中村一義 アルバム『金字塔』で音楽シーンに衝撃! その経歴やおすすめ曲は…?

中村一義 アルバム『金字塔』で音楽シーンに衝撃! その経歴やおすすめ曲は…?

矢部浩之さんとマツコ・デラックスさんの「アウト×デラックス」で、6歳まで犬に育てられたアーティストとして出演したのが中村一義(なかむら かずよし)さんです。

1stアルバムから「金字塔」と名付けて、作詞・作曲だけでなく全ての楽器を1人で演奏した完全セルフプロデュースでデビューし、「rockin’on」の渋谷陽一さんが10年に1人の才能と絶賛、いとうせいこうさんが桑田佳祐を継ぐ日本語詞の使い手と評したほど。

今回は、著名音楽評論家や、多くのアーティストとロックファンが歓喜した中村一義さんのプロフィールや経歴、オススメ曲などをご紹介していきます

気になる中村一義さんの生涯のパートナーは早苗さんです。デビューと同時期に結婚しています

音楽誌が絶賛!宅録のスター中村一義とは?

Profile

  • 生年月日 1975年2月18日
  • 出身地 東京都江戸川区
  • 血液型 A型

両親が仕事の為にあまり家にいなかった為に、寂しい幼少期を過ごした中村一義さん

アウト×デラックス」で紹介されたエピソードによると、その寂しさを埋めるために愛犬のん犬小屋で過ごすことが多くドッグフードを食べたりしていたそうです。

さらには、最近飼っている柴犬のゴンのドッグケージに入って昼寝をするなど、あまりにも行き過ぎた愛犬家ぶりからアウト宣言が。

ほんとに犬が大好きなんだね…..

The Beatlesやベートーベンとの出会いは5歳から

中村一義さんは幼少期から音楽が身近にある環境で育ちました。

The Beatlesを最初に聴いたのは5歳の頃

父方のおじさんはガソリンスタンドの経営者であり大の音楽好き。

そのガソリンスタンドは音楽好きのたまり場でもあり、お客さんがアナログレコードを持ってきたり、様々な洋楽のロックを聴ける場所でした。

中村一義さんは、隠れながらこっそりとビートルズを聴いていたそうです。

満州生まれの祖父はクラシックが好きで、特にベートーベンをよく聴いていました

中村一義さんはクォーターです

喧嘩が絶えなかった両親は中村一義さんが12歳のときに離婚した為に、それからは祖父母の家で暮らし始めます。

画家を諦めて音楽を始める

中村一義さんは、幼い頃から自分の表現をしたいと思っていました。

音楽を始める以前はシャガールやピカソに憧れて、中学に入る頃には絵描きを目指すように

この頃からすでに独学でオリジナルの絵を描いていましたが、その出来栄えは画家達の模倣の域を出ることができず自分には絵の才能はないと落ち込みます

そんなある日、いつも絵を書くときに流していたラジオで、イギリスのロックバンドThe La’sの「There She Goes」を聴いた瞬間に、これからは音楽をやる!と決意

すぐに絵を全て焼き払って、音楽を始めました

高校に入学するとすぐにオールインワンシンセとサンプラーを手に入れて、打ち込みのテクノを作り始めます。

そして、1980年代後半頃からのイギリスのCreation Records系のインディー・ロックブームの影響もあって、英語詞のバンドを結成

この頃最も影響を受けたのは、Bobby Gillespie率いるPrimal Screamの名盤「Screamadelica」でした。

当時日本のテクノを牽引していた電気グルーヴは、その前進バンドの人生の頃からファンで、ナゴムレコードからデビューしたいと考えていたほどでした。

石野卓球さんはナゴムレコードに憧れていたことを知っていて、中村一義さんが自身の曲をリミックスしてもらった際にお礼の手紙を出したら、その返事の最後に「ナゴムレコード 石野卓球」と書いてあったそうですよ

英語詞のバンドをしていた中村一義さんですが、ザ・ブルーハーツのストレートな歌詞に感銘し、次第に日本語詞の曲も作るようになります

状況が割いた部屋に引きこもって制作する日々

バンドを組んではいましたが、高校生の頃はテクノを中心に制作。

撮影したダンスに合わせて曲を作るユニットを組み、そのユニットでメジャーデビューを考えていましたが、メンバーが怪我でダンスができなくなった為に、仕方なくソロでやっていくことになります。

ソロでやるなら自身のルーツであるThe Beatlesのように生楽器を演奏しようと、住んでいた祖父母宅のおじの部屋をプライベートスタジオ「状況が割いた部屋」に改装し、その部屋にこもって曲を制作するようになります

状況が割いた部屋には、音楽好きのおじさんが揃えていた楽器が置いてありました。さらに大学進学用の支度金で楽器を買って機材を揃えたそうです

プロデビューを目指して、デモテープを送ったり、コンテストに出場してある程度の結果を残し、副賞でまた楽器を買うなどして、プライベートスタジオ「状況が割いた部屋」の設備を充実させていきました。

