YOSHIKI(ヨシキ)のプロフィールや魅力を徹底解説!

YOSHIKI(ヨシキ)のプロフィールや魅力を徹底解説!

X JAPANのドラマー、ピアニストとしてだけではなく音楽プロデューサーやバラエティ番組への出演で様々な表情を見せてくれているYOSHIKI(ヨシキ)は、日本だけではなく海外でも高い認知度を誇り、2023年には「日本の歴史上最も影響力のある作曲家」として、その功績が認められました。

今回は、これまでYOSHIKIがどのような活動を行ってきたのかを徹底解説!彼の魅力についても紹介したいと思います。

YOSHIKIのプロフィール

  • 本名:林 佳樹(はやし よしき)
  • 生年月日:1965年11月20日
  • 出身地:千葉県 館山市
  • 身長:175cm
  • 血液型:B型

YOSHIKIはヴィジュアル系ロックバンドX JAPANのドラマーでありピアニスト。学生時代にX JAPANの前身であるXを結成すると、本格的にバンドに取り組むために上京し、1989年にメジャーデビューを果たしています。

また、その年の日本有線大賞や日本ゴールドディスク大賞といった場面で様々な賞を受賞。1991年のNHK紅白歌合戦で初出場を果たすなど、多くの層に支持されました。

さらに、YOSHIKIはソロとしても活動しており、国内外のアーティストとコラボレーションをしたり、アメリカを拠点にグローバルな活躍をしています。その功績が認められ、2023年に日本人として初めてアメリカのハリウッドにある「TCL・チャイニーズ・シアター」の広場に彼の手形や足形が刻まれました。

YOSHIKIの経歴

YOSHIKIが音楽を始めたのは4歳のとき。彼の両親はジャズ・ピアノやタップダンス、三味線などを嗜み、音楽的な一面がありました。その影響で、YOSHIKI自身もピアノを習っています。当時はロックではなくクラシックを好んで聞いていたそうで、初めて買ったレコードはシューベルトとベートーヴェンの楽曲が収録されたものだったそう。

また、子供の頃にトランペットを習っていたこともあり、学生時代には吹奏楽部に所属。2021年に自身のYouTubeチャンネルでトランペットで「Forever Love」を演奏する姿も公開されています。

MEMO

YOSHIKIはサッカー部にも所属しており、血気盛んな性格から「レッドカード専門の選手だった」と話していました。

クラシックからロックへ

クラシックを聞いていたYOSHIKIがロックに目覚めたのは、アメリカのハードロックバンドKISS(キッス)の音楽を聞いたことがきっかけでした。また、母親に頼んで連れて行ってもらったKISSのコンサートを見て、ドラムとギターを始めています。

YOSHIKIは、小学生のときに幼稚園のころから一緒だったToshIとバンドを結成。最初のバンド名は4人組のDYNAMITEで、YOSHIKIはボーカルとドラムを担当していました。中学進学後にバンド名をNOISEに改名しましたが、YOSHIKIはこのときからドラムに専念するようになります。

X結成

中高時代はコピー曲を主に演奏していましたが、徐々にオリジナル曲を作るようになり、進学で仲間がバンドを抜けても他校のメンバーを加えて活動を続けました。高校2年生のときにバンド名をXに改名し、文化祭でステージを披露するなど、本格的に音楽へと打ち込むようになっていったのです。

実は、このときYOSHIKIは音楽大学の推薦入学が決まっており、ピアノだけではなく音楽理論なども学び始めていました。しかし、ToshIから上京して音楽で勝負していきたいことを告げられ、YOSHIKIもその思いに賛同。2人は音楽への道に進み始めました。

X絶頂期

Xはメンバーの入れ替えがありながらも、ライブハウスでステージを続け、彼らの努力に応えるかのように観客も増えていきました。そして、1985年1月に1枚目のシングル「I’LL KILL YOU」をリリース。さらに1988年に発売されたアルバム「Vanishing Vision」は、インディーズながら初動1万枚以上を記録すると、1989年には2ndアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューを果たしています。

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「BLUE BLOOD」は、Xのメジャーデビューアルバムでありながら、週間オリコンチャートで6位を記録。また、同年年末に開催された日本有線大賞や、第4回日本ゴールドディスク大賞では新人賞を受賞しています。

翌年になっても彼らの勢いは止まらず、1990年には日本武道館や大阪城ホールといった場所でライブを開催。さらに、1991年には東京ドームでライブを行うほどの人気を獲得しました。

MEMO

音楽以外にもバラエティ番組への出演や、Xのグッズショップ「Jealousix」が都内で開催されるなど、多くの層に彼らの存在が認知されています。

X JAPAN解散

1992年には、日本人アーティストとして初の東京ドーム3days公演を成功させるなど、彼らの人気は絶頂に達しました。しかし、直後にTAIJIが脱退を発表すると、同年4月にはソニー・ミュージックエンタテインメントとの契約が終了になってしまいます。

その後、TAIJIの後任にHEATHが加入し、ワーナーミュージック・ジャパンとの新たな契約を発表。また、本格的な世界進出を果たすためにバンド名をX JAPANに改名するなど、バンド内で様々な出来事が起こりました。

そして、1997年4月にはToshIが脱退を発表。後任のボーカルが見付けられないこともあって、X JAPANは9月22日に記者会見を開き、バンドの解散を伝えました。

ToshIは既にバンドを脱退していましたが、メンバーの説得もあり1997年の12月31日に開催されたラストライブ「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」と、コンサート終了後に放送した「第48回NHK紅白歌合戦」に参加し、X JAPANの活動を終了しています。

MEMO

X JAPANは2007年に再結成が発表されており、2009年にはLUNA SEAのSUGIZOが正式加入。世界でも評価されるバンドへと成長しました。

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