田中将大(マー君)なぜ楽天に復帰?ヤ軍との交渉、今後の活躍について解説

田中将大(マー君)なぜ楽天に復帰?ヤ軍との交渉、今後の活躍について解説


田中将大投手(通称:マー君)が、メジャーから古巣・東北楽天ゴールデンイーグルスへと復帰することが先日発表されました。なぜ日本でまたプレイすることになったのか、田中選手加入により楽天がどのように変わるのかを解説します。

田中将大(マー君)が日本球界復帰か……やっぱ日本のアイドル文化が恋しくなったんだよ


いや、それはない……と思う


ありえなくはないかもよ


うーん……完璧に否定はできないかもしれない……とりあえず今回はメジャーリーガーとして活躍した田中将大選手が、楽天に復帰した経緯や今後の活躍について解説していきます

東北楽天ゴールデンイーグルスでは野村克也監督、マーティ・ブラウン監督、星野仙一監督の下で球団のエースとして活躍した田中将大選手。新人の頃から頭角を現し、北京オリンピックの野球日本代表、世界大会ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出されるなど、球団以外でも大きく活躍しました。

同球団が日本一に輝いたシーズンでは、日本プロ野球史上初となるシーズン無敗で最多勝という記録を打ち立て、翌年にはメジャーの名門と名高いニューヨーク・ヤンキースと契約し、メジャーへと移籍。海を渡っても巧みで豪快な投球術は変わらず、数々のメジャーリーガーを相手に健闘しました。

そして7年契約が終わり、フリーエージェント(FA)となった田中選手は、2021年に古巣である東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰することが発表されました。

今回の記事では、田中選手がなぜ楽天に戻ることになったのか、そして加入によって今後のチーム事情はどのように変化するのか、田中選手のプロフィールを改めて確認しながら解説します。

田中将大選手のプロフィール

  • 本名:田中 将大(たなか まさひろ)
  • 愛称:マー君
  • 出身地:兵庫県伊丹市
  • 生年月日:1988年11月1日
  • 身長:190.5cm
  • 体重:97.5kg
  • 右投げ右打ち
  • 背番号:18→19→18

駒澤大学附属苫小牧高等学校ではチームのエース兼キャプテンを務め、2006年に行われた早稲田実業高等学校との決勝戦での斎藤佑樹選手との投手戦は、今も甲子園の思い出の1つとして熱く語られています。

高校卒業後は、球団創立2年目の東北楽天ゴールデンイーグルスへと入団。2007年からは春季キャンプへと参加し、新人ながら高いポテンシャルを秘めていた田中選手は、早々にチームのエースへと成長。

野村克也監督、マーティ・ブラウン監督、星野仙一監督の下で約7年間チームを牽引し、北京オリンピック野球日本代表、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選抜されるなど、チーム外でも大きく活躍しました。

2013年シーズンでは球団創設初となるリーグ優勝および日本一へと導いた立役者として活躍。日本球界初となるシーズン無敗の記録を生み出し、その活躍から翌年にはメジャーの名門として名高いニューヨーク・ヤンキースへと移籍しました。

ちなみにこの時の契約金は投手として史上5番目となる、7年総額1億5500万ドル(約161億円)だったんだよ

メジャーにおいては右肘靭帯の部分断裂により故障者リスト入りするなどのアクシデントはありましたが、その圧巻の投球は変わらず、得意のスプリットでメジャーの打者を翻弄。日本人初となる6年連続2桁勝利を達成するなど、チームの先発陣の1人として貢献しました。

そんな日本球界、メジャーにおいても活躍してきた田中選手ですが、実は野球以外で意外な一面があります。それは、大のアイドル好きであることです。

女性アイドルに関して造詣が深く、ライブ会場に足を運ぶほどにハマっているようです。「モーニング娘。」「ももいろクローバーZ」など、その界隈でも田中選手はかなりのアイドルオタク(ドルオタ)であると知られています。

また、田中選手の奥さんである里田まいさんも、元々はハロー!プロジェクト(ハロプロ)の「カントリー娘。」に所属していたアイドルでもあります。

登板時にはアイドル曲を流すほどで、恐らくアイドルオタクの中では最強とまで称される人物です。日本球界に復帰した際には、野球選手としてだけでなく、アイドルオタクとして親しまれる田中選手を見ることができるかもしれません。

野球のトップだけじゃ満足できない男、それが田中将大


ちなみについ先日、ももいろクローバーZが歴代の応援歌を収録したALBUMのPR動画を公開しました。ALBUM名は「田中将大」だそうです

一体何をやっているんだこの男は……

田中将大選手が古巣・楽天に復帰!なぜ?