ですがプロデビューを果たせないまま、高校卒業後の時期になります。

そこで中村一義さんは、祖母に「短大に行かせるつもりで2年欲しい。それでダメだったら死ぬ」と頼み込みます。

祖母は「わかった」と了承してくれたので、さらに曲制作に集中できるようになりました。

わかるんかい!と中村一義さんは内心思ったそうです

そして、The Beatlesが使っていた楽器を購入して、ドラムを叩きギターとベースも弾き、歌って、作詞作曲と編曲までも1人でするようになります。

作った曲をレコード会社に送り続けていたある日、「音楽は良いんだから、日本語で歌詞を書いてみたら?」とアドバイスをもらいました。

悩みながらも歌詞を考えていたあるとき、あの有名なフレーズ「どう?」を思いついたそうです。

そのまま曲を作り上げたのが「犬と猫」で、それからすぐにデビューが決定しました。

「どう?」誕生の秘密

どう? 町を背に僕は行く。今じゃワイワイ出来ないんだ。」という歌詞から始まる「犬と猫」。

この「どう?」にはBob Dylanが関係しています。

Bob Dylanの「Like a Rolling Stone」の歌詞『How does it feel?』から、「ハウ…..ハウ…..どう?…..どう?」と思いついたそうです。

ロックシーンが絶賛!鮮烈なデビュー

1997年1月に1stシングル「犬と猫」、3月に「街の灯」「天才とは」、5月に「永遠なるもの」を矢継ぎ早にリリース。

7月にはデビューアルバムにして、不滅の業績という意味の「金字塔」をリリースします。

すると音楽誌や著名な評論家がこぞって大絶賛。

「rockin’on」誌の渋谷陽一さんは「10年に1人の天才」と絶賛、いとうせいこうさんは「桑田佳祐を継ぐ日本語詞の使い手」と評し、「中村一義って誰?!」とロックシーンが騒然となりました。

若干22歳ながら、作詞・作曲、ボーカル、全ての楽器演奏を行い、完全セルフプロデュースで制作されたデビューアルバムの「金字塔」。

1stアルバムにして「金字塔」のタイトルを付けた理由は、自身の集大成のようなものを1枚リリースして、アーティストを辞めようと思っていたからでした。

その為、1年後に2ndアルバムを出すことに決まってからは本当に大変だったそうです。

MEMO

「金字塔」はたった1人だけで作品を完成させたのではなく、高野博さんをはじめサポートメンバーも参加しています。可能な限り中村一義さんが1人で作ったデモテープを再現しようと、実際は録音し直しただけになりました。

それまでの人生とアイディア全てを注ぎ込んだアルバムを作ってしまった中村一義さんは、1年後リリース予定の2ndアルバムの制作について悩み始めます。

思いついたのは、それまでのストックは一度ゼロになってしまったので、「金字塔」からの1年間について、自分のことや思ったことなどの曲を作ろうというものでした

そして、1998年11月に2ndアルバム「太陽」をリリース、2000年9月に3rdアルバム「ERA」をリリースしました。

デビューから数年はライブ経験がなかった

1997年1月のデビュー以来、一度もライブ経験がないままだった中村一義さん。

クラブイベントのシークレットゲストとして初ライブを経験しましたが、本格的なものは2000年9月の「Sweet Love Shower 2000」でした。

予定では、3rdアルバム「ERA」リリース直前の2000年8月「ROCK IN JAPAN FES.2000」の初日ヘッドライナーとしての出演が初ライブになるはずでしたが、天候不良の為にフェスが途中終了となり、中村一義さんは演奏できませんでした

念願だったバンド100sを結成

「ROCK IN JAPAN FES.2000」出演の為に組んだバンドが100sです。

100sの由来は、アニメガンダムのシャア用モビルスーツ「100式」から。

小文字のsは、その頃中村一義さんが吸っていたタバコのロングサイズを表す100’sから付けられました。

100sは高校生以来のバンドで、友人とのユニットでメジャーデビューも考えていた中村一義さんにとって、念願のバンド結成となりました

デビュー当初は「こうでなければいけない」とこだわりが強すぎたこと、かなり特殊なデビューだったこともあって、気心知れたバンドメンバーがいなかったらしいです

メンバーは、元スーパー・バター・ドッグで現レキシの池田貴史さん、shortcut miffy!の小野眞一さんなど6人です

中村一義名義の4thアルバム「100s」を2002年9月にリリースし、2004年からはバンド100sとして活動を始めます

100sでは、ほとんどの作詞・作曲とギター・ボーカルを担当。

「OZ」「ALL!!!!!!」「世界のフラワーロード」のアルバム3作や、シングル6作をリリースしています。

日本武道館や大阪城ホールを含む全国ツアーを敢行し、ROCK IN JAPAN FESTIVALをはじめ、FUJI ROCK FESTIVALやCOUNTDOWN JAPANなど多くの大型フェスにも出演しました

