NiziUのRIMAさんって、トリリンガルでラップが上手くてダンスもできて凄いよね!
お父さんZeebraさんなの知ってる?
Zeebraさん…?
知らないみたいね。実は、Zeebraさんはヒップホップのレジェンドなのよ!
アメリカから持ち込んだ本場のヒップホップカルチャーを日本に伝えた、ヒップホップのレジェンドZeebra(ジブラ)さんをご紹介します。
早くも伝説となっているMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」と「ハイスクールダンジョン」のメインMC&オーガナイザーであり、90年代から現在でも日本語ラップを先導し続けています。
話題沸騰中のガールズグループ「NiziU(ニジュー)」のメンバーのRIMA・横井里茉さんと、「櫻井・有吉THE夜会」に出演したハウスDJのDJ REN・横井錬さんの、お父さんでもあります。
Zeebraさんは、「ヒップホップは常に新しいもので、新しいものを良いと思えなくなったらヒップホップじゃない」と今の日本の文化や文脈と融合させて、日本オリジナルのヒップホップを発表しています。
その音楽性の高さから様々なジャンルの多くのアーティストとのコラボやプロデュースを行い、理路整然としたトークや気取らないキャラクターで、テレビやラジオなどメディアへの出演も多数。
クラブとクラブカルチャーを守る会の設立、渋谷観光大使ナイトアンバサダー就任と世界28カ国参加の国際会議NIGHT MAYOR SUMMIT 2016でのスピーチなど、ヒップホップ・アクティビストとしてヒップホップの普及に力を注いでいます。
また、DJ DIRTYKRATES a.k.a. ZEEBRA名義では、ヒップホップ・R&B・レゲエをミックスするDJとしても活動しています。
それでは、ヒップホップの伝道師、ヒップホップ・アクティビストのZeebraさんを詳しく見ていきましょう。
目次
Zeebra略歴
Zeebraさんは、スチャダラパー、RHYMESTER、SOUL SCREAMと、タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」ポスターになるほどの日本語ラップのカリスマです。
「俺は東京生まれHIP HOP育ち」「悪そうな奴は大体友達」「不可能を可能にした日本人」、これら全てZeebraさんのリリック。
「street dreams」「MR.DYNAMITE」などの曲は、日本語ラップのクラシックです。
Zeebraさんと言えばあの有名な、「Grateful Days」で共演していたDragon Ashのkjさんへのビーフ(ディス)ですが、ビーフは対立構造にあえて注目を集めてお互いのスキルを見せる、というようなエンターテイメントの側面もあるので、現在ではZeebraさんは全く怒っていないそうですよ
数年後2人は顔を合わせて会話もしているようだけど、ヒップホップの作法で公然とディスられた、ミクスチャー・ロックのkjさんは驚いたと思うな
- 生年月日 1971年4月2日
- 出身地 東京都港区
- 本名 横井 英之(よこい ひでゆき)
Zeebraとは、シマウマ(ZEBRA)に由来しています。
シマウマが黒と白であることから陰と陽を意味し、両面を表現するという意味も込められているそうです。
Zeebraさんは、父親が東京ミッドタウンなどを手掛けた建築家の坂倉竹之助さん、父方の祖父は日本モダニズム建築の第一人者である建築家の坂倉準三さん、母方の祖父は戦後有数の実業家でホテルニュージャパン元社長の横井英樹さん、曽祖父に文化学院創立者の西村伊作さんという裕福な家系に生まれました。
ところが5歳の頃に両親が離婚し、母親に引き取られます。
母親の再婚相手が坂倉竹之助さんです。
Zeebraさんは、幼少期は恵まれた家系で何不自由なく暮らしていましたが、10歳のときに祖父の横井英樹さん所有のホテルニュージャパンで火災が発生しました。
史上最悪の人災とも言われるこの火災が、Zeebraさんの心に大きな影を落とすことになります。
ですがそれはプラスにも働き、「じいさんが世の中に作った負を何かでプラスにしたい」「公のために何かしたいという意識は、その負から生まれている」と、Zeebraさんが日本にヒップホップカルチャーを根付かせる活動に力を注ぐ原点になっています。
小学校は慶応義塾幼稚舎で、中学校は慶應義塾普通部に進みました。
すると間もなくクラブやバーで遊び始め、友人宅を泊まり歩くようになります。
その結果慶應義塾普通部は2年で中退、後に区立中学を卒業しました。
