2001年の解散から、今年で20年となったロックバンド・JUDY AND MARY。
再結成を望む声も多い一方で「名前や有名な曲は知ってるけど、それ以外は知らない」という方も多いかもしれません。
しかし、約8年という活動期間の中で彼女らが音楽界に残した功績は大きく、誰もが知る曲のほかにも、語り継がれるべき数々の名曲を世に送り出しているのです。
今回の記事では、そんな唯一無二の魅力で人気を誇ったJUDY AMD MARYのプロフィールや歴史、おすすめ楽曲についてご紹介します。
目次
JUDY AND MARYとは?
- ・略称:ジュディマリ、JAM
- ・バンド名は「元気で前向きな女の子・ジュディ」と「ひねくれ者・マリー」の二面性を表現している
- ・1992年結成 1993年メジャーデビュー
- ・2001年解散
JUDY AND MARYは現在も大活躍中のアーティスト・YUKIがかつて所属していたバンドとしても有名です。
8年間の活動の中で、シングルは850万枚、アルバム1000万枚という売上を記録。
パンクロックなサウンドと、ポップなメロディと歌声が見事に融合した楽曲は、今なお比類がないほど個性的な魅力があります。
2001年に惜しまれつつ解散してしまったものの、JUDY AND MARYの音楽は当時からのファンはもちろん、解散後に彼らを知ったという若者からの人気も絶えません。
JUDY AND MARYのメンバーは?
YUKI(Vo)
JUDY AND MARYのボーカルと作詞担当で、バンドでは紅一点の存在です。
彼女のガーリーなかわいらしさと、どこまでも伸びていく力強さを兼ね備えた歌声は唯一無二。
また、バンド名の由来でもある「明るく元気、でもちょっとひねくれた女の子」の象徴としてぴったりなキャラクターと個性的なファッションで注目を集め、女子の憧れの的でした。
現在はYUKIとしてソロ活動を行っていますが、その強烈な個性は健在。
「女子たちのカリスマ」として、今なお多くのファンを持つ、日本を代表する女性ボーカリストの1人です。
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恩田快人(Ba)
ベース、そして作曲を担当していたJUDY AND MARYのリーダーです。
JUDY AND MARY結成前は、ヘビメタバンド・JACKS’N’JOKERとして活動していましたが、YUKIとの出会いをきっかけに、元のバンドを脱退してJUDY AND MARYへ活動基盤を転向。
そういう意味ではYUKIの類稀なる才能を見出し、バンド結成の中心となった人物とも言えます。
また、主に初期楽曲のほとんどの作曲を手がけていて、「パンク調ポップ」のJUDY AND MARYの個性的なスタイルを確立しました。
JUDY AND MARY解散後から現在までは、音楽プロデューサーとして様々なアーティストのプロデュースやサポートを行っています。
五十嵐公太(Dr)
パートはドラム、そして作曲も担当していました。
元々はT.V.(後にTV-WILDINGSに改名)というバンドのドラマーを務めていましたが、1989年に解散。
その後、恩田の誘いを受けJUDY AND MARYに加入したという経緯があります。
作曲に関しては恩田、TAKUYAに比べると手がけた楽曲は少ないものの、『散歩道』『あたしをみつけて』などの名曲を生み出すなど、作曲家としての評価も高い人物です。
JUDY AND MARY解散後は、その高い技術を生かし、スタジオミュージシャンや音大講師として、現在も活躍しています。
TAKUYA(Gt)
ギターを担当し、作曲、時々作詞も行っていた人物です。
ROBOTSというバンドで活動中だった際、元々知り合いだった恩田と五十嵐からの誘いを受け、当時メジャーデビューに向け準備中だったJUDY AND MARYへの加入が決まりました。
恩田・五十嵐とは年齢差があったものの、それを感じさせないほどの高いギターテクニックを持っており、個性的なJUDY AND MARYサウンドを支えました。
また、バンドの中期からほとんどの楽曲の作曲を担当し、ロック色の強いJUDY AND MARYの人気曲を多く生み出しています。
現在はソロ活動や様々なアーティストのプロデュースを行う傍ら、YouTubeなどでの発信も積極的に行っています。
JUDY AND MARYの歴史
結成の経緯は?
結成前、当時JACKS’N’JOKERのベースとして既にメジャーデビューを果たしていた恩田。
1991年、映画の撮影で北海道を訪れていたとき、エキストラで出演していたYUKIに出会います。
YUKIは当時まだ短大生で、この日エキストラに出演したきっかけは、JACKS’N’JOKERのファンだった友人に誘われたからとインタビューで語っています。
撮影後の打ち上げの場で、YUKIが恩田に「バンドをやりたい」という話をしたことをきっかけに、歌声を入れたデモテープを恩田に送ることになるのです。
恩田自身もこの時、新しいバンドをやりたいと考えていたところで、デモテープのYUKIの歌声がイメージにぴったりだったことから、YUKIの抜擢が決定。
そこから恩田が五十嵐、TAKUYAといったメンバーを集め「女の子が歌うポップで切ないサウンド」を目指したバンドとしてJUDY AND MARYが結成されたのです。
デビュー後の活躍は?
