コンポーザー・n-buna(ナブナ)が女性シンガー・suis(スイ)を迎え入れ、2017年に結成したヨルシカ。
n-bunaの紡ぐ文学的な歌詞に織りなすメロディ、変幻自在の歌唱表現を誇るsuisの歌声が一体となることで、彼ら特有の歌物語が完成し、そのストーリー性がリスナーの想像力を掻き立てています。
そんなヨルシカが、2021年10月6日に最新シングル曲『月に吠える』を配信リリースしました。
萩原朔太郎の詩集をモチーフに制作された楽曲『月に吠える』について、6月以降にリリースされた2曲『又三郎』、『老人と海』と併せて重点的に解説していきます。
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目次
“文学オマージュ”とは
n-buna発案のコンセプトをもとに物語を作り上げ、『だから僕は音楽をやめた』、『エルマ』など、コンセプチュアルで聴きごたえのあるアルバムをリリースしてきたヨルシカ。
いずれのアルバムにおいても、過去の文学作品をリスペクトして制作された、“文学オマージュ”の楽曲がいくつか存在しています。
たとえば、3rdフルアルバム『盗作』(2020年発売)収録の楽曲『思想犯』は、イギリス作家・ジョージ・オーウェルの小説『1984』をもとにタイトルが付けられました。
2ndフルアルバム『エルマ』(2019年発売)収録の『雨とカプチーノ』では、<夏泳いだ花の白さ宵の雨>という歌詞が、正岡子規の俳句『水草よ 花の白さと 宵の雨』のオマージュとなっています。
小説に限らず、俳句や詩などからもインスピレーションを受けることができるのは、n-bunaの文学作品に対する幅広い知見、とてつもない愛の深さによるものでしょう。
文学作品のタイトルが直接曲名に結びついた楽曲
これまで複数の楽曲において、文学作品に敬意を払い引用を重ねてきたヨルシカですが、2021年6月リリースの『又三郎』を起点として、よりダイレクトにリスペクトを示すように変化しています。
というのも、『又三郎』、『老人と海』、最新曲『月に吠える』の3曲すべてが、オマージュ元である文学作品のタイトルを、直接的に楽曲タイトルとして使用しているのです。
これら3曲について、オマージュ元の作品に触れつつ楽曲の概要を紹介していきます。
『又三郎』
生命の儚さを春に散る桜に重ねた『春泥棒』の配信リリースから約5ヶ月後、2021年6月7日に”文学オマージュ楽曲”として世に放たれたのが、『又三郎』です。
宮沢賢治が作者の小説『風の又三郎』をモチーフに制作された楽曲で、鬱屈な日々を送るすべての現代人に捧ぐ、唸りを上げる風のごとく爽快なアッパーチューン。
小説『風の又三郎』で登場する”又三郎”とは風の神の子を指し、本楽曲ではそんな神出鬼没の”又三郎”の存在を、現代社会の閉塞感を吹き飛ばしてくれるヒーローの姿に重ねています。
ギターのストロークが表情豊かに響く尖りきったバンドサウンド、suisのパワフルなボーカルが示唆するのは、まさに”又三郎”の姿そのもの。
間奏で<どっどど どどうど>と繰り返される歌詞は、小説『風の又三郎』の冒頭に記載の、風音をイメージした擬音語をそのまま引用したものとなっています。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
(引用:宮沢賢治著『風の又三郎』冒頭の詩より)
曲の後半に登場する歌詞<青い胡桃も吹き飛ばせ/酸っぱいかりんも吹き飛ばせ>も同様で、小説冒頭の一節からの引用です。
このフレーズがメロディに乗ると、あたかもn-buna自身が紡いだ言葉であるかのように感じるのは、ヨルシカが現代に刺さる数々の文学的メッセージを世に放ってきた実績と信頼によるものではないでしょうか。
閉塞感に苛まれ、感情のやりとりすら困難な現代社会。
“又三郎”が時代の中心で荒ぶる風となり、憂鬱な日常や閉ざされた感情を吹き飛ばすほどの大嵐を巻き起こしてくれることを、願うばかりです。
『老人と海』
『又三郎』に続いて8月18日にリリースされたデジタルシングル『老人と海』は、アーネスト・ヘミングウェイによる短編小説『老人と海』をモチーフに制作されました。
ヘミングウェイといえば、ノーベル文学賞を受賞したアメリカの文豪で、海を超えた日本でもその名を轟かせています。
そんなヘミングウェイのノーベル文学賞受賞を決定づけた作品といっても過言ではないのが、短編小説『老人と海』です。
ヨルシカによるオマージュ楽曲『老人と海』が表現するところは、小説で綴られた“人間が持つ不屈の精神”。
サビで<まだ遠くへ まだ遠くへ>と、suisの透き通った力強い歌声により放たれるフレーズは、まさに”屈しない精神力”を表しており、胸の奥底で響いて鳴り止みません。
小説で描かれた物語と歌詞からイメージできる風景描写では異なる箇所が多いのですが、その点がリスナーの想像力を最大限に掻き立てる要因にもなっています。
『月に吠える』
『老人と海』リリースから約2ヶ月後の10月6日、ヨルシカはデジタルシングル『月に吠える』の配信を開始しました。
