2001年にシングル『サニー』でメジャーデビューを果たした「THE BACK HORN(ザ・バックホーン)」は、2019年に結成20周年を迎えた現在もなお、その退廃的な詩と破壊を想像させるサウンドを鳴らし続けているバンドです。
今回はそんなTHE BACK HORNのデビュー当時を振り返りつつ、どんな魅力があるバンドなのか、バンド名の由来やメンバーの経歴などを紹介いたします!
THE BACK HORNを知っている人もそうでない人も、ぜひご覧ください!
目次
THE BACK HORNとは
「THE BACK HORN(ザ・バックホーン)」は、1998年に結成された4人組のオルタナティブ・ロックを奏でるバンド。
松田晋二さん(Dr)、山田将司さん(Vo)、菅波栄純さん(Gt)、岡峰光舟さん(Ba)の4人で構成され、岡峰さんを除いて東京ビジュアルアーツ専門学校からの出身です。
結成後の1999年にアルバム『何処へ行く』でインディーズデビューを果たし、2001年にシングル『サニー』でメジャーデビューとなりました。
2019年には20周年を迎え、多くのアーティストが目指す武道館でのライブは計3回。メンバー全員が40代でありながらもまだまだ衰えを知らず、胸に響かせるサウンドを届け続けるバンドです。
バンド名の由来
現在でこそTHE BACK HORN(通称:バクホン、バックホーン、TBH)と呼ばれている彼らですが、今と昔とではバンド名が違ったそうです。
結成当時のTHE BACK HORNのバンド名は「魚雷」という名前でしたが、しかし、このネーミングには色々と問題があるということですぐに改名することに至りました。
そして、その時に思いついたのが今のバンド名となっています。
この名前にはとくに深い意味はありませんが、思いついたのがバンドのドラムを務め、リーダーでもある松田晋二さんです。
ショベルカーを英語に訳したものを拝借したそうです。しかし、ショベルカーを英語に訳すと「Backhoe(バックホー、バックホウ)」が正しく、今のバンド名とやや綴りが違うことがわかります。
命名した松田さん、実は子供の頃からショベルカーのことを「バックホーン」と呼んでいたようで、その勘違いが原因で、今のバンド名になったそうです。
ですので、由来というのも変な話なのですが、THE BACK HORNというバンド名にはショベルカーという意味があり、後ろの角という意味が含まれているわけではありません。
幅広いジャンルを鳴らす
THE BACK HORNの演奏する曲は、退廃的に感じさせる詩と破壊的なサウンドが特徴的です。
しかし、数ある曲の中には綺麗さをまとった曲もあり、中には映画やアニメのタイアップ曲を手掛けるなど、一概にこういったジャンルの曲を演奏するというバンドとは言えません。
というのもTHE BACK HORNの曲には、幅広いジャンルの音楽が詰め込まれているからです。一つのジャンルに絞られるのではなく、複数のジャンルを取り入れることにより、多くの人を自分達の音楽に引きずり込んでいます。
その曲の多くは歌謡曲テイストのものが強く反映されており、そのテイストを活かすために日本語を基調とした歌詞が多く用いられています。
ただ、近年はその限りではなく、英語の歌詞やタイトルを用いられることもあり、ラブソング調の曲も披露することがあります。
自分達の内面の感情を絞り出し、吐き出すような曲が大半だったTHE BACK HORNですが、愛や恋というロマンティックを感じさせる曲が増えてきたことに、ファンの一部では驚きの声が上がっています。
この試みは後退というよりも、元々幅広いジャンルを鳴らすTHE BACK HORNの前進を感じさせます。
どんなに複数のジャンルを取り入れ、それが形となったとしても、その曲が永遠とファンの心を掴むかと言えば、それは無理なことです。
もちろん、彼ら自身が挑戦するという意味合いもあるでしょうが、それが結果的にファンを喜ばせることにもつながっているのでしょう。
THE BACK HORNはデビューから20周年を迎えました。一つにとらわれないジャンルだからこそ、いつまでもファンに愛される曲を鳴らし続けることができるんですね。
THE BACK HORN:メンバーを紹介
20年に渡り、多くのファンを熱狂させてきたTHE BACK HORN。
ここでは、そんなTHE BACK HORNのメンバーについての詳細に関して触れていきます。
出身地や生年月日、意外な特技などに関しても記述しているので、ぜひご覧ください。
ちなみに現在のフルメンバーは下記の枠内の通りとなっています。
- 松田晋二(ドラム、バンドリーダー)
- 山田将司(ボーカル)
- 菅波栄純(ギター)
- 岡峰光舟(ベース)
松田晋二
最初に紹介するのは、THE BACK HORNのチームリーダを務める松田晋二(まつだしんじ)さんです。通称「マツ」と呼ばれており、バンドではドラムを担当しています。
1978年5月24日生まれで、福島県東白川郡塙町出身です。ちなみに既婚者です。
ドラムではありますが、まれにボーカルを務めていることもあり、曲によってはラップや朗読を披露することもあります。
また、ジャケットイラストの描き下ろしを担当していた時期もあり、1stアルバム「人間プログラム」や5thアルバム「太陽の中の生活」などを手掛けました。