2021年1月28日。ニューヨーク・ヤンキースをFAとなっていた田中選手が古巣である楽天に復帰するニュースが流れ、球界だけでなく日本中が沸きました。

1月30日には入団会見が行われ、2013年に楽天が日本一になったあの感動を思い出した人も多いのではないでしょうか。

しかし、なぜ田中選手は日本球界に復帰することになったのでしょうか。

「また野球ファンのみなさんの前でマウンドに上がって、投げられる。ワクワクが抑えられない状態です」と、会見で述べた田中選手。「本当に今まで考えたことがないくらい考えて、悩みに悩み抜いた」とも語り、今回の決断は田中選手にとっても相当な重圧だったのがわかります。

FA直後は、ヤンキースとの再契約をして新たなシーズンを迎えたいというのが、田中選手の本音でもあったそうです。しかし、ヤンキースサイドは金銭面的な理由もあり、田中選手との再契約の可能性は低いとの意思を見せていました。

金銭面だけではない?田中選手の総合的な評価


投手としてはMLB史上5位という多額の契約となっていた田中選手。2013年のシーズンでは無敗の投手として当初は大きく期待され、契約金額も妥当なものであると関係者も判断していました。

しかし、実際にはトミージョン手術こそ回避したものの、契約初年度に右肘靭帯の部分断裂で前線を離れています。日本人投手がメジャーのマウンドに立ち、肘や肩を痛めるということは少なくなく、とんぼ返りした選手も少なくありません。

期待よりも不安が先行した田中選手ですが、重要な場面においてのパフォーマンスは評価されており、ヤンキースにおいて安定したプレイを見せていました。

メジャーでの7年間を振り返ると、174試合(先発は173試合)に登板。通算78勝46敗、防御率3.74。全てのシーズンで先発ローテーションに名を連ね、6年連続で二桁勝利を挙げる活躍をしました。

ヤンキースサイドはこの成績に対して「エースのそれではない」という判断を下しているようです。が、田中選手がいたからこそ躍進できた部分もあると関係者は語っています。

田中選手は約25億円という高額年俸を受け取っており、ビジネス面の強いメジャーにおいて、費用対効果を考えると再契約は難しかったのかもしれません。

ヤンキース以外の選択肢もあった?楽天を選んだ理由


FAとなった田中選手ですが、実は少なくとも1球団からのオファーを受け取っていたようです。

しかし、その内容というのがクローザーという役割でした。これまで調整という名の役割でリリーフとして登板したことこそあるものの、田中選手は基本的には先発としてマウンドに立つことがほとんどです。

周囲からも「計算のできる先発投手」と評価されており、クローザーとしての経験がない田中選手がこのオファーに納得するのは難しかったのでしょう。

楽天の入団会見において田中選手は「7年間をものすごく評価していただき、大きなオファーというのもありました」と語っており、もしかするとこれ以外のオファーもあったのかもしれません。

では、その中でなぜ古巣である楽天を選んだのか。田中選手も「世界一となってチャンピオンリングを手にする」ことを目標に、新たなシーズンを迎えたいというのが本音だったと語っています。

それでも楽天を選んだのには理由がありました。1つは、今年で東日本大震災から10年という節目を迎えること。ヤンキースに在籍している間も、被災地の復興支援を精力的に続けてきた田中選手。

そんな田中選手は「自分にとって意味のあるタイミングなんじゃないかと思った」と、被災者の近くで戦っていきたいという思いを明かしていました。

しかし、選手としての思いはまた別であるようです。「イーグルスでプレーをして、また日本の方々の前で投げる。そこを上回るものが最後までなかった」と語る田中選手は、キャリアの晩年ではなく、バリバリ活躍できるような時期である今を選びました。

今しかない。オファーを断ってでも古巣で新たなキャリアをスタートに決めたのは、そういった意図があったからのようです。

田中将大選手の加入で楽天はどう変わる?