慶應義塾普通部を中退したのは、ホテルニュージャパン火災が原因でいじめにあったからとも言われています
Zeebraさんは後に、慶應義塾大学で特別講師としてヒップホップの歴史や文化について講義をしているよ
高校は曽祖父の西村伊作が設立した文化学院に進学。
文化学院は、与謝野晶子や与謝野鉄幹らと共に西村伊作が、「国の学校令によらない自由で独創的な学校」「感性豊かな人間を育てる」ことを理念とする文化と芸術の専門学校で、米米CLUBのカールスモーキー石井さんやROVOの勝井祐二さん、女優の中嶋朋子さんなど、多くの著名人を輩出している名門校です。
かなり自由な校風で、Zeebraさんはラジカセにスケボーで登校していましたが、毎日同じ時間に起きて通うのが嫌だったことから、1年生の2学期で中退しました。
慶應義塾大学のKREVAさん、早稲田大学の宇多丸さん、カリフォルニア大学バークレー校のShing02さんなど、高学歴のラッパーは多いよ。ラップは知的な言葉遊びでもあるからね
ヒップホップ・アクティビストになるまで
小学6年生からB-BOYでブレイクダンスをしていたZeebraさん。
中学生の頃クラブで遊んでいたときに、友達のお兄さんがヒップホップDJをしているのを見て興味を持ったことから、DJとしてヒップホップを始めます。
それから、当時六本木や渋谷にあったディスコのようなJ Trip Barでプレイするようになります。
俺のDJとしてのキャリアはJ Trip Barがスタートだから、クラブとは名ばかりのディスコ的な客層の中でどんだけケインとかラキムとか掛けれるかを頑張ってたタイプ。小箱にヒップホップ好きが集まってっていうタイプじゃなかった。だからまあ、俺は常にそんなポジションなのかなあと。
— Zeebra (@zeebrathedaddy) February 8, 2016
次第にヒップホップにのめり込み、17歳の頃に単身アメリカに渡りました。
そこで本場のヒップホップに触れたことが契機となり、ラッパーとしても活動を始めます。
帰国後に、小学校からの幼馴染のDJ OASISさんとPOSITIVE VIBEを結成。
この頃はまだZeebraさん自身が、日本ではヒップホップは伝わらないだろうと思い、またアメリカでのデビューも考えていたことから、リリックは全て英語でした。
1993年に、Zeebraさんが中学生の頃に渋谷で知り合い友人だった3歳年上のK DUB SHINEさんと、DJ OASISさんの3人で、日本語で韻を踏むこと(ライミング)を確立したと評されている伝説のヒップホップグループキングギドラ(KGDR)を結成します。
結成のきっかけは、アメリカ・オークランドに住んでいたK DUB SHINEさんが、Zeebraさんに電話で日本語のラップを聴かせたところ、2人が意気投合したことから。
この頃の日本のヒップホップは、いとうせいこうさん、近田春夫さん、藤原ヒロシさん、高木完さんなどのミュージシャンが音楽表現としてヒップホップを取り入れていた第1世代に続く、第2世代とも言われていました。
キングギドラは、ラップで成功を目指していた第2世代のリーダー的存在でした
当時日本のヒップホップには、ファッションやカルチャー誌などメディアに頻繁に登場する華やかなパンク/ニュー・ウェーヴを経たタイプと、主に米軍基地の軍人のためにディスコで活動するブラック・ミュージックを経たタイプの、2つのラインがありました。
キングギドラは、前者は”ブラック感”が足りず、後者は”いま感”が足りないと、本場のヒップホップで体感していたストリートを押し出していくことにしました。
そして1995年10月にデビューアルバムでありながら、日本語ラップの最高傑作や教科書とも言われている名盤「空からの力」をインディーズでリリース。
「空からの力」についてキングギドラリーダーのK DUB SHINEさんは、「日本語で韻を踏む(ライミング)というカルチャーを発展させたかった」と述べています。
アメリカのPublic Enemyがヒップホップで隠された真実をあからさまにしていたり、言いたいことを言っていたことから、日本でも同じことができるのではないかと「空からの力」は制作されました
作詞をしたH. SakakuraはZeebraさん、K. KagamiはK DUB SHINEさんです
キングギドラがとにかく日本語で韻を踏む表現にとことんこだわっていたことが斬新だったんだ
「スタア誕生」の「スターになる夢見育った/素直でかわいい女の子だった」の個所では、”育った“と”子だった“が、単に最後の1文字を合わせるだけじゃなくて、”そ“と”こ“でも韻を踏んでるよ
