
「エア・ジョーダン」の異名で知られる驚異的な跳躍力、勝負強さ、そして高いリーダーシップでシカゴ・ブルズに黄金期をもたらしたのです。
また、その人気ぶりは、プレーだけに留まりませんでした。
ジョーダンの名を冠したバスケットボールシューズである「エア・ジョータン」シリーズは世界的に人気を博しました。
マイケル・ジョーダンの影響力は、バスケットボール界だけでなく、スポーツ界全体、そして文化にも及んでいます。
マジック・ジョンソン
マジック・ジョンソンは、史上最高のポイントガードと称されているレジェンドです。
今ではよく目にするようになった、ノールックパスの生みの親として知られており、得点シーンが注目されがちだったバスケットボールの概念を覆したのです。
5度のNBAチャンピオン、シーズンMVP、NBAファイナルMVPをそれぞれ3度受賞するなど、素晴らしい実績を残しています。
また、レギュラーシーズンの通算成績は、670勝236敗、勝率73.95%とNBA歴代1位の成績を叩き出したのです。
シャキール・オニール
“シャック”ことシャキール・オニールは歴代最高のセンターとして人気のプレイヤーです。
身長216cm、体重147kg(現役時代)という規格外の体格を活かしたパワフルなプレーでゲームを支配しました。
NBAチャンピオンに4度輝き、ファイナルMVPを3度受賞するなど、輝かしい実績を残しています。
このような実績が評価され、オーランド・マジック、ロサンゼルス・レイカーズ、マイアミ・ヒートの3球団でシャキール・オニールが背負った背番号が永久欠番となっています。
スーパースターの年俸
NBAで活躍しているスーパースターたちは、いったいどれほどの年俸をもらっているのでしょうか。
ここからは、NBAの年俸ランキング上位5選手を紹介します。
順位 | 選手名 | ポジション | チーム名 | 年俸
($1=150円で計算) |
1 | ステファン・カリー | PG | ゴールデンステイト・ウォリアーズ | $55,761,216
(約83億6,400万円) |
2 | ジョエル・エンビード | C | フィラデルフィア・セブンティシクサーズ | $51,415,938
(約77億1,200万円) |
2 | ニコラ・ヨキッチ | C | デンバー・ナゲッツ | $51,415,938
(約77億1,200万円) |
4 | ケビン・デュラント | SF/PF | フェニックス・サンズ | $51,179,021
(約76億7,700万円) |
5 | ブラッドリー・ビール | SG | フェニックス・サンズ | 50,203,930
(約75億3,100万円) |
ちなみに、日本のバスケットボールプロリーグであるBリーグの最高年俸は富樫勇樹選手の推定1億円です。
金額を比較すると、NBAの選手がいかに桁違いかよくわかります。
日本人NBA選手の活躍
これまで数々の日本人選手がNBAで活躍してきました。
日本人選手として初めてNBAでプレーした田臥勇太は、身長173cmと小柄ながら、卓越したスピードと華麗なパスワークでNBAファンを魅了しました。
その後、日本代表で活躍している渡邊雄太、八村塁、2024年に移籍し、開幕ロースターを勝ち取った河村勇輝らが、NBAの舞台で活躍しています。
今後も日本人選手の活躍から目が離せません。
さいごに
世界最高峰のバスケットボールリーグであるNBA。
NBAは、ハイレベルな戦いや、高いエンターテインメント性で世界中のバスケットボールファンを熱狂させています。
NBAに関する知識を深めたり、お気に入りの選手を見つけたりして、さらにNBAを楽しみましょう。
また、NBAに挑戦する日本人選手たちの活躍から目が離せません。
この機会にNBAの世界に触れてみてはいかがでしょうか。