入団会見を終え、古巣である楽天に正式に入団が決まった田中選手。

背番号は当時背負っていた「18」となり、契約は2年契約の年俸9億円+出来高と報じられています。巨人の菅野智之選手の年俸8億円を超える巨額となり、メジャーからの復帰ということもあって、その活躍に期待が寄せられています。

晩年ではなく、年齢的にもまだ充分に活躍できる田中選手。今後彼がどのように球界に影響を与えるのか、そしてチームにとってどのようにプラスとなるのかを解説したいと思います。

四本柱の大黒柱となる可能性

2020年のポストシーズンでは打ち込まれ、2試合で防御率12.38と、日本一に輝いた年と比べれればやはり衰えを指摘する声が多数あります。それでも昨年の12月に32歳を迎えたばかりの田中選手は、肉体的に老け込むような年齢でもありません。

FAではクローザーとしてのオファーはあったものの、それらを断っている田中選手。やはり投手として先発という役目を担うことは間違いないでしょう。

田中選手が加入することにより、今季の主な先発ローテ候補は以下の通りとなります。通算成績と合わせてご覧ください。

  • 涌井秀章 437試合 144勝132敗16H37S、防御率3.51
  • 則本昂大 195試合 85勝70敗、防御率3.12
  • 岸孝之 301試合 132勝84敗1S、防御率3.03
  • 早川隆久 未登板
  • 塩見貴洋 148試合 46勝56敗、防御率3.78
  • 辛島航 181試合 49勝63敗10H2S、防御率3.99
  • 石橋良太 47試合 9勝13敗、防御率4.82
  • 弓削隼人 18試合 6勝5敗、防御率4.42
  • 藤平尚真 26試合 7勝12敗、防御率4.25

この中でも涌井選手、岸選手、則本選手はエース経験があります。ただ、記載した3選手は、近年では故障や成績不振による波があるのが不安の種となっています。

しかし、田中選手という大黒柱が加入することによって4本柱が誕生し、3人の負担を軽減することができるかもしれません。

また、2020年に行われたドラフト会議にて、4球団から1位指名を受けた早川選手は、今回の田中選手の加入によって大きな恩恵を受けるきっかけとなるでしょう。

早稲田大学時代には、球速とコントロールに定評のある左ピッチャーとして注目されてきた早川選手。東京六大学リーグの秋のリーグ戦においては6勝0敗、防御率0.39。46イニングで被安打18、奪三振74という好成績を残しています。

しかし、プロの世界において、それが通用するかは不透明です。ですが、田中選手の加入によって先発ローテが安定すれば、早川選手に負担なく起用することができます。

田中選手の加入はベテラン・新人選手にとって非常に良い刺激となるのは間違いないでしょう。

田中選手の球を知らないパ・リーグの強打者たち

田中選手が加入することは、楽天にとって大きなプラスとなります。しかし、プラスになるからといって、対する相手はそう簡単な相手ではありません。

2013年、今でも語られる無敗伝説を打ち立てた田中選手。しかし、当時から既に8年という月日が流れており、各球団の主力選手も大きく変動しています。

田中選手がメジャーへと旅立ってからプロ入りした打者には、スターと呼ばれるにふさわしい活躍をする選手が数多くいます。田中選手という名前を知っていても、田中選手の球を実際にバッターボックスで見たことがない選手。

2018年と2019年にパ・リーグを制覇した西武は、主力の変動がとくに目立つ球団でもあります。森友哉、山川穂高、外崎修汰、源田壮亮と、主力として活躍する選手が多数在籍しています。