ジャケットイラストは他のメンバーも担当することがありますが、その独創的なセンスは作品だけでなく、THE BACK HORNの世界観を表現する一人として欠かせない存在です。
山田将司
続いての紹介は、THE BACK HORNでボーカルを担当する山田将司(やまだまさし)さんです。通称「将司」と呼ばれています。
1979年10月8日生まれで、茨城県出身です。
THE BACK HORNの世界観を声に届ける重要なポジションを務めており、がなるような歌い方が特徴的のボーカルです。
しかし、最近ではTHE BACK HORN全体の曲調の変化などもあったことから、歌い方にも変化が表れており、歌唱力が強調される歌い方となっています。
ボーカル以外ではアコースティックギター、ハーモニカ、ドラム(松田さんがボーカルに立つ場合)、アコーディオン、トランペットなど、多種多様な楽器を鳴らすことができます。岡峰さんが加入する前は、ベースを担当していたこともありました。
菅波栄純
3人目の紹介は、THE BACK HORNでギターを担当する菅波栄純(すがなみえいじゅん)さんです。通称「栄純、栄ズン、ズン」と呼ばれています。
1979年10月16日生まれで、福島県須賀川市出身です。
髪型の変動が激しく、見た目もいかついために近寄りがたい存在だが、実は繊細。
バンドではほとんどの曲の作詞を担当していた時期があり、職人肌なのかよりリアルな詩を書くために路上で寝泊まりしたこともあるというとんでもエピソードを持ち合わせた人物です。
ちなみに本人曰く「ギターは顔で弾く」もとの語っており、いかつい髪型などもそれが影響したものなのかもしれません。
ちなみに週刊少年マガジンの野球漫画作品「ダイヤのA」の主人公「沢村栄純」は、彼の名前をもじったものであると作者が発表しており、その他のメンバーも「結城将司・奥村光舟・赤松晋二」に使用されています。
岡峰光舟
最後の紹介は、THE BACK HORNでベースを担当する岡峰光舟(おかみねこうしゅう)さんです。
1979年10月14日生まれで、広島県福山市出身です。ちなみに既婚者です。
THE BACK HORNには途中からの加入でしたが、非常にアクティブなベースはバンドに欠かせない存在となっています。
過去にはバーテンダーとして働いていたこともあり、年末限定ライブの「マニアックヘブン」で、その味を堪能することができます。
音楽とバーテンダーという一面の他に、歴史に詳しいという顔もあり、各地の城や戦艦に造詣が深いことでも有名です。
これまでに200冊を超える歴史小説を読破しており、2019年10月15日放送のTBS番組「クイズオンリー1」には、戦国武将問題の回答者として出演するほどでした。
THE BACK HORNの掲げる「KYO-MEI」とは
2019年に20周年を迎えたTHE BACK HORN。
武道館でのライブは計3回と、その音楽性はすでにベテランと呼んでも差し支えない領域にまで達しています。
そんな彼らを語る上で欠かせないのが「KYO-MEI(共鳴)」です。
THE BACK HORN自らが掲げるバンドの根底にあるテーマでもあり、彼らは「聞く人の心をふるわせる音楽を届けていく」と語っています。
ここでは、彼らが掲げる「KYO-MEI」というテーマを元に、バンドの魅力について紹介していきます。
当時はそれほど意識はしていなかった
「KYO-MEI」は根底にあるテーマと上述しましたが、言葉自体は昔からあっても、それ自体にはそれほど意識はしていなかったそうです。
最初はとにかく「自分たちを証明するために、どういった音楽を作るべきか」「縛られない自分たちの歩み方」という考えで、音楽をしてきたと語っています。
しかし、デビューから10年経ったある頃から「KYO-MEI」というテーマが明確になったようです。
その頃にはTHE BACK HORNが認知され、多くのファンを抱えるまでに成長していました。そして2008年には初の武道館でのライブを控え、バンドとしての在り方を考えるようになったと松田さんは言います。
その時には「俺たちが存在できるのは、みんながいるから」ということに気づき、それから「じゃあ、その人たちに響く音楽を作るにはどうすればいいのか」という考えに至ったそうです。
ファンとのつながりを結成から10年経って気づけたというのは、言葉にとても重みを感じます。今まで明確にされていなかったテーマ「KYO-MEI」が、この時に初めてバンドに定着したのですね。
そして、そのつながりを大事にするからこそ、現在のTHE BACK HORNへとつながっていると感じさせます。
今とは違うバンドだったかもしれない
THE BACK HORNが掲げるテーマ「KYO-MEI」は、ファンとのつながり方を考えさせるものでした。
しかし、そのつながり方に関して、もしTHE BACK HORNが10年デビューが遅ければ、また違ったバンドになっていたかもしれないとメンバーは語っています。
というのも、現在のファンとの交流は、ライブ以外にもSNSなどを通じた交流を行うことができます。手軽にファンの声を聞くことや返すことができる環境に、多くのアーティストはそういった場の意見から曲作りに影響を受ける人も少なくないそうです。