1996年7月には、日本初の大規模ヒップホップイベントさんぴんCAMPが日比谷野外音楽堂で開催されます。
提唱者のECDさん、キングギドラ、RHYMESTER、BUDDHA BRAND、MUROさんなど、ヒップホップアーティストが多数出演し、日本語のヒップホップが始まったまさに記念碑的なイベントでした。
1週間後に同会場で開催されたスチャダラパー主催のイベント大LB夏まつりと合わせて、2000年代前半の日本語ラップブームが巻き起こったきっかけになりました
ですが、さんぴんCAMPから間もなく、これからまさにメジャーになろうとしていた矢先にキングギドラは活動を停止してしまいます。
空からの力」制作時から、ZeebraさんとK DUB SHINEさんのヒップホップへの価値観の違いが顕著になっていっきました。しかし、音楽性の違いだったので、今でも2人は仲良しです。
Zeebraさんはその後、1997年7月にシングル「真っ昼間」でソロデビューし、1998年6月には1stアルバム「The Rhyme Animal」もリリースしました。
そして1999年5月に、人気絶頂のミクスチャーバンドDragon Ashのシングル「Grateful Days」に参加。
「Grateful Days」はDragon AshとZeebraさんにとっても最大のヒットシングルです。ヒップホップとミクスチャーバンドでは初のオリコンチャート1位獲得。トリプル・プラチナにも認定されていますね
この曲でZeebraさんは一躍時の人となり、日本のヒップホップを代表するラッパーとして広く知られるようになりました。
キングギドラは2002年に再始動して、2ndアルバム「最終兵器」をリリースしました。度々活動を停止しながらも、現在でもグループは存続しています
不可能を可能にする。日本代表。Zeebra
全国区の有名人となったZeebraさんは、ジャンルや世代、シーンを超えて様々なアーティストとのコラボや、ヒップホップ以外の俳優業など、「ヒップホップカルチャーを広めて、シーンの底上げをしたい」という思いから、さらに活動を活発化させていきます。
これまでZeebraさんがコラボしたアーティストは、小室哲哉さん、EXILE、AIさん、加藤ミリヤさん、長渕剛さん、東京スカパラダイスオーケストラ、JESSEさん(RIZE)などなど。
プロデュース・チーム「FIRSTKLAS」を結成し、安室奈美恵さんの別名義「SUITE CHIC」 の1stシングル「GOOD LIFE Feat. FIRSTKLAS」や、EXILEの9thシングル「LET ME LUV U DOWN feat. ZEEBRA & MACCHO (OZROSAURUS)」を手掛けました。
他にも、ヤクルトスワローズと明治神宮球場の演出プロデュースや選手の入場曲を制作、世界180カ国で放映しているNHK「J-MELO」のエンディングーマなども担当。
さらには、日本を代表するラッパーとして活動は海外にも広がっていきます
- アメリカ(ハワイ)、韓国、タイ、台湾などをまわるワールドクラブツアー
- 「ASIAN HIPHOP FESTIVAL 2008」に日本代表として出演
- アジア最大級の音楽授賞式「2010 Mnet Asian Music Awards」のオープニングアクト
- 渋谷観光大使ナイトアンバサダー就任(オランダ・アムステルダムで開催された世界28カ国参加の国際会議「NIGHT MAYOR SUMMIT 2016」にアジアで唯一の参加国代表としてスピーチ)
そして日本国内では、
- 2008年にヒップホップアーティストとして初の武道館公演
- レーベル「GRAND MASTER」の設立
- 24時間ヒップホップ専門のラジオ局「WREP」の開局
- クラブとクラブカルチャーを守る会の設立(この活動が2016年6月23日の風営法改正に繋がり、クラブの深夜営業が可能に)
俳優やタレント活動も行っており、テレビドラマ「15歳のブルース」や映画「座頭市 THE LAST」にも出演。
音楽番組「シュガーヒルストリート」ではくりぃむしちゅーの有田哲平さんとMCを務めていました。
有田哲平さんは、自宅パーティーに招いたり、お互いのライブに行ったりするほど仲が良いそうです。Zeebraさんの11thシングル「Stop Playin A Wall」のMVには有田哲平さんが出演していますね
Zeebra人気オススメ曲
Street Dreams
https://youtu.be/BFF4yKGOPgM
まさにヒップホップドリームを掴んだZeebraさんが、2005年6月にリリースした9thシングルです。