昨年度は数字を落としている選手もいますが、そのポテンシャルの高さはまだまだ伸びしろがあるでしょう。森選手は速球に強く、山川選手は巧みなバット捌きでスタンドに放り込む技術を持ち合わせています。

田中選手にとって今後、大きな壁となることは間違いないでしょう。メジャー帰りの右腕が、これら強打者たちを相手にどのような対戦を披露してくれるのか、ファンであれば期待せずにはいられませんね。

今一度振り返る田中将大選手の有名・感動シーン


冒頭でも触れてきましたが、プロ入り前から注目されていた田中選手は、これまで数々の名シーンを残してきた人物でもあります。

今回はその活躍の中から、有名・感動を呼んだエピソードの一部を下記にまとめました。

プロ入り前「決勝引き分け再試合」

数々の熱き感動を生み出し、球児であれば誰もが一度は夢見る甲子園球場。プロとはまた違った青春の一幕を感じる熱闘を繰り広げる場所として、野球ファンを盛り上げてきました。田中選手もその舞台に立った1人です。

2006年に行われた「第88回全国高等学校野球選手権大会」において、史上2校目の夏3連覇をかけた、田中選手が在籍する駒澤大学附属苫小牧高等学校。決勝戦では当時一世を風靡していたハンカチ王子こと斎藤佑樹選手が所属する早稲田実業高等学校。

攻防一体の試合はもはや意地の張り合い。延長15回まで続いた試合は1-1の引き分けで終わり、まさかの決勝戦が再試合となる激闘を繰り広げました。

ちなみに決勝引き分け再試合は37年ぶりだそうだよ

翌日に行われた再試合では、前日に登板したにも関わらず田中選手は1回の途中から登板。前日の疲労から失点はあったものの、それでも7回3分の1を投げて3失点という好成績を残しました。

結果としてチームは3-4という結果で早稲田実業に敗れてしまいましたが、最後は投手・斎藤、打者・田中という、両エースによる対決で幕が閉じられました。アニメや漫画でしか見ることができない展開は、球史に残る戦いとして現在でも語り継がれています。

楽天時代「伝説の8球」

日本だけでなく世界を震撼させた東日本大震災。災害当時、星野仙一監督が率いる球団メンバーは被災地を訪れ、多くの被災者たちと触れ合いました。選手会長であった嶋基宏選手による、スピーチでの「見せましょう、東北の底力を」「見せましょう、野球の底力を」は、多くの人に勇気を与えました。

それからの楽天の勢いは凄まじく、徐々に成績を伸ばしていきました。そして、震災から2年後の2013年はまさに神がかったものでした。見えない力に後押しされるように、その勢いは止まることはありませんでした。

中でもプロ7年目となるエース・田中選手は、日本プロ野球界初となるシーズン無敗の24連勝を達成し、後にギネス記録となる記録を打ち立てます。

まさにマー君神の子不思議な子

2013の久米島春季キャンプで行われた恒例の声出しでは「今年の野球界の主役は、俺たち楽天だ!」と、田中選手の気迫の一言。本人としても、震災やエースとして色々と思うところがあったのでしょう。その意気込みは結果として残り、創設9年目の球団は日本シリーズ進出への切符を争うまでになります。

2013年9月26日に行われた、対西武ライオンズ戦。優勝争いにあった千葉ロッテマリーンズが北海道日本ハムファイターズに敗れたことにより、勝てばリーグ優勝が決定するという重要な場面において、田中選手は9回にリリーフとして登板。

3-4の1点リードで迎えた9回。1死2・3塁というピンチを招き、迎える打者はクリーンナップの栗山巧選手、浅村栄斗選手。一打逆転という場面でありながら、この時に投じた田中選手の投球は圧巻の一言でした。

外角低めを狙ったストレート。小細工なしの力で変化球は一切なし。そのどれもが150キロを超える気迫のあるピッチング。そして栗山選手を三球三振とし、迎える浅村選手も同じように力でねじ伏せ、最後は空振り三振で試合を決めました。