しかし、1990年代に結成し、2001年にメジャーデビューを果たしたTHE BACK HORNは、今のようなSNSなどの場はなく、掲示板などを利用した声を聞くことしかできませんでした。
今のように手軽にスマホなどから投稿できる便利さもなく、当時は漫画喫茶に集まって自分たちに対する文句を見て、怒りを高めて曲作りに反映させたりもしたようです。
そういった反骨精神を与える環境だったからこそ、今のTHE BACK HORNへと成長している。確かに当時の尖ったような詩や演奏は、その環境があったからこそできあがったのだと感じさせますね。
デビューが10年遅ければ、それはまた違ったバンドになっているというのは、確かにその通りだと感じさせます。
生きている喜びを共有したい
生きている喜びを共有したいというのも、THE BACK HORNのテーマである「KYO-MEI」につながっています。
そのきっかけとなったのが、2011年の東北地方太平洋沖地震でした。
2010年に8thアルバム『アサイラム』をリリースしたばかりの時期、当時は自分たちの次なる音楽を探すために躍起になっていたそうです。
しかし、その直後に震災があり、そんな中で自分たちだけを見ていてもいいのかと考えたそうです。そうしてバンドメンバーで出した結論が、自分たちの歩みを一旦止めて、今目の前で起きていることにどう言葉にするべきか、ということでした。
そうして生まれたのが『世界中に花束を』でした。
THE BACK HORNはこの曲を持って全国を周り、自分たちにできることということ、音楽の在り方についてより深く考えることができたと語っています。
震災地である東北でのライブでは、お客さんの表情がものすごく心に残った。当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったとも実感したそうです。
それが音楽に強く影響したのか、後にリリースされた曲には「生」や「光」を意識させたものとなっています。
こちらが2012年3月7日にリリースされたシングル『シリウス』です。
メンバーはこの曲を作るにあたって、現実と照らし合わせた時に、眩しすぎるものには抵抗があったと語っています。しかし、震災で感情移入できないほどに辛い経験をしている中で、眩しすぎるというのは違うのではという答えに行き着いたそうです。
光を表現することに抵抗があったTHE BACK HORNは、この光を表現することにとても苦労をしたようで、しかし、それが誰かの背中を押してくれるきっかけや、今ここで生きている喜びを共有したいという気持ちが強くなったと語っています。
ただ、音楽をやるだけじゃないことを知ったTHE BACK HORNは、今後も誰かのためになる音楽を作り続けてくれることでしょう。
THE BACK HORNでよかったんだ
10周年でTHE BACK HORNは一つの区切りとなりました。
それは、今までの生と死を歌ってきたバンドに変化が表れた瞬間でもあります。
震災で誰もが死を目の前にした時、その設定はもう必要がないと考えに至ったようです。
そこで、今後どうしていくべきかを思案しながら音楽に向かっていった彼らは、自分たちの音楽を他者に発見してもらいたい、引き出してもらいたいと考えたそうです。
そうして実現したのが、亀田誠治さんと宇多田ヒカルさんをプロデューサーに迎えたことです。日本を代表するの音楽プロデューサー一人、亀田誠治さん。そして、10年来の付き合いでもあるシンガー・ソングライターの宇多田ヒカルさん。
新しいTHE BACK HORNの基盤になるものを作りたいと考えたメンバー。外の意見を聞いてみて、そして誕生したのが、下記の2曲となります。
亀田誠治さんプロデュース。
2016年10月19日リリース『With You』
宇多田ヒカルさんプロデュース。
2017年2月22日リリース『あなたが待ってる』
上記の2曲を制作してバンドのメンバーが感じたのは、変化ではなく「自分たちはTHE BACK HORNでよかったんだ」ということでした。
灯台もと暗しという言葉がありますが、近すぎて気づけないということはよくあることです。
デビューから20周年が経ったTHE BACK HORNも、これをきっかけに自分たちの音楽をぜひ演奏してもらいたいですね。
最新情報
THE BACK HORN「KYO-MEIストリングスツアー」feat.リヴスコール
6月05日(土)仙台GIGS
[OPEN17:00/START18:00]
6月11日(金)Zepp Haneda(TOKYO)
[OPEN17:30/START18:30]
※新型コロナウイルス感染症の影響により、これらの情報は変更される可能性がございます。
THE BACK HORNであり続ける彼らに期待
以上、THE BACK HORNについての紹介でした。
ダイジェストのような経歴ですが、彼らの魅力はこれだけではありません。
20周年を経て、そうして気づけた自分たちの音楽。それを鳴らし続ける彼らに、今後も目が離せませんね。
できるだけ長く、多くの人に音楽を届けるアーティストとして頑張ってもらいたいです。
それでは、ここまでご覧いただきありがとうございます。