「俺がNo.1ヒップホップドリーム 不可能を可能にした日本人」のリリックは、日本にヒップホップを伝えようと走り続けてきたZeebraさんだからこそ。
「フリースタイルダンジョン」など多くのMCバトルでビートとしても使われています。
「Street Dreams」本人解説(Zeebraのラップメソッドチャンネル)
MR.DYNAMITE
「MR.DYNAMITE」のタイトルと「一点突破 行くぜHIP HOPPER」で、ヒップホップを知らなかった層にも強烈なインパクトを残した曲です。
前年の「Grateful Days」でオリコンチャート1位を獲得し、ヒップホップをメジャーにしようとしていた爆弾のような勢いそのままに、2000年3月にリリースされました。
アンダーグラウンドのラッパーが次々とヒットチャートに駆け上がっていったその起爆剤となったのは、Zeebraさんのこの曲です。
PERFECT QUEEN
2003年7月にリリースされた、「君がNo.1」「君は最高のパートナー」と歌うラブソングです。
Zeebraさんは、MVで共演しているモデルの中林美和さんと結婚しています。
Do What U Gotta Do feat.AI,安室奈美恵&Mummy-D
ロサンゼルス生まれ鹿児島育ちの”QUEEN OF HIP HOP SOUL”AIさん、”平成の歌姫”こと安室奈美恵さん、共にヒップホップをメジャーにした盟友Mummy-D(RHYMESTER)さんが揃った、ひたすら楽しいパーティーチューンです。
「フリースタイルダンジョン」の2代目ラスボスのラッパーR-指定さん(Creepy Nuts)が、ラジオ「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0」でこの曲の話をしたときに、ZeebraさんとMummy-Dさんは現在でもトップクラスにラップが上手い2人と最大限リスペクトしていました。
真っ昼間
1997年リリースのソロデビューシングル。
Zeebraさんの作品のなかで一番好きというファンが多い、今でも人気の高い曲です。
何気ない夏の一日を描写しているリリックは、短編映画を見ているかのようです。
TOUCH THE SKY
2003年9月リリースの3rdアルバム「TOKYO’S FINEST」収録曲です。
「TOKYO’S FINEST」は、キングギドラがタフでハードでポリティカルな方向に偏っていたことから、女性も普通に聴けるようなダンスミュージックとしてのヒップホップをと制作されました。
超高層ビルの屋上で撮影されたMVが、MTV Video Music Awards Japan 2004の最優秀ヒップホップビデオ賞を獲得しています。
最後に…
R-指定さんが、ラジオ「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0(ZERO)」で話したエピソードによると、強面のZeebraさんは実はとても優しく周りへの気遣いが凄いそうです。
今夜も、深夜27時から『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』生放送です。
今のうちにたくさん睡眠をかまして、生放送に臨みたいと考えています。
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番組の打ち上げで一緒だったZeebraさんが、酔っぱらいながら後輩のラッパーの肩を組んで、「マジでこいつとんでもない事したから、今から俺は怒ります!」と言ったそうです。
一体なんだろうとR-指定さんが心配していると、「こいつは道端にペットボトルをポイ捨てしようとした。マジでダメだわー」「B-BOYは街で遊んでるんだから、街のゴミを拾うくらいじゃないとダメなの」と言ったとか。
打ち上げが終わる頃には、「じゃあ最後に、すぐ近くに日本のヒップホップの超先輩がいるから、みんな一言挨拶しに行ってもらっていいですか?」と大勢のラッパーを引き連れて店に入っていったそうです。
Zeebraさんめちゃいい人
Zeebraさんが日本語のヒップホップにこだわる理由は、本場アメリカのヒップホップが、自分達のルーツを大事にしながら所属するコミュニティに向けて発信していたことを目の当たりにしたからです。
Zeebraさんが種をまいた「フリースタイルダンジョン」「高校生ラップ選手権」「ハイスクールダンジョン」を見た人の中から、どんなヒップホップのスターが誕生するのか楽しみですね。
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