「魂の直球8球」とまで称され、球界の名シーンの1つとして語られています。

ちなみに田中選手が投じた外角低めの直球は、師である野村監督の「困ったら外角低め」という教えがあったからだそうだよ

楽天時代「スタジアムを揺らした“あとひとつ”の大合唱」

読売ジャイアンツと日本一をかけた一戦。両チーム全くゆずらない攻防を繰り返し、田中選手も第2戦に先発登板。12奪三振という力投で日本シリーズ初勝利を飾る。

しかし、黙っていないのが巨人。楽天が日本一に王手をかけた第6戦では、エース田中選手にシーズン公式戦から含めてワーストとなる4失点という猛打を与え、これまで無敗だった男に初の黒星をつけました。

翌日の第7戦では、田中選手が出場することはないだろうと誰もが思っていました。が、前日に160球という球数を投げた田中選手が、なんとグランドに姿を現し、ベンチ入りすることが決定。

これには誰もが驚いたに違いない

そして試合が始まり、8回裏が終了した時点で楽天は3点リード。残るは9回を抑えるだけという場面。ここで当時監督である星野監督が動き出します。

いつもは険しく、鬼とすら呼ばれてきた監督の顔には笑みが浮かび、テレビ中継越しでも分かる声で「田中だよ!」とピッチャーの交代を告げました。

場内アナウンスと共に揺れるスタジアム。ベンチから姿を現したのは、前日に160球もの球数を投げた田中選手でした。

そして流れるFUNKY MONKEY BABYSの「あとひとつ」。この時、ファンの心は1つとなり、大合唱で楽天のエースを迎えます。

ファンの中には「神様 仏様 田中様 巨人よこれが僕らのエースだ!」という旗を掲げる人もいて、こういったシーンも非常に感動しました

その後、ランナーを背負ってしまうも、これが前日に160球も投げた投手の球かと思わせるほどの力強いピッチング。最後は自身が最も得意としているスプリットで打者を三振に抑え、悲願の日本一を果たしました。

楽天時代「最初で最後のバッテリー」


https://nomura-katsuya.com/gallery.php

このエピソードはテレビを視聴していない方はあまり知らないかもしれませんが、田中選手は渡米前にある人物とキャッチボールを行いました。その人物というのが、田中選手の初監督でもあり、恩師でもある野村監督です。

2013年12月31日、TBS「年またぎスポーツ祭り!KYOKUGEN2013」の放送枠にて、田中選手へのサプライズとして実現。赤い防具に身を包み、キャッチャーミットを携える野村監督の姿は、やはり球界を代表する捕手としての貫禄がありました。

「32、3年振りだな」と語る野村監督は、田中選手の前に現れるやいなや「よう、そこのヘボピッチャー」と、辛辣な一言。生涯一捕手を貫き、そして恩師でもある野村監督のこの言葉には、海を渡ることを決意した田中選手であっても思わず苦笑い。

球界のレジェンドを前にしたら誰だってそうなるさ

「最後の日本での一球受けに来た」と語る恩師の言葉には、これまでの師弟関係があったからこその言葉であることがわかります。思えば新人でありながら1軍として起用し続け、常々「こいつは日本一のピッチャーになる」とこぼしていた野村監督。

そして、田中選手もその恩師に応えるような活躍振りで楽天を日本一へと導いた。「監督がいなければ今の自分はなかった」と語り、野村監督の通算1500勝をかけた試合では、ウイニングボールを真っ先に自身の手で手渡した。

野村監督の教えである「困ったら外角低めに投げ込め」。リーグ優勝を決めた田中選手の伝説の8球も、野村監督の教えから生まれたと言っても過言ではありません。

感動する師弟関係だね

そんな師弟関係にあったからこそ実現した今回のサプライズ企画。マウンドに立つ田中選手とキャッチャースボックスにミットを構える野村監督。「さぁ、こい!」と気合の一言を投げかける野村監督の言葉に、18.44m離れたマウンドから投じられる田中選手の一球。