中村一義さんにとって100sは、漫画家が集まっていたトキワ壮のようだったそうです

ソロとしての活動も再開

音楽でやりたかったこと全てを1周した中村一義さんは、The Beatlesと並ぶ自身のルーツのベートーベンと向き合いました。

10年ぶりのソロ名義での5thアルバム「対音楽」は、9曲全ての曲にベートーベンの交響曲1~9番のフレーズを盛り込んだ意欲作です。

教員免許を持っていた祖父からベートーベンを知り、価値観はその祖父から受け継ぎました

家には本の部屋があり、ニーチェなどの哲学書を読んでは、祖父と宗教や戦争、社会情勢などの話をしていたそうです。

文学的でもある歌詞は祖父からの影響です。

ルーツを突き詰めた「対音楽」を終えると、次はその真逆のことを始めました。

100sのメンバーであるギターの町田昌弘さんと2人で、100席ほどのライブハウスなどをまわるツアー「まちなかオンリー!」です。

楽器はアコースティックで、お客さんとトークしたりステージに上がってもらうなどハプニング要素の多いこのようなライブツアーは、現在でも不定期で開催されています。

新バンド海賊を結成

その後、町田昌弘さんに加えて、THE BEACHESやTHE JERRY LEE PHANTOMのTOMOTOMO club(サトウトモノリ)さん、 Hermann H.&The Pacemakersの岡本洋平さんと平床政治さん、若井悠樹(ウルフ)さんなど、同世代のロックバンドのメンバーが多数を占める総勢11人の大所帯バンド海賊を結成します

2016年3月には、演奏はバンドの海賊で行った、中村一義名義の6thアルバム「海賊盤」をリリース。

さらには、バンド海賊による中村一義さんのセルフカバーアルバム「最構築」を、2017年5月にリリースしました。

海賊では、ソロと海賊の両方の曲を演奏しています

2020年2月にソロとしてのアルバム「十」をリリース。

100sも含めると通算10作目のオリジナルアルバムです。

中村一義さんの原点である「金字塔」同様に、全ての楽器を1人で演奏したデビュー当時の手法で録音された、再デビュー作との位置付けです。

中村一義オススメ人気曲

永遠なるもの

「金字塔」に収録されている、「犬と猫」と並ぶ中村一義さんの初期の代表曲。

隅々まで作りこんだ濃密なサウンドと、「愛が、全ての人達へ」と願いながら歌う、博愛精神に満ちた歌詞が特徴です。

MVは地元の東京・江戸川区で撮影されたもので、中村一義さんしいほのぼのとした雰囲気に仕上がっています。

犬と猫

ローファイな音が鳴ったかと思うと、「どう?」で歌が始まります。

この一曲で、中村一義さんは天才と評されるようになりました。

一見のんびりとした曲のようですが、「奴落とす、もう。さぁ行こう!」「同情で群れ成して、否で通す(ありゃ、マズイよなぁ)」など、ストレートで攻撃的な歌詞はまるでパンクのようです。

君ノ声

3rdアルバム「ERA」収録の、2000年11月リリースの12thシングル。

NISSANのCMにも起用されたキャッチーな一曲です。

君の眼に映る僕を、僕は知れない。」の哲学的な歌詞で始まるラブソング。

セブンスター

2002年4月リリースの14thシングルです。

中村一義さんらしい力強く希望を歌い上げる曲ではなく、「本当の自由を見たい」「心は本当でいたい」と、次第に大きくなっていく自身を取り巻く環境の変化に、悩み戸惑う様子が垣間見えます。

ただし、シンプルなサウンドとキャッチーな歌詞からセールスは好調で、最高順位のオリコンチャート13位を記録しました。

キャノンボール

演奏は100sのメンバーですが、バンドとして作品を発表する前に、ソロの中村一義さん名義で2002年1月にリリースされました。

僕は死ぬように生きていたくはない」という強い意思が印象的です。

バンドの楽曲は、ライブで演奏することを前提として、わかりやすい歌詞とサビで会場全体がシンガロングできるように作っています。

ジュビリー

「ERA」収録の9thシングル。

日々。(祝え!祝え!おぉ、祝え!)」「息を吸え(真っすぐに)、息を吸え(今すぐに)、声を出せ。」と鼓舞するメッセージソングです。

独創的なアニメのMVは、2002年の「頭山」で、第75回アカデミー賞短編アニメーション部門ノミネートをはじめ、国内外で数々の受賞歴を持つアニメーション作家山村浩二さんが手掛けています。

最後に…

作詞・作曲、ボーカル、そして全ての楽器を1人で演奏した完全セルフプロデュースでデビューし、10年に1人の天才と絶賛される中村一義さんですが、意外にもアーティスト活動の多くはバンドです

独特な感性とスキルを駆使して作りこんだ音源を聴きこんだり、ライブではバンドサウンドを楽しむ、そんな贅沢ができるのは中村一義さんだからこそ。

ぜひ音源とライブの両方で中村一義ワールドを体感してください

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