『又三郎』、『老人と海』と、2作連続で小説をオマージュした楽曲をリリースしているヨルシカですが、今回の最新曲『月に吠える』は詩集をオマージュしたものです。
萩原朔太郎による同名の詩集『月に吠える』をモチーフに制作されています。
萩原朔太郎は後に”日本近代詩の父”と呼ばれるほど才を持った詩人で、唯一無二の独特な世界観を持っていることで有名です。
この詩集には病的なまでの孤独や憂鬱、絶望を吐露したヒステリックな詩が多数収録されており、これらの感情を持ち合わせた人物像をn-buna自身で作り出し、歌詞に落とし込んだのが、ヨルシカの歌う『月に吠える』です。
最新曲『月に吠える』の徹底解説
孤独に吠える歌詞の解釈
suisによる歌い出しが<路傍の月に吠える/影一つ町を行く>と始まるところから、ヨルシカの楽曲『月に吠える』の主人公は孤独であることが分かります。
<おれの何がわかるかと/獣のふりをする>と、“獣のフリ”をすることで、周りの目や孤独に耐える主人公。
一人称に<おれ>を用いているのは、「孤独でも決して弱さは見せまい」と勝ち気な姿勢を保つためではないでしょうか。
“孤独=恐ろしいモノ”として捉え、その孤独感を揉み消すためにあくまで“獣のフリ”をして生きているのが、曲の中盤までの主人公です。
サスペンスフルなメロディが得体の知れない不安感を煽る後半の展開に差し掛かると、己を醜い獣の姿に重ねた主人公が<嗚呼、皆おれをかわいそうな病人と、そう思っている!>と、声高に吠えます。
このパートをきっかけに、自分自身を無意識に抑圧していたなにかが取り払われ、脱皮していくような印象を受けます。
終盤の歌詞<嗚呼、喉笛の奥に住まう獣よ/この世界はお前の思うがままに>から感じるのは、孤独感からの解放。
主人公は、“獣のフリ”ではなく1人の人間として孤独すら味方にして生きること、つまり“自分らしさと向き合い、開放し、正直に生きていく道”を選んだのです。
一筋縄ではいかないサウンド
ヨルシカ『月に吠える』に中毒性を感じるのは、決して一筋縄ではいかない、ギミックの効いたサウンドによるものです。
最初に耳に飛び込んでくるのは、ギターリフでもsuisの透き通った声でもなく、咳払いを思わせる音声。
サビ付近では、フィンガースナップによる効果音や吐息が巧妙に組み合わされ、簡潔にいえば“ヨルシカらしさに欠ける”サウンドが練り上げられています。
トリッキーな効果音が刻まれる背景で、あくまでコード進行は平静を保っている様子。
そんな中、曲の再生時間が2分46秒に差し掛かるのを合図に変調し、突如不安感に襲われるサスペンスフルなサウンドに一変します。
ここでおさらいしておきたいのは、詩集『月に吠える』の作者・萩原朔太郎は、その独特な言語表現により従来の詩の型を逸脱してみせた“日本近代詩の父”、いわば“開拓者”であること。
これらの挑戦的なサウンドが示す先には、萩原朔太郎のパイオニア的な人物像があるのではないでしょうか。
アートワークの仕掛け
ヨルシカ Digital Single
「月に吠える」
10月6日(水)配信開始▶︎配信はこちらhttps://t.co/zLoyEb9Cip
▶︎「月に吠える」特設サイトhttps://t.co/LY323LqoDh pic.twitter.com/DmPlEcSFMB
— ヨルシカ(n-buna、suis) / Official (@nbuna_staff) October 2, 2021
『月に吠える』の配信リリース日を迎える4日前に、ヨルシカ公式Twitterにてアートワークのみが先行公開されています。
このアートワークを眺めて、なにか気づいたことはありませんか?
筆者は気づいてしまいました。そう、男の影が、まるで獣が口を開いて吠えているかのような形で地面に映っているのです。
この影について何も公言されていないので、あくまで個人の推測、あるいは単なる勘違いかもしれません。
ただ、こうした些細な発見からイマジネーションの輪を広げていくことで、離れたところにある点と点が線になり、予想もしない形で構築されていくのが、ヨルシカ楽曲の醍醐味です。
最後に
新型ウイルス感染症による徒労感が未だ拭いきれない2021年、6月に『又三郎』、8月に『老人と海』、10月に『月に吠える』と、文学作品をオマージュした楽曲を立て続けにリリースしているヨルシカ。
『又三郎』には、現代社会に溢れかえる憂鬱をすべて吹き飛ばすほどの風速を感じ、人間の不屈な精神をテーマに歌う『老人と海』では、大海原を舞台に「まだまだ遠くへ行ける」と背中を押され、前向きな気持ちに。
最新曲『月に吠える』では、窮屈な時代を生きる私たちの姿と重なり得る一見ヒステリックな主人公を据え、ある種の共感を誘う。
今年6月から続くヨルシカの”文学オマージュ”シリーズに特別な”なにか”を抱いてしまうのは、本来の生活の正しい在り方さえ忘れそうになる現代を、悩みながらも踠き生きている証なのではないでしょうか。
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