いつもより力なく、大きく放物線を描いた一球は外角高めに投じられました。当時78歳という年齢にも関わらず、野村監督はこのボールを見事キャッチ。直後に「受けたというより入ったね」と語る野村監督の言葉には、生涯一捕手を貫く男としての悔しさが滲んでいるようにも思えました。

最後に固い握手を交わす2人の姿には、当事者でなくても涙が溢れてきそうです。

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ヤ軍時代「レジェンドとの初対戦」

常に先を見据え、メジャーにその名を刻んできたイチロー選手。田中選手はそんなレジェンドと共にヤンキースのユニフォームに袖を通し、共に戦ってきた経験があります。

そんなイチロー選手がマイアミ・マーリンズに移籍した2015年。それから半年ほどしてから、2人の直接対決が実現しました。

2015年6月5日に行われた、マーリンズとヤンキースの試合。結果は4打数2安打という内容でしたが、対戦したイチロー選手としては納得のいかない結果だったようです。

全打席合わせて13球。田中選手が投じた初球はイチロー選手の意表を突くものでした。田中選手が選んだ球種はスライダー。イチロー選手はこれを難なく見逃し、ボールと判定されるも、その表情はどこか楽しそうでした。

スライダーが投じられたイチロー選手はこの時「Yeah!!」と叫んでいます。この時の心中はわかりませんが、勝負を楽しんでいるようにも思えます

その後、ストレートを完璧に捉え出塁したイチロー選手。そして迎えた第2打席ではお得意の快速でボテボテのヒットながらも内野安打を記録。

第3打席目では、田中選手のスプリットが光り、イチロー選手のバットが空を切ります。しかし、この時の田中選手のスプリットは、本人としては精度が低く、投げれないと感じたそうです。

スプリットを封印し、いかにレジェンドを抑えるか。そうして田中選手が投じたのは力ある153キロのストレートでした。イチロー選手はスプリットを警戒していたようで、この直球には手が出ず、見逃しの三振という結果に終わってしまいます。

最終打席では遊ゴロとなり、後にイチロー選手は「気持ち良さというか、頭を使うから面白い。駆け引きが必ずあるから、毎回対戦が面白いタイプのピッチャーですね」と、田中選手に対する評価を述べました。

ちなみにイチロー選手はこの時「マサはヤンキースに必要な投手。3年ほどの延長契約を結ぶべきだ」とも語っているんだ

ヤ軍時代「2011年のスーパーエース対決再び」

楽天時代、タイトルを争ったダルビッシュ有選手との直接対決が、メジャーで再び実現しました。日本時代は平成を代表する投手として、互いに刺激しあっていた仲。

当時レンジャーズに所属していたダルビッシュ選手。対するヤンキースの田中選手。メジャーリーガーとしては先輩であるダルビッシュ選手に対して、田中選手は真っ向からぶつかっていきました。

田中選手が好投すれば、ダルビッシュ選手も続く。そんな拮抗した投手戦に両チームの打線は沈黙。もはや我慢比べではないかと思うような緊迫した戦いが繰り広げられていました。

気づけば2人合わせて19奪もの三振を築き、田中選手は被安打3に対し、ダルビッシュ選手は被安打2という驚異的な数字を残しました。

ダルビッシュ選手は後に「一生の思い出」と、この日の試合を振り返っているんだよ

試合は2人が降板した延長戦で動き出し、ヤンキースが2-1で競り勝ちました。しかし、2人の投手戦においては両軍の監督から賛辞が贈られ、日本人対決で注目された一戦として知られています。

最後に田中将大選手の今後について

古巣・楽天に復帰した田中選手。今後、楽天の先発ローテーションを支える存在として、チームに大きく貢献することは間違いないでしょう。

また、これまで田中選手と対戦したことのない相手との勝負もファンとしては期待したいところでしょう。

田中選手は2013年を超えれるような活躍を残したいと語っており、今回の復帰によって楽天が再び日本一に輝くことも夢ではないでしょう。

新たなキャリアをスタートさせた田中選手にぜひ注目してみてください。

アイドルとの交流も楽しみにしてるぜ!


野球と関係ある話をしようよ……では、これからの田中選手の活躍に期待しています!

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