今回は、長年にわたって愛され続けるプロアイドル・三宅健をご紹介します。
エリート待遇でジャニーズに入所した後、森田剛とのシンメ「剛健コンビ」としてJr.時代からとてつもない人気を誇っていた三宅。
V6のメンバーとしてデビューした後も、その若々しいビジュアルと愛嬌で多くのファンを魅了してきました。
2023年には、30年にわたって在籍したジャニーズ事務所を離れ、滝沢秀明が設立した新会社TOBEへの移籍を報告しました。
この記事では、三宅のプロフィールや経歴に加えて、ジャニーズの入所経緯から新会社TOBEに移籍後の活動までを徹底解説。
愛されるべくして愛された三宅健の魅力に迫ります。
▼あわせて読みたい!
目次
三宅健とは
三宅健のプロフィール
- 生年月日:1979年7月2日
- 出身:神奈川県
- 身長:164cm
- 血液型:O型
- 趣味:映画観賞、ゲーム、現代アート、ガーデニング、落語鑑賞、観劇、歌舞伎鑑賞、相撲観戦、ボクシング、インラインスケート、ジェットスキー
- 特技:手話、水泳、ボウリング
- 元所属グループ:V6、Coming Century
- メンバーカラー(V6時代):オレンジ
ジャニーズ事務所入所の経緯
始まりは、親戚がジャニーズ事務所に三宅の履歴書を送ったことでした。
数日後、ジャニー喜多川氏から直接電話があり「SMAPのコンサートがあるからおいでよ」と誘われた三宅はそのままコンサートに出演。
中居正広のバラード中に体育座りで佇む少年としてステージデビューを果たします。
三宅と言えば、その物怖じしない態度や愛嬌たっぷりな人柄で愛されてきました。
それを物語るエピソードとして、同じくSMAPのコンサート中に大胆な発言をした事がありました。
新入りのジャニーズJr.として中居からインタビューを受けた三宅は、自己紹介と共に「ぼくは絶対にビッグになるので、いまのうちにファンになっておかないと損しますよ」と言い放ち、会場を沸かせました。
実は、この時緊張で何を言ったらいいか分からなかった三宅に、中居が助け舟を出した末の発言だったそう。
その後、三宅にとってSMAPは尊敬する先輩として特別な関係性を築いていくことになります。
V6のメンバーに選出されCDデビュー
1995年11月1日、三宅はV6のメンバーとして『MUSIC FOR THE PEOPLE』でCDデビューを果たします。
ワールドカップバレーのイメージキャラクターとして結成されたV6。
実は、ジャニー喜多川氏から一番最初にメンバー入りを打診されていたのが三宅だったのです。
ジャニー喜多川氏は三宅のルックスを高く評価していたため、彼中心のグループをデビューさせようと考えていました。
しかし、三宅は提案されたメンバー編成の中に森田剛がいなかったため、一度V6のオファーを断っています。
当時、ジャニーズJr.黄金期の筆頭だった三宅は、森田剛と共に「剛健コンビ」として凄まじい人気を誇っていました。
三宅は「剛がいないならデビューしたくない」と直談判し、最終的に剛健コンビ揃ってデビューする道を勝ち取ったのです。
▼あわせて読みたい!