1993年9月、シングル『POWER OF LOVE』でメジャーデビューを果たしたJUDY AND MARY。
徐々にファンを増やしていき、特にプロデューサー・佐久間正英の手が加わった2ndアルバム『ORANGE SUNSHINE』以降はその人気に拍車がかかります。
1995年リリースの『Over Drive』、1996年リリースの『そばかす』といったCM、アニメとのタイアップの楽曲はこれまで以上に多くの人へとJUDY AND MARYの音楽が届く結果となり、爆発的に知名度を高めていきました。
また、テレビ出演も多くなるにつれ、YUKIの個性的なファッションやかわいらしいキャラクターが注目を集め、女子たちのカリスマ的存在としての人気も確立されていきます。
解散の経緯は?
そうした華々しい活躍の裏で、メンバーの中で葛藤やスランプが生じ始めていたと、後のインタビューでは語られています。
特に1998年リリースの4thアルバム『POP LIFE』においては制作が難航し、それまでメインで作曲を担当していた恩田ではなく、TAKUYA中心に楽曲制作がされるようになるなど、少しずつバンドにも変化や温度差が生まれていたそうです。
そんな中で『POP LIFE』をリリースし、同年のアリーナツアーや紅白歌合戦の出演後、約1年の充電期間に入ることとなりました。
2000年2月にはシングル『Brand New Wave Upper Ground』をリリースし、活動再開。3月に発売したベストアルバムは200万枚を売り上げるなど、休止を経てもその人気が全く衰えていないことを感じさせます。
しかし、バンド内に生じていた温度差が埋まることはなく、2000年末には恩田が脱退の意向をメンバーに表明したことをきっかけに、解散が決定。
恩田はバンドの解散を望んでいなかったものの、YUKIの「この4人でJUDY AND MARYだから、解散しよう」という言葉で、解散が決定したとインタビューで語っています。
2001年1月、解散を正式発表。「最後は最高のアルバムを作って、最高のライブをやって終わろう」という決意の元、ラストアルバム『WARP』をリリースし、ラストライブツアーを開催。
そして3月7・8日の東京ドームでのライブを最後に、JUDY AND MARYは解散しました。
JUDY AND MARYのおすすめ曲は?
ボーカル・YUKIのカリスマ性と、それを最大限まで引き出す他メンバーの作曲センスから生まれる彼らの楽曲は、令和の時代に聴いても新しさを感じるほど個性的な魅力でいっぱいです。
そんなJUDY AND MARYの楽曲を「もっと知りたい!」「聴いてみたい!」という方へ、特に彼らの魅力が詰まった5曲を紹介します。
Over Drive
1995年リリースの7thシングルで、初めてオリコンチャート5位以内にランクインした楽曲です。
耳に残るギターサウンドとメロディが印象的、そして明るい曲の中にもなんとなく切なさが共存しているという、JUDY AND MARYらしさ全開の名曲となっています。
また、MusicVideoやテレビでの演奏でメンバーがオーバーオールを着用していたことから、オーバーオールファッションが若者の間で流行しました
JUDY AND MARYを語る上では欠かせない、代名詞的楽曲です。
そばかす
1996年2月リリースの8thシングルで、テレビアニメ「るろうに剣心」のオープニングテーマに起用されました。
CD売上枚数は120万枚と、ミリオンセラーを記録。JUDY AND MARYが初めてオリコンチャート1位を獲得した記念すべき1曲となっています。
アニメの内容を全く意識せず制作された楽曲ではあったものの、不思議と「るろうに剣心」の世界観とマッチする結果となっているのが、この曲のすごいところ。
誰もが一度は耳にしたことがあるのではというほど、今なお国民的な人気を誇る楽曲です。
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クラシック
1996年10月リリースの10thシングル楽曲です。
ポップで軽快なメロディのシングル楽曲のリリースが続いていた中で、それまでとは少し異なる壮大で切ないメロディが個性的な1曲。
戻らない過去を思う歌詞と、どこまでも広がっていくような歌声でのびやかに歌い上げるYUKIの表現力、そして美しく響くギターソロには思わず切ない気持ちにさせられます。
「明るく元気」だけではないJUDY AND MARYの表現の厚みを感じさせられる名曲です。
散歩道
1998年リリースの14thシングルで、第49回NHK紅白歌合戦でも披露されました。
この曲は主に作曲している恩田やTAKUYAではなく、ドラムの五十嵐が作曲を担当しており、JUDY AND MARYのバンドメンバーの多彩さを改めて知らしめた楽曲です。
四季折々の散歩道が目に浮かぶような、これ以上ないほど平和でポップな楽曲で、聴いているだけで穏やかな気持ちにさせてくれます。
多くの人に愛されるバンドであったことを再認識できるような、JUDY AND MARYの魅力が詰まった1曲です。
ラッキープール
2001年1月リリースの、JUDY AND MARYのラストシングルです。
ラストシングルという先入観もあるかもしれませんが、明るい曲調の中に随所で切なさを感じさせる、まるでエンディングテーマのような雰囲気を持つ1曲となっています。
特に曲中に出てくる「永遠なんてわからないけど 優しい人になろう」「ずっと続く水平線まで 大きく手を振ろう」といった歌詞も、明るい未来を信じていたいという気持ちが伝わってきます。
不安な未来を一緒に乗り越えていこうという、JUDY AND MARYからのメッセージが詰まった名曲です。
JUDY AND MARY まとめ
約8年間という活動の中で、日本中を魅了し音楽界にその名を残したバンド・JUDY AND MARY。
解散から20年経った今でも比類するバンドはないと言っていいほど、強烈な個性を持つ彼女らの楽曲は、決して色褪せることはありません。
これからも多くの人に聴き継がれ、歌い継がれ、そして語り継がれていくことでしょう。
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